島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

如何、狂奏、集音遊民、祖父。

あまり、よく覚えていない。

 

誕生日の日に、12年ぶりに母と電話で話した。

 

色々とあったが、会話は急速に進み、福岡に住む祖父が危篤だと連絡を受けた。

 

その祖父というのも、祖父感はなく、物心ついた時からではなく、だいぶ年を経て、当時の島崎家を救済するべく、内縁の妻と呼ばれる存在と、突然、現れた、救世主という言葉とは程遠い、昭和の残骸のような気難しく、ヤクザなジジイであった。思い出は数知れず、叩かれた頬の痛みだけは新鮮だ。

 

ただ、その人だけは、僕に唯一、嘘 をつかなかった。

 

真偽の末は分からないが、僕が知りたかった、知らなかったこと、知りたくなかったことを全て、僕に教えてくれた。

 

鹿児島SPEED KING、福岡四次元のツアーの2日間の、最中、少しぐらい顔を見に行こうかな。母と会うのは怖いけれど。ぐらいの感覚で、会いに行こうと思ってた。

 

二日前、危篤から一転、超回復を見せ、リハビリを始めたとの連絡があり、まぁ今回の顔見せは、僕の為の延期かなと思っていた。

 

28日、土曜日、16:30頃。

母から、祖父が亡くなったとの連絡を受けた。

リハーサルの直後だったように思う。

あまり明確な感情も感想もなかったのだが、

No Fun Vo.内田秋さんにその話を、世間話の如く伝えた。

 

様々な言葉を貰った。心で綴った。

その内容たちは勿体なくて

今はまだ書けないが、

最後に顔を見たほうが。と、

僕は正直、邪念が取り払えず、

適当な理由を並べた。

 

言い訳を数個用意していた。

 

2022/05/29 福岡四次元への鹿児島からの車内。母から、今日は祖父とは会えないが、明日の火葬には顔を出さんだろうか。と。

 

僕はまだ渋っていた。

メンバーや恋人にも、

あたかも面倒なように、

また適当な理由を並べていた。

 

こんな良き二日間に於いて、

深くまで感情を潜らせたくはなかった。

 

No Funを観た。

煙草のフィルターの方まで

苦いようで香ばしい煙を吸い込むような

いや、吐き出すような言葉と音たちだった。

 

ただ、それだけ。

僕は、明日、行くこと決めた。

今が転機だと思い込めた。

 

人の力だけで、30歳になり、

急遽、訪れる出来事たちを、

抱き締めれるわけでもないし、

掴み続けるわけでもなく、

ただ、なんとなく見過ごす事だけはやめようと、微かに決めた。

 

それだけ。

 

それぐらいの二日間だった。

 

鹿児島SPEED KING

福岡四次元に集ってくれた、皆様に、

心よりの敬意と感謝を。

 

人の死を以て生きていきます。

いつも、ありがとうございます。

 

今日に至り、改めて、

内田秋 という存在に

心より生かされていくような感覚であった。

 

幼少の果て、今。

深くも覚えてないことの方が多いけれど、

24,25歳ぐらいの期間で、双極性障害

PTSDを併発し、様々な問題に直面した挙句、

全ての感情を忘れ、全ての思考が死に直結するようになった期間があった。

 

その期間は、人の3代欲求全てを忘却し、

糞尿の始末もギリなパフォーマンスで、

起きては眠るまで天井を見つめ、

その当時、寄り添ってくれた彼女に発することのできる言葉は、死にたい。という4文字しかなかった。

 

そんなに死にたい人を見たことがないから、そんなに死にたいなら、死んだ方が、貴方のためかも。と泣くことも忘れた彼女は笑顔で僕に言った。

 

後、療養、という言葉に莫大な絶望感を覚えながら、そこからどう生きていったかは、殆ど記憶ないが、酷く痛感したことは、ただ1つだけあって。

 

あぁ、俺は1人では生きていけないのだと。

どんだけ過去を棚に上げたり、不幸ぶっても、人は人なしでは生きていけないのだと、それだけを深く思った夜があった。

全てが治りかけていた時だった気がする。

 

