島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

「こばちどり 清 」を始めるにあたり。

 

久々のブログです。

明けまして、おめでとうございます。 

 

本をあまり読まなくなった今、内を鬱屈とする文学魂も少なくなってきて、ブログを書かなくなったものの、自分だけと向き合いながら、多少なりの承認欲求を満たすのに、めちゃめちゃ相応しい場所、そう、はてなブログです。

 

 

本題。

 

幼少期。

物心ついた3歳半、よく覚えている。

母は基本的に家にいない。

天文館あけぼの横、パーティワン上、8畳と1キッチンの間取りに住んでいた。母も父も夜の仕事で、ずっとお留守番だった。家のすぐ近く、今はタツミ亭、元ボン弁当、その横は、中華料理屋。保育園終わり、1人。小気味良く振るわれる中華鍋を毎日のように見に行っていた。その隣のボン弁当、チキンステーキ弁当を、置かれたお金で買いに行っていた。何の疑問もなく。

 

小学2年。両親は離婚し、妹とも離れ離れ。

僕は母に引き取られた。決して貧乏でもないが、確実に裕福ではない。しかし、母も若い。バリバリのバンドマン。そんな中、俺を食わす為に、一日中、働き回っていた。帰ってこない夜も度々。別段、何の疑問もなく、ただ日常を過ごすだけ。

 

その中、

母が買ってくる、ほっともっと(ほかほか亭)の弁当、マックスバリュやタイヨーの惣菜、週一で行く祖母の家の手作り夜ご飯と薄く巻いた卵焼きメインの持ち帰り弁当。

 

その頃から食というものに支配される感覚。

感覚はあるものの、何の考えもなく、僕にただ渦巻くものは、漠然とした寂しさ。飯なんて1人で食っても味もせんし、なんとなく虚しいだけ。誰かとご飯を食べたい。なんとなくこの感覚、打破したい。

 

小学3年、母が今日も帰ってこなかった。腐った素麺、腐った米、食い飽きたインスタントラーメン、インスタントカレー。食べたくなかった。齧り付くように見ていたテレビ。NHK、ひとりでできるもん。漬物の漬け方を放送していた。今は、時効であろう、近所のスーパーに行き、白菜を、丸々、一玉。万引きした、小3の俺。周りから見たらきっと、駐車場まで運ぶお手伝いをしている子供。特段、罪悪感もなく、寧ろ、ワクワクした足取りで、そこから5分、早歩きで家へと帰路する。

 

盗んだ白菜を覚束ない手つきで切り分け、

家にある、いつのかわからない、食塩、薄口醤油を駆使し、ベランダの室外機下のコンクリートブロックをトンカチで砕き、その破片で、白菜を漬け込んだ。腐った米を炊き、腐った卵を目玉焼きにし、食したのを覚えている。とんでもなく興奮した。なんだか、とてもおいしかった。なんとなく始まった気がした。

 

僕の唯一の楽しみ、週末だけ、祖母の家に預けられる二日間。温かいご飯を、祖母と母の妹と囲む。忌み嫌われながらも、とても美味しい食事にありつく感覚は今も消えない。

 

そこから祖母の調理過程を見守るようになる。こんなに美味しいご飯を、家で1人でも、毎日食べれたら、そこまで寂しくないんじゃなかろうか。と。

 

とにかく寂しさを埋め合わす為に、インスタントでは役不足、とにかく自分で美味いものを作り続けるべきだと思っていた。俺が本当の意味で満たされるから。

しかし、母が買ってくる惣菜や弁当もとにかくおいしかった。それは母がそこにいたからだった。

 

飲食店で働こうと思った。

人の幸せは飯で成り立つんじゃないかと本気で思っていた。どれだけ満たされぬ日々を過ごしていようが、死にたかろうが、飯を食うということは、心を繋ぎ、生き抜く事に繋がるのだと思っていた。それが1人ではなく誰かとなら、尚更。

 

17歳、居酒屋で働き出す。常識も何も知らぬ俺には全てが不満だったし、全てが想像外だった。しかし、自分が作ったものを、その場で人が喜んだり、怒ったり、感想が瞬時に出される感覚はとても興奮した。そうなのだ。

中身は、僕が唯一、信じた、バンド活動と何一つ変わらないのである。そこに思想や感情、味だけではなく、全てが作用して何かが産まれていく感覚は、何となく僕には、またしても興奮へと繋がる。

 

ご飯を作るという行為は、

どうにか人に喜んでもらったり、わかりやすい愛を伝えたり、感謝を表現するための、わかりやすいツールとして備わっていた。

 

 

それら全てに深みを色づけてくれた

西屋、ほっともっと、たけとし、ダイニングバースト、赤衛門、数々、お世話になったお店たち。

 

綺麗事では終わらせれないぐらいの迷惑をかけたりもしたが、それでも、どうにか、貰ってきたものを返したかった。

 

僕が持ち合わせている飲食への情熱や感謝と、それを含めバンドを続けていくという行為。僕が中途半端な立場で、もがいている感覚を見兼ねた生駒さんたちの言葉。

 

 

売れてもないけど、

その日暮らしで曲を作り、

メンバーで鳴らし、ライブをし、

誰かが喜んでくれる感覚は、

 

大好きな人たちにご飯を作り、

なんとなく興奮してくれる感覚は

限りなく近い。接客の苦手さとMCの苦手さも限りなく近い。

 

