島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

如何、狂奏、集音遊民、祖父。

あまり、よく覚えていない。

 

誕生日の日に、12年ぶりに母と電話で話した。

 

色々とあったが、会話は急速に進み、福岡に住む祖父が危篤だと連絡を受けた。

 

その祖父というのも、祖父感はなく、物心ついた時からではなく、だいぶ年を経て、当時の島崎家を救済するべく、内縁の妻と呼ばれる存在と、突然、現れた、救世主という言葉とは程遠い、昭和の残骸のような気難しく、ヤクザなジジイであった。思い出は数知れず、叩かれた頬の痛みだけは新鮮だ。

 

ただ、その人だけは、僕に唯一、嘘 をつかなかった。

 

真偽の末は分からないが、僕が知りたかった、知らなかったこと、知りたくなかったことを全て、僕に教えてくれた。

 

鹿児島SPEED KING、福岡四次元のツアーの2日間の、最中、少しぐらい顔を見に行こうかな。母と会うのは怖いけれど。ぐらいの感覚で、会いに行こうと思ってた。

 

二日前、危篤から一転、超回復を見せ、リハビリを始めたとの連絡があり、まぁ今回の顔見せは、僕の為の延期かなと思っていた。

 

28日、土曜日、16:30頃。

母から、祖父が亡くなったとの連絡を受けた。

リハーサルの直後だったように思う。

あまり明確な感情も感想もなかったのだが、

No Fun Vo.内田秋さんにその話を、世間話の如く伝えた。

 

様々な言葉を貰った。心で綴った。

その内容たちは勿体なくて

今はまだ書けないが、

最後に顔を見たほうが。と、

僕は正直、邪念が取り払えず、

適当な理由を並べた。

 

言い訳を数個用意していた。

 

2022/05/29 福岡四次元への鹿児島からの車内。母から、今日は祖父とは会えないが、明日の火葬には顔を出さんだろうか。と。

 

僕はまだ渋っていた。

メンバーや恋人にも、

あたかも面倒なように、

また適当な理由を並べていた。

 

こんな良き二日間に於いて、

深くまで感情を潜らせたくはなかった。

 

No Funを観た。

煙草のフィルターの方まで

苦いようで香ばしい煙を吸い込むような

いや、吐き出すような言葉と音たちだった。

 

ただ、それだけ。

僕は、明日、行くこと決めた。

今が転機だと思い込めた。

 

人の力だけで、30歳になり、

急遽、訪れる出来事たちを、

抱き締めれるわけでもないし、

掴み続けるわけでもなく、

ただ、なんとなく見過ごす事だけはやめようと、微かに決めた。

 

それだけ。

 

それぐらいの二日間だった。

 

鹿児島SPEED KING

福岡四次元に集ってくれた、皆様に、

心よりの敬意と感謝を。

 

人の死を以て生きていきます。

いつも、ありがとうございます。

 

今日に至り、改めて、

内田秋 という存在に

心より生かされていくような感覚であった。