島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

千文字の手紙。

 

5月が終わって、6月がやってきた。

鹿児島の梅雨は、何とも言い難い厳しさがある。

雨が降っては灰が降って、灰と同時に雨も降る。

 

計り知れない緊張感や言葉にできない興奮が留めきれない5月が終わった。WALK INN FES!2018が終わった。

勘違いしてる人も多いとは思うけれど、僕はフェスが全てだとは思わない。一、鹿児島で生きていて、一、鹿児島でバンドをやっている僕の、分かりやすい目安であって、その為に、その瞬間の僕が何ができるだろう。という利己主義な考えが1番に過ぎない。しかし、そこを経ての、周囲の表情や、瞬間の感情などを見ていると、僕はこのフェスを今年も経て良かったな。と安堵する。間近で見れてよかった。という単純な回答でしかない。

 

準備などは正直、褒められたい。や、引きこもりの僕がどこまでできるだろう。などという下心と呼ぶにも恥ずかしい感情で尽きる。しかし、間近でフェスへの過程を見ていれば、当然の如く、フェスはより一層、楽しさを増すし、その光景を知らない人達にも伝えたいから、僕はツアーを回るし、新しい曲も作るし、CDだって出す。それをまた、色んな表現で、様々な場所で様々な人に話す。伝わらなくたって、報われなくたって、話す。それから死ねばいい。

 

感謝している。様々な方面の様々な人達の様々な光景に、心より、感謝している。ありがとうございました。

 

それから経つ日々なんて、あいもかわらず、ダメな毎日で、日焼けした肌が、脱皮していくのをただ、眺めているだけのような、何にもならない日々を過ごす。漠然とした不安や、未来への渇望と焦燥。灰皿にシケモクが増えていくのを見守る日々。

 

僕は、もう、正直、大成、なんて言葉は興味がなくなってきた。思想や論理に飲み込まれる日々に嫌気も差してきた。この間、誕生日を迎え、26になった。比較は虚しさを産むだけであり、期待は受けるにも与えるにも、限度があり、その限度も、物差しがつくようになった。

 

そんな中でも進んでいく日常や、些細な出来事に対する愛や性欲を大切にしていきたい。それだけで、ぼんやり生き延びていく。復活の目印は既に立っている。

 

春終わり、夏近きかや。

五月雨の狭間で揺れる心は、

もう僕の手中にはない。

愛だけがある。怒りと共にある。

僕の存在も存続していく。

 

幸、多からんことを祈る。

 

我を忘れないように、たった何文字かの言葉に縋るように祈る。