が、僕はいつだって、誰かに肯定されたいし評価されたいし、とにかく喜んでもほしい。怒られるタイミングでは、ちゃんと怒られたい。

 

飯食うことはきっと死ぬまでおもろいし、とにかく僕の力で、どうにか人にずっと喜んでもらいたいし。

 

いつか分かりやすく、今よりも、もっと、それらを、表現できたらいいのにな。という一つの夢が、

 

数々の人の協力や思いを経て、また一つ叶いそうです。

 

幼少期の僕や、今の僕を囲む方々、それまでの道中、僕が傷つけてきた方々も、これから出会っていく人たちのことも、

少しでも喜ばせることができるよう、食の素晴らしさを伝えれるよう、

こばちどり 清 で、答え合わせしていきたいと思っています。そして、また新たな答えを模索し正解に近づけていきたいと思っています。

 

よかったら、応援してください。

 

こばちどり清も、

その日暮らしも、何卒、

宜しくお願い致します。

 

ライブハウスでも、お店でも、

お待ちしております。

 

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その日暮らし

 

10年前、

いない いない ばあ というバンドを解散して数ヶ月経った際、なんらかの人性補欠のイベントを見に行き、SR自販機前、当時灰皿のところ、ライブハウスで、たまに見かけるパーマ頭の男が、「いないいないばあの子じゃん。バンド辞めたんでしょ?もうバンドやらんの?」と声をかけてきた。飄々とした男の溌剌とした声だった。「メンバーがいないんよね。あ、やる?」と100%の冗談で問うた。「え、やる」

引くほどの二つ返事だった。ギターが弾けると言うから、ルートベースぐらいなら弾けるだろってな具合で、お願いして、バンドを組むことにした。コベタカスミ、結婚おめでとう。

 

ドラムは大分に住んでいた同級生タケマサヤにお願いした。その当時は鹿児島に受け入れてもらうことは諦めていた。

 

俺はコミックバンドを組むぞ。と息巻いていた。

彼と出会った数日後にインフルエンザに感染し、40度超えの発熱で寝込んでいた。意識朦朧としながら、新しいバンドの曲を作らねば。と思い、ギターを手にしたら、何と3曲、一瞬でできた。

 

五月雨心中,阿呆学生,股間口。の順だった。コミックバンドを組むことは勝手に諦め、その3曲をもって、完治後、2人を集めスタジオに入った。コベタカスミは全くベースが弾けていなかった。でも、何だかとても優しい男なので、取り敢えず続けてみることにして、ライブをしようにも、鹿児島でライブ決めてもらえず、宮崎に住むあびに、彼の福岡でのライブに無理矢理捻じ込んでもらえないかとお願いしたのを覚えている。

 

初ライブは10年前の福岡四次元。その次の日に福岡ビブレ。その何ヶ月も福岡に通い続けたような気がする。タケマサヤは大分だったので、何かと都合も良かったのを覚えている。

 

タケマサヤはジャズをやる。と、コベタカスミはDJになる、と順に去っていった。

 

そこからは数えきれぬ人達に、

多大な迷惑をかけながら、何度もメンバーが入りは辞め、を繰り返した。

約6年前フクドメ、オオコシが辞めた時に、もうこれ以上はいいか。と思い、解散宣言でも出そうかなと、でも、売れてもないのにわざわざ解散宣言なんて、恥ずかしいよな、なんて考えてるうちに、安藤太珠の夢を見た日がある。

 

安藤太珠は、その日暮らしの、それまでの、ほぼ全てのライブに足を運んでくれていた。TwitterのDMで予約お願いします。とだけ連絡をくれ、終電が間に合わないか何かで、毎回、ありがとうございました。とだけ伝えて、帰る変な大学生の男の子であった。でも、なぜか彼の夢を見たので、急にDMで飲みに行こうと誘ってみた。さしたら、快く返事をくれ、飲みに行ってみた。飲みに行く前からバンドに誘おうかなと思ってはいた。

僕は確か3,40分待った。年下なのに無礼な男だと思っていた。遅れてきた彼は席に着くや否や、ニタリ顔で「清大さんって鬱なんすか?笑」と問うてきた。

 

当時の僕は、自分が鬱であると認識しておらず、何だこいつ。と思いはしたが、なんか愛くるしい男だと。そして、多分彼は僕に何も臆せずバンドをしてくれるだろうと思い、バンドに誘ってみた。彼は嬉しそうにしてくれた。が直後「僕が清大さんとバンドをするならば、僕は清大さんには、今の清大さんを変えてほしいです。技術は勿論、メンバーが辞めていった理由などを見直してほしい」と言うようなことを伝えられた。僕は気付いたら泣いていた。彼は僕がダメでも辞めないだろうから、ダメなままでは良くないなと思った。安藤太珠。良い男である。

 

それから太珠と2人だけのバンド生活が始まる。色んなとこに出向きドラムを探すものの、どうしても見つからず、やることもないので、曲を作るのもそこそこで、グルーブを高めることから始めようなどと抜かし、2人で釣りに行ったり、プールに行って泳ぎまくったり、公園でただただ話したり、でもやっぱり最後にはへべれけになるまで飲んでみたり。なんじゃこれ。と流石に青春を浪費しすぎている。音楽をせねば。と、僕の人生初ライブからのお付き合い、袰谷にサポートドラムをお願いできないかと。何度も頼み込んだ末、RECも県外ライブも無理を言って、付き合ってもらい、沢山の物を得た。本当にありがとう。君がいなければ、ほとんどの曲は生まれていなかったよ。