まぁ、結局は、ただ独りよがりの話でしかないのだけれど、俺は、本当の意味で人に感謝することを覚えたり、素直な愛を伝えていくことに喜び覚えた。いつからかは覚えていないし、どうせ、寝て起きたら、どうせ喜びも幸せも無くなっているのだろうけれど。そんなことばかり思ってしまう日々だが、

まぁ、覚えているうちに、漸く正気を保てているうちに、僕の人生を支えてくれた人たちに、感謝や愛を伝えたい。それをみんなにも伝えたい。などと、去年の今頃、考えていた。ので、

 

なんでもない歳だけど、

僕、イベントごとや節目が大好きなので、

キリ良く、僕、今月、30歳。

 

会いに行ける限り愛に生きたい。

 

などと、

 

そんなリスペクト対談を、

なんとなく配信します。

意図はそんな感じです。

 

みんなご都合宜しければ、

覗きに来てください。

 

とてもとても感謝しています。

愛を覚えたりします。

いつもありがとうございます。

 

2022.05.08 15:00-

f:id:s-seidai0509:20220502063145j:image

 

 

もっと頑張ります。

師走

2021/12/08 (水)

ともそだち 週末な平日 アコスタジオ 僕のように腹を立てる友の気持ちと苛立ちよりも真意が気になる俺 そこからくたばる情熱 あけまるとみゆうちゃんのあの感じは本当に腹が立つ。なぜ、そんな言動ができる? その中でも、 自分の実力のうちを思い知る気がする 帰ってきて、不機嫌なあがり 風呂に入った めちゃくちゃ酒を飲んでやった 6割酔った 7時前に眠る 銀魂の実写版を見たいい感じ 今日、笑ったのは山本とゆりやん 明日も仕事 心を殺さないように日々を生きる 日記を書き始める 続けよう

 


2021/12/09 (木)

昼起きて、洗濯を回せた。えらい。いつかの土鍋も洗えた。偉い。早めに仕事に行けた。偉い。猫のトイレ掃除もした。偉い。偉すぎる。そうすると、疲れた。あがりは今日も機嫌が良くない気がする。今から浅草キッドを観ながら一人鍋で晩酌かまそうと企てているが案の定、疲れすぎてて、動けないでいる。バリューのビールは美味いが変に甘い。やはり釈然としない他人のパフォーマンスが尾を引いている。早いとこ形にしないと。

あ、時給が上がった。純粋に嬉しかった。省みる良くないところと、これからもまた一から頑張ろうと素直に思ってる。ほどほどに。

感謝。 浅草キッド、死ぬほど、よかった。

 


2021/12/10(金)

仕事は激務。三日坊主は抜けた。凡に行った。康太郎さんと5時まで。対相手がどうとかではなく、今回の件のそれまでの流れとそこに行き着家からの人の思いの波動が大事。俺は今日から燃えている。アキラとちゃんと話せたのもよかった。酒は気持ちいい。それは人の温度を感じ取れるから。ジャワカレー辛口。美味しかった。今日まで越えれば休み、そして、ライブ。俺の全てを全うする。感謝。なんだかんだ食ってしまう。

 


2021/12/11(土)

日付はズレてる。今日は耐え忍んだというより乗り越えた。レッドブルを誠さんが買ってくれてたことに意味を感じた。忘年会があった。なんとなく、それとなく、日々を感じた。やっぱり疲労が溜まると、うまくパフォーマンスできない。リウたちが来てたし、足が攣った。日々を実感した。苛つきこそが実感だと、思うことは疾患だ。ちんこで動きたくはない。ベロベロでガストに来ている。意味がわからん。眠い。2時間後には起きる。

 


2021.12.12(日)

伊佐に、たくま、あけまる、はなちゃんと行った。さや姉の実家で素麺や鮎、地鶏を食ったり、バーキン食ったり風呂入ったり。色々と祟り、血便が出た。夢ごっこはうんちだつった。帰りは一瞬で市内に着いていた。みんなの優しさを肌に感じた。いいライブができた気がする。伊佐はパワーに溢れてた。

