島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

8月

記憶が鮮明に残っている4月から5月が、
あっという間に去り、
苦しめば苦しむほど、かまけて見られた泪の、
6月と7月が、知らぬ間に去り行き、
いつの間にか8月が来た。大きな台風も連れて。
鹿児島感のある夏。といえば、そんな感じ。

やはり福岡から帰ってきて、
外を出歩く気にはならず、外の世界の様子は、
ちとばかり分からないけど、午前1時現在、
昨日から体調というか諸々が悪く、
早めに眠りに就いたが、連続の同じ結末の悪夢で
寝ては起き寝ては起きを繰り返し今。午前1時過ぎ。

轟々と風が吹き、四畳半の立て付けの悪い窓を揺らし、それを気にも止めず、飼ってるハムスターはカラカラと回り続けてる。君になりたいよ。無心で餌を待ち、カラカラと無心に回り続ける。あ、変わらないか。今の僕と。いや、失礼、
まだ自分では理由もわからずも、カラカラと回り続けてる君の方が僕より偉いかもね。詫びる。

良いライブを観に行った、この間。
安定剤でゴリゴリに固まった心を熱くしてしまうぐらいのロックバンド達のライブ。何も変わらなかったけど、凄く鮮烈に心に直接、触ってこようとしてきて、驚いてしまったよ。だから、あれから5日経ったけど、あの日のライブハウスの光景、喋りかけられた嫌な言葉、素敵な言葉、何回も思い出す。

僕も馳せている。自分のライブに。
次は18日。僕よりも勢いのある若いバンドが来るらしい。そんなのは、正直、本音を言えば、どうでもいい。ごめんなさい。僕は縋っている。求めている。自分のライブや音楽が1番、自分を確かめてくれるし、自分を救ってくれる。それを観てた人たちが、なんやかんやの匙加減で賛否する。凄く素敵なことだと思う。そこには、互いに、音楽(共通の媒体)が好きという概念がある以上、お金も発生している以上、有っておかしくない、いや、むしろ、蔑ろにすべきでなく、あり得なければならない部分である。

鹿児島は少ないけれどバンドマンより、それが純なお客さんだったら尚更。だよ。でも、鹿児島とか宮崎の人とかシャイだから、あまり何も言ってくれなかったりするけど、曲が、その人達に触れた以上は僕等は一先ず、有難い。そこから何を思って生きるか、明日の朝には忘れられてるかは、それこそ自由。そういう意味でルールはない。履き違えてる人、多いけど。音楽にルールがないのは精神的部分が大半を占めてるからね。勘違いしちゃいけないよ。


診断書の言葉や検査の数値は信じられるのによ、
想いってのがあるからよ、本当に思ってくれてる人たちの言葉は、一旦、フィルターかけちゃうのは良くないよな。まぁ出来ないんだけど。大切の仕方、いつ分かるかな。

ある日を境に、僕、ある人に、凄く軽薄な感情を覚えてしまい、今、そことの矛盾に悩まされてますけど、また曲ができそうなんで、一旦、見て見ぬフリしておきます。仕方ない。という言葉のパワーは、プロセスと芯のある理由があれば、最強ですからね。

ここまで15分程度、経過。腹が痛い。
なかなか書きたいこと書ききれた気がする。

九州の皆様、台風、津波、土砂などに
お気をつけ下さい。知らぬうちに人は死んでたよ。

また。深夜のブログ、読んでくれて、ありがとう。