 

そこから正式ドラマーを探さねば、いよいよ、袰谷にも申し訳が立たない。甘え続けてる場合ではない。と振り出しに戻る。いつかのウォークインフェスにて、そんな僕らを見かねた、BACKSKiD Dr.LOVE一郎さんが、こいつドラムしてて、バンドしたいらしいよ。と田舎者のガリガリの坊主が少し伸びたようなガキンチョを紹介してくれた。一言もものを言わぬ、その少年に、僕らはペコリと頭を下げて、その日暮らし見たことある?と尋ねた。

 

「ありません、満身って曲だけ知ってます」

 

ああ、そう。とその場を去った。

何も起きず、その数ヶ月後、志布志ダグリ岬遊園地で、ライブイベントがあると聞いたので、先輩や友人たちと遊びに出かけた。ぷぷぷを観てる最中だったか、フェスで会った少年が、たまたま隣に立っていた。髪はだいぶ伸びていた。

 

しこたま酔っていた俺は、その日暮らしを知らぬ彼に、お前はバンドをやった方がいい。いい目をしてるからなと何度も擦り込んだ。

日は暮れて、S.O.L.での打ち上げでまた彼と遭遇した。彼はウィスキーを気で飲んでいた。お前は何をしてるんだと。隣にある炭酸水で割ってハイボールで飲みなさいと僕は留意した。彼は「ハイボールってなんですか」と聞いてきた。

衝撃を受け、満身しか知らぬ彼を必死にバンドに誘った。ベロベロな俺たちは、今日から俺らは義兄弟だ!と叫びながら兄弟盃を交わしたのだった。緋田俊太。あけまると呼んでくださいと言われ、嫌です。と伝えた。

よかれわるかれ、純粋無垢、著しい成長は俺ら以外が気付いている。緋田俊太。

 

確か、同じタイミングぐらいで、元ジェットマンズGt.の女、が精神を病んでるとの噂を聞きつけ、何だか知らんけど、確かお茶かなんかした気がする。思ったより元気そうな彼女に、僕はその日暮らしの諸々のデザインを手伝ってもらっていた。その時間の中、この子おもろいなぁ。と思い、お金少し払うから、その日暮らしの色々手伝っておくれよ。と言うと、また彼女も嬉しそうに、私でよければ。と言ってくれた。お金はしばらく払われなかった。が、最近は、生き甲斐だとすら、僕らに言ってくれた。あずまはな。ありがとう。お互い、だいぶ健康体になれたな。

 

その日暮らしの歴史を9割近く端折って羅列してみた。10周年の実感などなく、そして、いつものようなライブ前日の緊張感すらないので、書き起こしてみるか。となったが、2700文字前までと、何の変化も起きず。

 

だが、端折った歴史は、僕の心に死ぬことなく轟々と燃えていて、少し涙は溢れそうだ。

 

人々の悲しみや憎しみを、俺は全てを包んで、感謝という感情や言葉で纏めてはいるが、それで本当に正しいのだろうか。昔のメンバーを思えば思うほど。

 

だが、歓喜や喜びも産んでこれた実感も、正直、驚くほどある。お客さんや先輩後輩友だちの顔を思い出せば思い出すほど。

 

日付まわり、

今日のワンマンが終わらないと、

俺はどうしても、

ここから先には進めないのだろう。

 

全ての答えを、今の俺たちで、

約1時間に、確実に宿さんとし、

歓喜や悲哀、全てを取りに行く。

 

駄文極まりないが、

読んでくれて、ありがとう。

 

2022/10/22 SR HALL

The Under For The Over -10-

その日暮らし ワンマン

 

宜しくお願い致します。f:id:s-seidai0509:20221022041715j:image
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如何、狂奏、集音遊民、祖父。

あまり、よく覚えていない。

 

誕生日の日に、12年ぶりに母と電話で話した。

 

色々とあったが、会話は急速に進み、福岡に住む祖父が危篤だと連絡を受けた。

 

その祖父というのも、祖父感はなく、物心ついた時からではなく、だいぶ年を経て、当時の島崎家を救済するべく、内縁の妻と呼ばれる存在と、突然、現れた、救世主という言葉とは程遠い、昭和の残骸のような気難しく、ヤクザなジジイであった。思い出は数知れず、叩かれた頬の痛みだけは新鮮だ。

 

ただ、その人だけは、僕に唯一、嘘 をつかなかった。

 

真偽の末は分からないが、僕が知りたかった、知らなかったこと、知りたくなかったことを全て、僕に教えてくれた。

 

鹿児島SPEED KING、福岡四次元のツアーの2日間の、最中、少しぐらい顔を見に行こうかな。母と会うのは怖いけれど。ぐらいの感覚で、会いに行こうと思ってた。

 

二日前、危篤から一転、超回復を見せ、リハビリを始めたとの連絡があり、まぁ今回の顔見せは、僕の為の延期かなと思っていた。

 

28日、土曜日、16:30頃。

母から、祖父が亡くなったとの連絡を受けた。

リハーサルの直後だったように思う。

あまり明確な感情も感想もなかったのだが、

No Fun Vo.内田秋さんにその話を、世間話の如く伝えた。

 