 


2021/12/13(月)

しっかり風邪を引いた。仕事は忙しかった。仕事終わり、あがりとずっと寝ていた。

 


2021/12/14(火)

赤衛門。病院は間に合わず。しっかり風邪をひいているものの、耐え忍んだ。ありがとうございました。誠さんと二日間の思い出話をした。果琳ちゃんが夜中に遊びにきた。あがりも可愛い。風邪はしんどい。

 


2021/12/15(水)

12月は折り返し。体調はあまり回復せず、果琳ちゃん、不機嫌なものの、なかなか起きれず。朝から病院に電話。コロナやインフルの恐れありの為、予約外来。でもコロナではなさそう。約束してたなべしまへGO。牛タンは地獄なものの、ハラミ肉もタレも慣れ親しんでた味。太田さんに会った。嫌いな大人の皮肉、怠い。軽く散歩して、通院。ただの風邪で良かった。帰宅、ダラダラして風呂。あがりが風呂に落ちて、ちゃんと見張ってなかった果琳ちゃんに軽く苛つく。こういうのは日常化すると目立つ。でもあがりは軽く落ち込んでたものの無事。見送り、あけまる以外でスタジオ。なんとなくいけそう。新曲もできそう。明日、歌詞、考える。コンビニご飯。不味い。食わなきゃ良かったレベル。すぐ寝て、3時間後に起床。少し体調は回復。脳が冴えてる。もう一度寝る。おやすみ。

 


2021/12/16(木)

仕事を数時間であがり、中岡さんと石場店長の新しいお店、坊乃家へ。左近允さんと石場店長の心意気が表れた、とてもイカしたお店だった。そして、焼き鳥は言わずもがな美味しい。焼き鳥、基、料理というものは人間性が出るのだと改めて実感。ブレインがいて、際立つラインもあるのだと自負。素敵な時間だった。そして、安すぎる。そのあとは、6トンさんも合流して飲み歩く。変な気持ちの瞬間もあったが、自分が自分らしく存在できるのは周りのおかげだと漸く認識。酔いすぎて帰宅。

 


2021/12/17(金)

風邪と二日酔いで鼻と頭が終わってる。重たい体を叩き起こし仕事へ。年末、週末、少人数、激務。しかし激務にも慣れてきた。誠さんが抑え込んだと言っていた。その通りだ。誠さんのいじりぐせは俺と似てる。チャリをかっ飛ばし、絶唱ズ練習。かましきった。明日がとても楽しみ。暮らしと喝采。という曲が完成。名曲であるように思われる。寂しがってたあがりにたくさんの感謝と愛を言葉にして伝えてみた。確実に伝わった感覚がある。甘えん坊かつ、不機嫌が治りかけた。猫には驚かされることばかり。一服したら眠る。とする。今日も今日とて良い日だった。

 


2021.12.18(土)

16:00-17::00まで出勤。

人は人の理由には気づかない。

MOJOは満員。わかまつごうと、そのひぐらしは類い稀なる成功の証を刻んだ。俺のストレスは、ドロドロを超えて、美しさを表現し、形に残り、人に届いた実感が、余韻としてある。わかまつごうさんに心より感謝を。野間太一さんとたくさん話した。俺はアル中ではなく、ただの詩人であり、天才でアる。音楽があってよかった。変な奴と病気も多い。俺もその一部。しかし、信念は曲げずに生きていく。グレッチをもらった。何かとクソだ。

 


2021/12/20(日)

たくまと風呂入り、買い物行き、財布無くし、生駒さん合流のうえ、M1を見た。時代が変わることを受け入れていくやつはすくない。それは謎。ゲラゲラ笑う、たくまを愛したいが、やはりセンスや、根底の理解しか、俺は笑えない。もっと強く生きろ。錦鯉の優勝に俺は何一つとして、喜びはない。実力が生きていけ。クソが。ハリーポッター見ながらねる。鯛の出汁はイマイチ。実力がない。

