コップ一杯、
すれすれの表面張力。
そこに人からの僕へのインプット、
正に、石を投げられるかのような。
そんなこんなで、私、限界でした。
誰かの何かを遮断しなければいけないのに、
結局、詰まるところ(言葉通り)ぶち当たるのは、
人(他人)なのでした。
20代は誰かに対して、自分と同等の、マインド、思想、方法など、共有できないことに、ただイラついていた。
けど30代、駆け出しの序盤。
諦めていくことの素晴らしさを実感。
それは誰かに対してのディスではなく、
元々、それ。役割があると踏んだ。
しかし、慣れないこの行動に対し、哀しさというより、虚しさを産んだ。自分勝手に生きてきた自分と、思ったより自分勝手な周囲の言動を目を取られ、絶望もした。でも、本当は元から、そんなもんだった。
青春とか初期衝動みたいな、それぞれでは片付くはずのない俺の人生は、幼少期のコンプレックスが産んだ、大きな黒い塊。
そいつが、全てを諦めさす。
純文学を、いくら取り入れようと、片付かない、この人生を、漸く青年期の俺は、どうやって処理していけばいいのだろう。そこまでのキャパがないことは、重々、承知の介。
月、照らす、マンションの狭間を垣間見る。
誰のためにもならない景色のように生きていく他ない。僕の生き様、その先の死に様。
死を急ぐように、生き急いでいる。
今日も自分の心の賽の目が、どう転ぶかわからないまま酒を飲み、明日の朝、胃もたれぐらいの憂鬱と共に目覚める。
今までとは比にならないぐらい死を間近に感じている。待望のゲームの新作を待つように、生きていきたい。
ごめんなさい。