様々な言葉を貰った。心で綴った。

その内容たちは勿体なくて

今はまだ書けないが、

最後に顔を見たほうが。と、

僕は正直、邪念が取り払えず、

適当な理由を並べた。

 

言い訳を数個用意していた。

 

2022/05/29 福岡四次元への鹿児島からの車内。母から、今日は祖父とは会えないが、明日の火葬には顔を出さんだろうか。と。

 

僕はまだ渋っていた。

メンバーや恋人にも、

あたかも面倒なように、

また適当な理由を並べていた。

 

こんな良き二日間に於いて、

深くまで感情を潜らせたくはなかった。

 

No Funを観た。

煙草のフィルターの方まで

苦いようで香ばしい煙を吸い込むような

いや、吐き出すような言葉と音たちだった。

 

ただ、それだけ。

僕は、明日、行くこと決めた。

今が転機だと思い込めた。

 

人の力だけで、30歳になり、

急遽、訪れる出来事たちを、

抱き締めれるわけでもないし、

掴み続けるわけでもなく、

ただ、なんとなく見過ごす事だけはやめようと、微かに決めた。

 

それだけ。

 

それぐらいの二日間だった。

 

鹿児島SPEED KING

福岡四次元に集ってくれた、皆様に、

心よりの敬意と感謝を。

 

人の死を以て生きていきます。

いつも、ありがとうございます。

 

今日に至り、改めて、

内田秋 という存在に

心より生かされていくような感覚であった。

 

幼少の果て、今。

深くも覚えてないことの方が多いけれど、

24,25歳ぐらいの期間で、双極性障害

PTSDを併発し、様々な問題に直面した挙句、

全ての感情を忘れ、全ての思考が死に直結するようになった期間があった。

 

その期間は、人の3代欲求全てを忘却し、

糞尿の始末もギリなパフォーマンスで、

起きては眠るまで天井を見つめ、

その当時、寄り添ってくれた彼女に発することのできる言葉は、死にたい。という4文字しかなかった。

 

そんなに死にたい人を見たことがないから、そんなに死にたいなら、死んだ方が、貴方のためかも。と泣くことも忘れた彼女は笑顔で僕に言った。

 

後、療養、という言葉に莫大な絶望感を覚えながら、そこからどう生きていったかは、殆ど記憶ないが、酷く痛感したことは、ただ1つだけあって。

 

あぁ、俺は1人では生きていけないのだと。

どんだけ過去を棚に上げたり、不幸ぶっても、人は人なしでは生きていけないのだと、それだけを深く思った夜があった。

全てが治りかけていた時だった気がする。

 

まぁ、結局は、ただ独りよがりの話でしかないのだけれど、俺は、本当の意味で人に感謝することを覚えたり、素直な愛を伝えていくことに喜び覚えた。いつからかは覚えていないし、どうせ、寝て起きたら、どうせ喜びも幸せも無くなっているのだろうけれど。そんなことばかり思ってしまう日々だが、

まぁ、覚えているうちに、漸く正気を保てているうちに、僕の人生を支えてくれた人たちに、感謝や愛を伝えたい。それをみんなにも伝えたい。などと、去年の今頃、考えていた。ので、

 

なんでもない歳だけど、

僕、イベントごとや節目が大好きなので、

キリ良く、僕、今月、30歳。

 

会いに行ける限り愛に生きたい。

 

などと、

 

そんなリスペクト対談を、

なんとなく配信します。

意図はそんな感じです。

 

みんなご都合宜しければ、

覗きに来てください。

 

とてもとても感謝しています。

愛を覚えたりします。

いつもありがとうございます。

 

2022.05.08 15:00-

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もっと頑張ります。

師走

2021/12/08 (水)

ともそだち 週末な平日 アコスタジオ 僕のように腹を立てる友の気持ちと苛立ちよりも真意が気になる俺 そこからくたばる情熱 あけまるとみゆうちゃんのあの感じは本当に腹が立つ。なぜ、そんな言動ができる? その中でも、 自分の実力のうちを思い知る気がする 帰ってきて、不機嫌なあがり 風呂に入った めちゃくちゃ酒を飲んでやった 6割酔った 7時前に眠る 銀魂の実写版を見たいい感じ 今日、笑ったのは山本とゆりやん 明日も仕事 心を殺さないように日々を生きる 日記を書き始める 続けよう

 


2021/12/09 (木)

昼起きて、洗濯を回せた。えらい。いつかの土鍋も洗えた。偉い。早めに仕事に行けた。偉い。猫のトイレ掃除もした。偉い。偉すぎる。そうすると、疲れた。あがりは今日も機嫌が良くない気がする。今から浅草キッドを観ながら一人鍋で晩酌かまそうと企てているが案の定、疲れすぎてて、動けないでいる。バリューのビールは美味いが変に甘い。やはり釈然としない他人のパフォーマンスが尾を引いている。早いとこ形にしないと。

あ、時給が上がった。純粋に嬉しかった。省みる良くないところと、これからもまた一から頑張ろうと素直に思ってる。ほどほどに。

感謝。 浅草キッド、死ぬほど、よかった。

 


2021/12/10(金)