 


2021/12/20(月)

忙しかった。生きていることに意思がない奴には、甚だ、怒りしかない。死んでしまえとすら、思う。喜びの概念も生まれないやつの言葉に意味はない。マジでふざけてやがる。さっさと辞めろ。赤塚さんが飲みに誘ってくれたことだけが俺の救い。酔うと腹が減る。しかし、俺はお前らを許せない。まじでふざけろ。

 


2021/12/21(火)

起きれなかった。CoCo壱は不味い。金の浪費。なんだか、テンションは上がらなかった。人に対してのイライラを誰かにぶつけてしまうことほど、愚かなことはない。申し訳ない。MOJOに行った。解決はないものの、褒められたことにより生の実感を感じる。泣いたらゴメンを作り直してくれ、明日の俺。バンドへのアンチテーゼ。

 


俺はなんのために生きてる?久々に少しだけいなくなりたい。あがり、ありがとう。かりんちゃんに電話をする

 


2021/12/22(水)

一回、アラームを寝過ごした。怠惰?

激務。仕事はいつも通り楽しい。

石場店長と省太さんが来店した。

昨日の思いをどうやったらうまく伝えれたのだろうか?俺の悔しさは俺にしかわからんのだと確信した。

来週のための歌詞が降りてきてる。もう何も悩まくていい。諦めのような救いなこと言葉。明日は助のプレゼントと太珠の弦を買いに行く。明日もきっと激務。乗り越えてスタジオ。俺はあの人たちにはわからない部分で悩んでる。どちらも誇示ではない域にいる。俺は馬鹿にされているのだろうか?省太さんなカツ丼を奢ってもらった。吐いた。その情けなさは忘れない。それだけが救い。あがりは首輪を無くしてた。年が明けたら新しいやつを買ってあげよう。あがり、愛しているよ。いつも。ありがとう。

 


2021/12/23(木)

なんだかんだ、起きた。太珠の弦を買いに行き、助のプレゼントを買いに行った。帰りにモスバーガーにホットドッグ、ローソンに黄金チキンを買いに行き、誠さんと食べた。幸せな時間だった。仕事は健太のおかげでなんとか穏便に終わる。金はないけれど、金以上の時間が俺にはある。24:30からスタジオ。あけまるの努力が肌に感じ、音に表れ、僕らの会話のステージは一段上がった。太珠も太珠で自分のラインを引き上げにかかっていた。音よりもマインド。僕らのバンドはそれが全てで、それが音になるように思う。帰るのが寂しくてMOJOに向かう。看板は上がっていたが秀平さんのチャリを発見。クリスマスをみんなで祝った。いろんな人に会った。昔の言葉や嫌悪感はなかなか消えないが、それを踏まえて生きていくしかない、互いに。助は喜んでくれていた。あがりは不機嫌だった。まぁ、とりあえずメリークリスマス。僕はクリスマスが好きだ。明日はホームアローンを見る。

 


2021/12/24(金)

メリークリスマス。

朝、起きて、猫に餌をやり、あつしのプレゼントを買いに行った。出勤。そこまで忙しくはなく、窪田サンタが舞い降りた。倍だぶちは愛に重なり、6チ以上を記録したように思われる。健太とディライトに謝罪飲みに。久々の顔ぶれもずらり、洋介さんは相変わらず潔く優しく。一足先に帰宅。マジで機嫌が悪く、調べた結果、運動不足が要因のため、あがりと長時間遊ぶ。いつも通り、寝れず、ドラマ「ムショぼけ」を一気見。なかなかに食らう。移動のためのプレイリストを入念に作る。はじまる。

 


2021/12/25(土)

