「こばちどり 清 」を始めるにあたり。
久々のブログです。
明けまして、おめでとうございます。
本をあまり読まなくなった今、内を鬱屈とする文学魂も少なくなってきて、ブログを書かなくなったものの、自分だけと向き合いながら、多少なりの承認欲求を満たすのに、めちゃめちゃ相応しい場所、そう、はてなブログです。
本題。
幼少期。
物心ついた3歳半、よく覚えている。
母は基本的に家にいない。
天文館あけぼの横、パーティワン上、8畳と1キッチンの間取りに住んでいた。母も父も夜の仕事で、ずっとお留守番だった。家のすぐ近く、今はタツミ亭、元ボン弁当、その横は、中華料理屋。保育園終わり、1人。小気味良く振るわれる中華鍋を毎日のように見に行っていた。その隣のボン弁当、チキンステーキ弁当を、置かれたお金で買いに行っていた。何の疑問もなく。
小学2年。両親は離婚し、妹とも離れ離れ。
僕は母に引き取られた。決して貧乏でもないが、確実に裕福ではない。しかし、母も若い。バリバリのバンドマン。そんな中、俺を食わす為に、一日中、働き回っていた。帰ってこない夜も度々。別段、何の疑問もなく、ただ日常を過ごすだけ。
その中、
母が買ってくる、ほっともっと(ほかほか亭)の弁当、マックスバリュやタイヨーの惣菜、週一で行く祖母の家の手作り夜ご飯と薄く巻いた卵焼きメインの持ち帰り弁当。
その頃から食というものに支配される感覚。
感覚はあるものの、何の考えもなく、僕にただ渦巻くものは、漠然とした寂しさ。飯なんて1人で食っても味もせんし、なんとなく虚しいだけ。誰かとご飯を食べたい。なんとなくこの感覚、打破したい。
小学3年、母が今日も帰ってこなかった。腐った素麺、腐った米、食い飽きたインスタントラーメン、インスタントカレー。食べたくなかった。齧り付くように見ていたテレビ。NHK、ひとりでできるもん。漬物の漬け方を放送していた。今は、時効であろう、近所のスーパーに行き、白菜を、丸々、一玉。万引きした、小3の俺。周りから見たらきっと、駐車場まで運ぶお手伝いをしている子供。特段、罪悪感もなく、寧ろ、ワクワクした足取りで、そこから5分、早歩きで家へと帰路する。
盗んだ白菜を覚束ない手つきで切り分け、
家にある、いつのかわからない、食塩、薄口醤油を駆使し、ベランダの室外機下のコンクリートブロックをトンカチで砕き、その破片で、白菜を漬け込んだ。腐った米を炊き、腐った卵を目玉焼きにし、食したのを覚えている。とんでもなく興奮した。なんだか、とてもおいしかった。なんとなく始まった気がした。
僕の唯一の楽しみ、週末だけ、祖母の家に預けられる二日間。温かいご飯を、祖母と母の妹と囲む。忌み嫌われながらも、とても美味しい食事にありつく感覚は今も消えない。
そこから祖母の調理過程を見守るようになる。こんなに美味しいご飯を、家で1人でも、毎日食べれたら、そこまで寂しくないんじゃなかろうか。と。
とにかく寂しさを埋め合わす為に、インスタントでは役不足、とにかく自分で美味いものを作り続けるべきだと思っていた。俺が本当の意味で満たされるから。
しかし、母が買ってくる惣菜や弁当もとにかくおいしかった。それは母がそこにいたからだった。
飲食店で働こうと思った。
人の幸せは飯で成り立つんじゃないかと本気で思っていた。どれだけ満たされぬ日々を過ごしていようが、死にたかろうが、飯を食うということは、心を繋ぎ、生き抜く事に繋がるのだと思っていた。それが1人ではなく誰かとなら、尚更。
17歳、居酒屋で働き出す。常識も何も知らぬ俺には全てが不満だったし、全てが想像外だった。しかし、自分が作ったものを、その場で人が喜んだり、怒ったり、感想が瞬時に出される感覚はとても興奮した。そうなのだ。
中身は、僕が唯一、信じた、バンド活動と何一つ変わらないのである。そこに思想や感情、味だけではなく、全てが作用して何かが産まれていく感覚は、何となく僕には、またしても興奮へと繋がる。
ご飯を作るという行為は、
どうにか人に喜んでもらったり、わかりやすい愛を伝えたり、感謝を表現するための、わかりやすいツールとして備わっていた。
それら全てに深みを色づけてくれた
西屋、ほっともっと、たけとし、ダイニングバースト、赤衛門、数々、お世話になったお店たち。
綺麗事では終わらせれないぐらいの迷惑をかけたりもしたが、それでも、どうにか、貰ってきたものを返したかった。
僕が持ち合わせている飲食への情熱や感謝と、それを含めバンドを続けていくという行為。僕が中途半端な立場で、もがいている感覚を見兼ねた生駒さんたちの言葉。
売れてもないけど、
その日暮らしで曲を作り、
メンバーで鳴らし、ライブをし、
誰かが喜んでくれる感覚は、
大好きな人たちにご飯を作り、
なんとなく興奮してくれる感覚は
限りなく近い。接客の苦手さとMCの苦手さも限りなく近い。
が、僕はいつだって、誰かに肯定されたいし評価されたいし、とにかく喜んでもほしい。怒られるタイミングでは、ちゃんと怒られたい。
飯食うことはきっと死ぬまでおもろいし、とにかく僕の力で、どうにか人にずっと喜んでもらいたいし。
いつか分かりやすく、今よりも、もっと、それらを、表現できたらいいのにな。という一つの夢が、
数々の人の協力や思いを経て、また一つ叶いそうです。
幼少期の僕や、今の僕を囲む方々、それまでの道中、僕が傷つけてきた方々も、これから出会っていく人たちのことも、
少しでも喜ばせることができるよう、食の素晴らしさを伝えれるよう、
こばちどり 清 で、答え合わせしていきたいと思っています。そして、また新たな答えを模索し正解に近づけていきたいと思っています。
よかったら、応援してください。
こばちどり清も、
その日暮らしも、何卒、
宜しくお願い致します。
ライブハウスでも、お店でも、
お待ちしております。