仕事は激務。三日坊主は抜けた。凡に行った。康太郎さんと5時まで。対相手がどうとかではなく、今回の件のそれまでの流れとそこに行き着家からの人の思いの波動が大事。俺は今日から燃えている。アキラとちゃんと話せたのもよかった。酒は気持ちいい。それは人の温度を感じ取れるから。ジャワカレー辛口。美味しかった。今日まで越えれば休み、そして、ライブ。俺の全てを全うする。感謝。なんだかんだ食ってしまう。

 


2021/12/11(土)

日付はズレてる。今日は耐え忍んだというより乗り越えた。レッドブルを誠さんが買ってくれてたことに意味を感じた。忘年会があった。なんとなく、それとなく、日々を感じた。やっぱり疲労が溜まると、うまくパフォーマンスできない。リウたちが来てたし、足が攣った。日々を実感した。苛つきこそが実感だと、思うことは疾患だ。ちんこで動きたくはない。ベロベロでガストに来ている。意味がわからん。眠い。2時間後には起きる。

 


2021.12.12(日)

伊佐に、たくま、あけまる、はなちゃんと行った。さや姉の実家で素麺や鮎、地鶏を食ったり、バーキン食ったり風呂入ったり。色々と祟り、血便が出た。夢ごっこはうんちだつった。帰りは一瞬で市内に着いていた。みんなの優しさを肌に感じた。いいライブができた気がする。伊佐はパワーに溢れてた。

 


2021/12/13(月)

しっかり風邪を引いた。仕事は忙しかった。仕事終わり、あがりとずっと寝ていた。

 


2021/12/14(火)

赤衛門。病院は間に合わず。しっかり風邪をひいているものの、耐え忍んだ。ありがとうございました。誠さんと二日間の思い出話をした。果琳ちゃんが夜中に遊びにきた。あがりも可愛い。風邪はしんどい。

 


2021/12/15(水)

12月は折り返し。体調はあまり回復せず、果琳ちゃん、不機嫌なものの、なかなか起きれず。朝から病院に電話。コロナやインフルの恐れありの為、予約外来。でもコロナではなさそう。約束してたなべしまへGO。牛タンは地獄なものの、ハラミ肉もタレも慣れ親しんでた味。太田さんに会った。嫌いな大人の皮肉、怠い。軽く散歩して、通院。ただの風邪で良かった。帰宅、ダラダラして風呂。あがりが風呂に落ちて、ちゃんと見張ってなかった果琳ちゃんに軽く苛つく。こういうのは日常化すると目立つ。でもあがりは軽く落ち込んでたものの無事。見送り、あけまる以外でスタジオ。なんとなくいけそう。新曲もできそう。明日、歌詞、考える。コンビニご飯。不味い。食わなきゃ良かったレベル。すぐ寝て、3時間後に起床。少し体調は回復。脳が冴えてる。もう一度寝る。おやすみ。

 


2021/12/16(木)

仕事を数時間であがり、中岡さんと石場店長の新しいお店、坊乃家へ。左近允さんと石場店長の心意気が表れた、とてもイカしたお店だった。そして、焼き鳥は言わずもがな美味しい。焼き鳥、基、料理というものは人間性が出るのだと改めて実感。ブレインがいて、際立つラインもあるのだと自負。素敵な時間だった。そして、安すぎる。そのあとは、6トンさんも合流して飲み歩く。変な気持ちの瞬間もあったが、自分が自分らしく存在できるのは周りのおかげだと漸く認識。酔いすぎて帰宅。

 


2021/12/17(金)

風邪と二日酔いで鼻と頭が終わってる。重たい体を叩き起こし仕事へ。年末、週末、少人数、激務。しかし激務にも慣れてきた。誠さんが抑え込んだと言っていた。その通りだ。誠さんのいじりぐせは俺と似てる。チャリをかっ飛ばし、絶唱ズ練習。かましきった。明日がとても楽しみ。暮らしと喝采。という曲が完成。名曲であるように思われる。寂しがってたあがりにたくさんの感謝と愛を言葉にして伝えてみた。確実に伝わった感覚がある。甘えん坊かつ、不機嫌が治りかけた。猫には驚かされることばかり。一服したら眠る。とする。今日も今日とて良い日だった。

 


2021.12.18(土)

16:00-17::00まで出勤。

人は人の理由には気づかない。

MOJOは満員。わかまつごうと、そのひぐらしは類い稀なる成功の証を刻んだ。俺のストレスは、ドロドロを超えて、美しさを表現し、形に残り、人に届いた実感が、余韻としてある。わかまつごうさんに心より感謝を。野間太一さんとたくさん話した。俺はアル中ではなく、ただの詩人であり、天才でアる。音楽があってよかった。変な奴と病気も多い。俺もその一部。しかし、信念は曲げずに生きていく。グレッチをもらった。何かとクソだ。

 


2021/12/20(日)

たくまと風呂入り、買い物行き、財布無くし、生駒さん合流のうえ、M1を見た。時代が変わることを受け入れていくやつはすくない。それは謎。ゲラゲラ笑う、たくまを愛したいが、やはりセンスや、根底の理解しか、俺は笑えない。もっと強く生きろ。錦鯉の優勝に俺は何一つとして、喜びはない。実力が生きていけ。クソが。ハリーポッター見ながらねる。鯛の出汁はイマイチ。実力がない。

 


2021/12/20(月)

忙しかった。生きていることに意思がない奴には、甚だ、怒りしかない。死んでしまえとすら、思う。喜びの概念も生まれないやつの言葉に意味はない。マジでふざけてやがる。さっさと辞めろ。赤塚さんが飲みに誘ってくれたことだけが俺の救い。酔うと腹が減る。しかし、俺はお前らを許せない。まじでふざけろ。

 


2021/12/21(火)

起きれなかった。CoCo壱は不味い。金の浪費。なんだか、テンションは上がらなかった。人に対してのイライラを誰かにぶつけてしまうことほど、愚かなことはない。申し訳ない。MOJOに行った。解決はないものの、褒められたことにより生の実感を感じる。泣いたらゴメンを作り直してくれ、明日の俺。バンドへのアンチテーゼ。

 


俺はなんのために生きてる?久々に少しだけいなくなりたい。あがり、ありがとう。かりんちゃんに電話をする

 


2021/12/22(水)

一回、アラームを寝過ごした。怠惰?