あけまると8:30に集合、安めのガソリンを入れて出発。AZでなんやかんや散策しながら、隼人で太珠を拾う。お手製のお出かけプレイリスト流しながら、水俣でマサシをピックアップ。セブンイレブンでチキンを買う。セブンの骨つきが各コンビニのクリスマスチキン界で、堂々の一位を記録。やるじゃん。黙ったり、話したり、しながら、福岡に入る。マサシが、すげえなぁ、都会は建物がでけえなあって言ってたが、彼が見上げた、それらは工場だった。水俣在住工場勤務の彼ですら、やはり福岡の工場はとかくデカいらしい。愛くるしい。僕と祖父と妹と母と福岡の接点を太珠に説明しながら、天神に入る。感傷を掻き消すジョークが大事。すぐリハーサル。ケイタさんが駆けつけビールを奢ってくれる。マサシのライブは邪念や障壁を純粋さで掻き消し、潤いを産んでいた。自然と涙が溢れる。良い男だ。イッキも歴史を感じさせるライブで、しっかりと歌っていた。その日暮らしは、2021年締めくくりに相応わしいライブを行った。僕は漸く真価が見えた気がした。あけまる、本当の意味でおかえり。俺らはまだまだ音楽を続ける。そこに難しい理由は然程、ないように思う。美しさを追い求めている。やらなきゃいけない使命感も何故かある。箱の乾杯打ち上げは、まさにサーカスナイト。タイトロープダンシング。ベイビー今夜だけ、生き延びたい。沢山、飲んだ。昔の友達たちに会いたくなった。長浜御殿でラーメンを食べた。まさしがご馳走してくれた。憎いやつだ。あけまるのスーパードライビングで午前5時、帰宅。メンバー、まさし、四次元に、心より感謝だ。素晴らしいクリスマスだった。あがりと沢山遊んで、今から寝るところ。おやすみ。

 


2021/12/26(日)

夕方まで就寝。昼過ぎにかりんちゃんが来たが、何も出来ず。ただただ爆睡。16時起床、あけまると風呂に行く。あけまるの通常運行ポンコツぶりで危うくライブに遅れそうになる。yard ratとNo edgeツーマン@SR yard rat、とんでもなかった。難しいことを考える隙もないぐらい、ただただ最高。No edgeはマッキーがただただマッキーで、それにめっちゃグッと来た。僕らはバンドマンなんだ。No edgeの3人とその日暮らしと、来年の話を沢山した。それが1番、嬉しかったし、素晴らしかった。そして、こうき、秀平さんが企画する忘年会に行く。生駒さんと千秋もいた。何もない、ただの飲み会。それが良い。千秋と昔の僕が重なっていることを、生駒さんの言葉で思う。サンドイッチとケーキを買って果琳ちゃんとあがりと食べようとしたが、果琳ちゃん泥酔で叶わず。少し不機嫌な気持ちで寝た。

 


2021/12/27(月)

始まった年の瀬。誠さんは休みがない。忙しいが、なんだか慣れてきている。多少のミスはしてしまう。申し訳ない。やはり嫌いな奴は嫌いなままなんだなと思う。そこで、心の狭さに落ち込む。面倒である。ドンキで買い物をして、帰宅。あがりと遊び、風呂をためて入り洗濯を回した。風呂上がりにコーラを飲んだ。美味かった。映画を見ようと思う。ドント・ルック・アップ

 


2021/12/28(月)

ドントルックアップ、音楽の、余韻が消えない。トゥルーマン・ショーを見た時の心のざらつき、令和。いい作品は心が躍る。生きてる価値を見出す。俺はいつだって自分に見出せないからだ。今日も食べすぎた。宇宙兄弟を見ながら眠った。あがりと一緒に。起床して、ニワトリパックを買って赤衛門に向かう。揚げ直しの意味。秀平さんがチキンナゲットとレッドブルを買ってきてくれた。とても良い仕事時間だった。ナルトの走り方が面白い。秀平さんとmojoに行き、さや姉とゆかさんに呼ばれ、ディライトで助なんかも交えて、忘年会。秀平さんのノーフューチャーノークライが響く。胸に響く。

 


12月29日(火)