激務。仕事はいつも通り楽しい。

石場店長と省太さんが来店した。

昨日の思いをどうやったらうまく伝えれたのだろうか?俺の悔しさは俺にしかわからんのだと確信した。

来週のための歌詞が降りてきてる。もう何も悩まくていい。諦めのような救いなこと言葉。明日は助のプレゼントと太珠の弦を買いに行く。明日もきっと激務。乗り越えてスタジオ。俺はあの人たちにはわからない部分で悩んでる。どちらも誇示ではない域にいる。俺は馬鹿にされているのだろうか?省太さんなカツ丼を奢ってもらった。吐いた。その情けなさは忘れない。それだけが救い。あがりは首輪を無くしてた。年が明けたら新しいやつを買ってあげよう。あがり、愛しているよ。いつも。ありがとう。

 


2021/12/23(木)

なんだかんだ、起きた。太珠の弦を買いに行き、助のプレゼントを買いに行った。帰りにモスバーガーにホットドッグ、ローソンに黄金チキンを買いに行き、誠さんと食べた。幸せな時間だった。仕事は健太のおかげでなんとか穏便に終わる。金はないけれど、金以上の時間が俺にはある。24:30からスタジオ。あけまるの努力が肌に感じ、音に表れ、僕らの会話のステージは一段上がった。太珠も太珠で自分のラインを引き上げにかかっていた。音よりもマインド。僕らのバンドはそれが全てで、それが音になるように思う。帰るのが寂しくてMOJOに向かう。看板は上がっていたが秀平さんのチャリを発見。クリスマスをみんなで祝った。いろんな人に会った。昔の言葉や嫌悪感はなかなか消えないが、それを踏まえて生きていくしかない、互いに。助は喜んでくれていた。あがりは不機嫌だった。まぁ、とりあえずメリークリスマス。僕はクリスマスが好きだ。明日はホームアローンを見る。

 


2021/12/24(金)

メリークリスマス。

朝、起きて、猫に餌をやり、あつしのプレゼントを買いに行った。出勤。そこまで忙しくはなく、窪田サンタが舞い降りた。倍だぶちは愛に重なり、6チ以上を記録したように思われる。健太とディライトに謝罪飲みに。久々の顔ぶれもずらり、洋介さんは相変わらず潔く優しく。一足先に帰宅。マジで機嫌が悪く、調べた結果、運動不足が要因のため、あがりと長時間遊ぶ。いつも通り、寝れず、ドラマ「ムショぼけ」を一気見。なかなかに食らう。移動のためのプレイリストを入念に作る。はじまる。

 


2021/12/25(土)

あけまると8:30に集合、安めのガソリンを入れて出発。AZでなんやかんや散策しながら、隼人で太珠を拾う。お手製のお出かけプレイリスト流しながら、水俣でマサシをピックアップ。セブンイレブンでチキンを買う。セブンの骨つきが各コンビニのクリスマスチキン界で、堂々の一位を記録。やるじゃん。黙ったり、話したり、しながら、福岡に入る。マサシが、すげえなぁ、都会は建物がでけえなあって言ってたが、彼が見上げた、それらは工場だった。水俣在住工場勤務の彼ですら、やはり福岡の工場はとかくデカいらしい。愛くるしい。僕と祖父と妹と母と福岡の接点を太珠に説明しながら、天神に入る。感傷を掻き消すジョークが大事。すぐリハーサル。ケイタさんが駆けつけビールを奢ってくれる。マサシのライブは邪念や障壁を純粋さで掻き消し、潤いを産んでいた。自然と涙が溢れる。良い男だ。イッキも歴史を感じさせるライブで、しっかりと歌っていた。その日暮らしは、2021年締めくくりに相応わしいライブを行った。僕は漸く真価が見えた気がした。あけまる、本当の意味でおかえり。俺らはまだまだ音楽を続ける。そこに難しい理由は然程、ないように思う。美しさを追い求めている。やらなきゃいけない使命感も何故かある。箱の乾杯打ち上げは、まさにサーカスナイト。タイトロープダンシング。ベイビー今夜だけ、生き延びたい。沢山、飲んだ。昔の友達たちに会いたくなった。長浜御殿でラーメンを食べた。まさしがご馳走してくれた。憎いやつだ。あけまるのスーパードライビングで午前5時、帰宅。メンバー、まさし、四次元に、心より感謝だ。素晴らしいクリスマスだった。あがりと沢山遊んで、今から寝るところ。おやすみ。

 


2021/12/26(日)

夕方まで就寝。昼過ぎにかりんちゃんが来たが、何も出来ず。ただただ爆睡。16時起床、あけまると風呂に行く。あけまるの通常運行ポンコツぶりで危うくライブに遅れそうになる。yard ratとNo edgeツーマン@SR yard rat、とんでもなかった。難しいことを考える隙もないぐらい、ただただ最高。No edgeはマッキーがただただマッキーで、それにめっちゃグッと来た。僕らはバンドマンなんだ。No edgeの3人とその日暮らしと、来年の話を沢山した。それが1番、嬉しかったし、素晴らしかった。そして、こうき、秀平さんが企画する忘年会に行く。生駒さんと千秋もいた。何もない、ただの飲み会。それが良い。千秋と昔の僕が重なっていることを、生駒さんの言葉で思う。サンドイッチとケーキを買って果琳ちゃんとあがりと食べようとしたが、果琳ちゃん泥酔で叶わず。少し不機嫌な気持ちで寝た。

 


2021/12/27(月)

始まった年の瀬。誠さんは休みがない。忙しいが、なんだか慣れてきている。多少のミスはしてしまう。申し訳ない。やはり嫌いな奴は嫌いなままなんだなと思う。そこで、心の狭さに落ち込む。面倒である。ドンキで買い物をして、帰宅。あがりと遊び、風呂をためて入り洗濯を回した。風呂上がりにコーラを飲んだ。美味かった。映画を見ようと思う。ドント・ルック・アップ

 


2021/12/28(月)

ドントルックアップ、音楽の、余韻が消えない。トゥルーマン・ショーを見た時の心のざらつき、令和。いい作品は心が躍る。生きてる価値を見出す。俺はいつだって自分に見出せないからだ。今日も食べすぎた。宇宙兄弟を見ながら眠った。あがりと一緒に。起床して、ニワトリパックを買って赤衛門に向かう。揚げ直しの意味。秀平さんがチキンナゲットとレッドブルを買ってきてくれた。とても良い仕事時間だった。ナルトの走り方が面白い。秀平さんとmojoに行き、さや姉とゆかさんに呼ばれ、ディライトで助なんかも交えて、忘年会。秀平さんのノーフューチャーノークライが響く。胸に響く。

 


12月29日(火)

これを書いてる日は金曜である。

ここの日はあまり覚えていない。

仕事だったことは確か。

仕事終わりMOJOに行き、酒を飲みながら歌詞を書いた。感嘆するほど良い歌詞を書いた。スタジオとは違い現状で褒めてくれるコータローさんがいることで、尚更、良き曲に高められた。カケルさんと秀平さんと平田橋ファミリーマートで2時間弱、話をした。6時から秀平さんと鍋をした。バターの味が効いていた。まさしの話をしながら眠りについた。

 


2021/12/30(木)

死ぬほど眠かった。少し早めに出勤、気持ち程度の仕事をしてライブに向かった。泣いたらゴメン。錚々たるメンツだったように思う。ありがとうございました。照準をあてきったライブだった。聖夜さんは45分したが、娘の歌は涙が止まらず、ゆらちゃんの2曲目は確信を射抜いていた。あんな歌が歌いたい。まつきよにはブランクしか感じれなかった。僕はなんとか終着は見えた。助は初めて良く無いライブを見た。ふわふわと緊張とチューニング。そう、まさに大竹さんは全てのチューニングとピッチが揃っていた。説得力を超えた音楽の果て。愛しかない。それだけで俺らはきっと救われた。打ち上げは寝た。疲れていた。聖夜さんとファミマの弁当などを食って寝た。そういえば、誠さんの子供が生まれ、ありす、妹の誕生日だった。

 


2021/12/31(金)

目覚めはよかった。聖夜さんを初めて見遅れた。少し寝て早めに仕事。忙しかった。誠さんのイライラにイライラした。それはたぶん、誠さんが僕に苛ついていたからであろう。お年玉とボーナスを頂いた。不思議な気持ちを嬉しさが上回った。飲みに行った。祝福ムードは一転、各々の仕事のペースと人生のペースが合わないことからの障壁。僕はずっと辛かった。言われたくなかった言葉、気を遣いすぎたが故、伝わっていなかったことを全部、言葉にされた。社会だから、大人だからで飲み込んだ言葉たちを僕はイマイチ、落ち着けれぬまま、帰宅した。ここで一生、働くことを諦めた瞬間であった。お疲れ様でした。でも、確実に、いや、きっと俺は良い一年だった。それがみんなのおかげであるから、俺は明日も多分、何も言えない。明けまして、おめでとう。

たられば

 

WALK INN FES ! 2021に添えて。

 

未曾有の疫病が蔓延する街、

乗り越えるための策と手段、

知能、そして、思想。

長すぎた冬が終わろうとしていた。

 

一筋の光を皆、見て見ぬふりしながら、

空気の揺らぎに身を任せ、

憂鬱な日々を送る。

 

でも俺は。やっぱり皆と。

そんな言葉をアテに、毎晩、

発泡酒で溜飲を飲み込む。

 

でもやっぱり店で飲む生ビールが美味いよね。

でもさ、やっぱりさ。

家で1人溜息混じりより、

ガヤガヤ、と、もくもく。

みんなと飲む酒が美味いよな。

 