これを書いてる日は金曜である。

ここの日はあまり覚えていない。

仕事だったことは確か。

仕事終わりMOJOに行き、酒を飲みながら歌詞を書いた。感嘆するほど良い歌詞を書いた。スタジオとは違い現状で褒めてくれるコータローさんがいることで、尚更、良き曲に高められた。カケルさんと秀平さんと平田橋ファミリーマートで2時間弱、話をした。6時から秀平さんと鍋をした。バターの味が効いていた。まさしの話をしながら眠りについた。

 


2021/12/30(木)

死ぬほど眠かった。少し早めに出勤、気持ち程度の仕事をしてライブに向かった。泣いたらゴメン。錚々たるメンツだったように思う。ありがとうございました。照準をあてきったライブだった。聖夜さんは45分したが、娘の歌は涙が止まらず、ゆらちゃんの2曲目は確信を射抜いていた。あんな歌が歌いたい。まつきよにはブランクしか感じれなかった。僕はなんとか終着は見えた。助は初めて良く無いライブを見た。ふわふわと緊張とチューニング。そう、まさに大竹さんは全てのチューニングとピッチが揃っていた。説得力を超えた音楽の果て。愛しかない。それだけで俺らはきっと救われた。打ち上げは寝た。疲れていた。聖夜さんとファミマの弁当などを食って寝た。そういえば、誠さんの子供が生まれ、ありす、妹の誕生日だった。

 


2021/12/31(金)

目覚めはよかった。聖夜さんを初めて見遅れた。少し寝て早めに仕事。忙しかった。誠さんのイライラにイライラした。それはたぶん、誠さんが僕に苛ついていたからであろう。お年玉とボーナスを頂いた。不思議な気持ちを嬉しさが上回った。飲みに行った。祝福ムードは一転、各々の仕事のペースと人生のペースが合わないことからの障壁。僕はずっと辛かった。言われたくなかった言葉、気を遣いすぎたが故、伝わっていなかったことを全部、言葉にされた。社会だから、大人だからで飲み込んだ言葉たちを僕はイマイチ、落ち着けれぬまま、帰宅した。ここで一生、働くことを諦めた瞬間であった。お疲れ様でした。でも、確実に、いや、きっと俺は良い一年だった。それがみんなのおかげであるから、俺は明日も多分、何も言えない。明けまして、おめでとう。

たられば

 

WALK INN FES ! 2021に添えて。

 

未曾有の疫病が蔓延する街、

乗り越えるための策と手段、

知能、そして、思想。

長すぎた冬が終わろうとしていた。

 

一筋の光を皆、見て見ぬふりしながら、

空気の揺らぎに身を任せ、

憂鬱な日々を送る。

 

でも俺は。やっぱり皆と。

そんな言葉をアテに、毎晩、

発泡酒で溜飲を飲み込む。

 

でもやっぱり店で飲む生ビールが美味いよね。

でもさ、やっぱりさ。

家で1人溜息混じりより、

ガヤガヤ、と、もくもく。

みんなと飲む酒が美味いよな。

 

独り、暗闇。舌打ちと溜め息の連続。

そういや、人に会ってないな。

あいつ、元気かな。あぁ、あいつ辞めたんだ。

そうだよな。俺も自分のことばかりで、

あいつのこと思い出す余裕もなかったな。

まぁ仕方ねえか。そりゃ暗闇だと光が明るく見えるわな。絶景なんて言葉、よく歌えたもんだ。泣けなくなって、情けないな。

 

天邪鬼。俺。

みんなが群れて元気だと、元気なくすし、

みんなが孤独で落ち込んでると、元気だし。

 

できないから、馬鹿なりに、

やれることを模索する日々。

自分の才能の無さを痛感する日々。困惑。

人に当たることも許されない中、気付けば。

 

WALK INN FES!2021

僕らの街は、僕らで創る。

ソーシャルディスタンスを美しくデザインする。

フェスでミーティングをしよう。

 

その言葉たちをモットーに、

信念を念頭に。そして、希望に。

国分、下井海岸、キャンプ場。

 