独り、暗闇。舌打ちと溜め息の連続。

そういや、人に会ってないな。

あいつ、元気かな。あぁ、あいつ辞めたんだ。

そうだよな。俺も自分のことばかりで、

あいつのこと思い出す余裕もなかったな。

まぁ仕方ねえか。そりゃ暗闇だと光が明るく見えるわな。絶景なんて言葉、よく歌えたもんだ。泣けなくなって、情けないな。

 

天邪鬼。俺。

みんなが群れて元気だと、元気なくすし、

みんなが孤独で落ち込んでると、元気だし。

 

できないから、馬鹿なりに、

やれることを模索する日々。

自分の才能の無さを痛感する日々。困惑。

人に当たることも許されない中、気付けば。

 

WALK INN FES!2021

僕らの街は、僕らで創る。

ソーシャルディスタンスを美しくデザインする。

フェスでミーティングをしよう。

 

その言葉たちをモットーに、

信念を念頭に。そして、希望に。

国分、下井海岸、キャンプ場。

 

鹿児島市内からは少し離れていて、

先輩のロックの歴史語りながら、

到着したその場所は、瞬間、

やたらと広く感じたものの、

ディスタンス保ちながら、

優しく温かい距離感を保持し、

ここまで青くなるもんかね、空と海。

小さな出店、走り回る子供、

よく見る顔や、あまり見ない顔、

「世代交代」「背負う意義」

「ラフ」「音楽よりキャンプな奴」

様々な意思が、国分の内海を彩り、

砂漠のような気候変化も人の温度を高め、

ゲストに負けじと地元バンドも、

ローカルの意地を叩きつける。と思いきや、

目を見て優しく説得に臨むような、

最高のライブ、そのバンドのバトンを渡していく。

 

「なるほどなあ。」と、

「まぁ仕方ないか。」

を繰り返し、10日、日中。

 

俺ら、

その日暮らし、しっかりと

勝手に受け取ったバトンを、

俺たちなりに昇華させてみて、

一旦大きくしながら、

次の奴に繋ぐ。繋がった瞬間、

他人の器で、自分のバトンの

本当の大きさと意味あいを知る。

 

このリレーマラソンは、

いつまでも終わらせないよ。と、

国分の沈む夕日に約束したところで、

先輩たちの堂々たる背中と、その握力に、

気付かされながら、煙草を深く吸い込み、流れた何かの塩っけと潮風で、メガハイボールをごくり流し込む。なんだか余計に涙が流れてくる。

 

恥の多い生涯を送ってきました。

なんて言葉もギャグになってしまう世の中と、

自分の愚かさを棚に上げながら、

人に愛を配ろうなんて、川魚が地上を四肢で歩く、ぐらい馬鹿な夢なんだけど、

僕が過ごした今年のフェス。

 

まるで、全てを許されてるような、

あたかも、心より愛されてるような、

たられば、そんな雰囲気、その実感。

 

僕、素直に。生きててよかった。

幸せだな。と思えた。

これが大それた話でも、勝ち誇ってるわけでもなく、ただ、僕が、偶々、その場に存在して、

勝手に感じ取ったわけで、

僕が傷つけてきた人たちや、

その場にあらゆる事情で来れなかった人たち

それらに何かが勝ることなんて一切もなく。

 

ただ、俺、なんとなく実感しただけ。

そこへのカウンターカルチャーな人々の気持ちや思想、痛いほど、わかるし。元々そっち側だし。

 

でも、俺はいつだって、

腑に落ちる部分を探していたし、

人に肯定されたかったから。

 

今までメンバー死ぬほど、辞めたけど、

付き合ってる彼女が6歳の時からバンドしてても、いつだって不安だし、こんなに僕を好きな優しいメンバーとバンドを続けても、矢鱈と不満募るし。でも、まぁそんなもんか。納得できた時点で、俺らなんて、きっと存在しないもんな。

 

あぁあいつに、この話したかったや、辞める前に。

 

とか思ったんで、ブログに纏めました。

 

正直、自分がどれほどの力になれたかはわからないけれど、僕らの街は、僕らの周りは、創られ始めてると思うので、僕は僕の、僕らは僕らの、居場所を大きくしていくよ。

 

虚しくなりながら、

苛立ちながら、

愛される不安に恐れながら。

喜びながら、愛を囁きながら、

皮肉混じりで大きな声を上げながら。

 

たったこの一瞬でも、

全ての人に僕の歌をしかと伝えようと

僕自身に思わせてくれたこと。

鹿児島を再度、愛せたこと。

カウンターカルチャーの皮肉を強く抱きしめたくなったこと。

海と人間の素晴らしさを知ったこと。

 

WALK INN FES!スタッフ、mojo芸術展、

SAKKAKU、先輩、知らん後輩、尊敬してくれる奴、ですです隊の皆様、お客さま、メンバー、安田映像研究所に、関わってくださった方々に、心よりの愛と、リスペクトを。

 

バンドマン、やっぱりかっこいいよ。

憎しみと悔しさ火種に、

より愛燃やしていこう。自分たちで。

それは革命となる日が来るよ。

 

幼子

3号線のはずれ、音に乗る自転車は映画。

大きく息を吸った。繊維越しでは足りない。

きっと、確かに、優しく確かな暖かい匂い。

暗くないと明るくなれないし、

寒くないと暖かくできないから。

 


マーベラスな彼はキャプテン。

ニュートラルな夜はエブリデイ。

ヒューマニズム。人間賛歌。

ラブソング。人間賛歌。

 


パズル埋めるために書いてる。

素面のまま、描いてる。