鹿児島市内からは少し離れていて、

先輩のロックの歴史語りながら、

到着したその場所は、瞬間、

やたらと広く感じたものの、

ディスタンス保ちながら、

優しく温かい距離感を保持し、

ここまで青くなるもんかね、空と海。

小さな出店、走り回る子供、

よく見る顔や、あまり見ない顔、

「世代交代」「背負う意義」

「ラフ」「音楽よりキャンプな奴」

様々な意思が、国分の内海を彩り、

砂漠のような気候変化も人の温度を高め、

ゲストに負けじと地元バンドも、

ローカルの意地を叩きつける。と思いきや、

目を見て優しく説得に臨むような、

最高のライブ、そのバンドのバトンを渡していく。

 

「なるほどなあ。」と、

「まぁ仕方ないか。」

を繰り返し、10日、日中。

 

俺ら、

その日暮らし、しっかりと

勝手に受け取ったバトンを、

俺たちなりに昇華させてみて、

一旦大きくしながら、

次の奴に繋ぐ。繋がった瞬間、

他人の器で、自分のバトンの

本当の大きさと意味あいを知る。

 

このリレーマラソンは、

いつまでも終わらせないよ。と、

国分の沈む夕日に約束したところで、

先輩たちの堂々たる背中と、その握力に、

気付かされながら、煙草を深く吸い込み、流れた何かの塩っけと潮風で、メガハイボールをごくり流し込む。なんだか余計に涙が流れてくる。

 

恥の多い生涯を送ってきました。

なんて言葉もギャグになってしまう世の中と、

自分の愚かさを棚に上げながら、

人に愛を配ろうなんて、川魚が地上を四肢で歩く、ぐらい馬鹿な夢なんだけど、

僕が過ごした今年のフェス。

 

まるで、全てを許されてるような、

あたかも、心より愛されてるような、

たられば、そんな雰囲気、その実感。

 

僕、素直に。生きててよかった。

幸せだな。と思えた。

これが大それた話でも、勝ち誇ってるわけでもなく、ただ、僕が、偶々、その場に存在して、

勝手に感じ取ったわけで、

僕が傷つけてきた人たちや、

その場にあらゆる事情で来れなかった人たち

それらに何かが勝ることなんて一切もなく。

 

ただ、俺、なんとなく実感しただけ。

そこへのカウンターカルチャーな人々の気持ちや思想、痛いほど、わかるし。元々そっち側だし。

 

でも、俺はいつだって、

腑に落ちる部分を探していたし、

人に肯定されたかったから。

 

今までメンバー死ぬほど、辞めたけど、

付き合ってる彼女が6歳の時からバンドしてても、いつだって不安だし、こんなに僕を好きな優しいメンバーとバンドを続けても、矢鱈と不満募るし。でも、まぁそんなもんか。納得できた時点で、俺らなんて、きっと存在しないもんな。

 

あぁあいつに、この話したかったや、辞める前に。

 

とか思ったんで、ブログに纏めました。

 

正直、自分がどれほどの力になれたかはわからないけれど、僕らの街は、僕らの周りは、創られ始めてると思うので、僕は僕の、僕らは僕らの、居場所を大きくしていくよ。

 

虚しくなりながら、

苛立ちながら、

愛される不安に恐れながら。

喜びながら、愛を囁きながら、

皮肉混じりで大きな声を上げながら。

 

たったこの一瞬でも、

全ての人に僕の歌をしかと伝えようと

僕自身に思わせてくれたこと。

鹿児島を再度、愛せたこと。

カウンターカルチャーの皮肉を強く抱きしめたくなったこと。

海と人間の素晴らしさを知ったこと。

 

WALK INN FES!スタッフ、mojo芸術展、

SAKKAKU、先輩、知らん後輩、尊敬してくれる奴、ですです隊の皆様、お客さま、メンバー、安田映像研究所に、関わってくださった方々に、心よりの愛と、リスペクトを。

 

バンドマン、やっぱりかっこいいよ。

憎しみと悔しさ火種に、

より愛燃やしていこう。自分たちで。

それは革命となる日が来るよ。

 

幼子

3号線のはずれ、音に乗る自転車は映画。

大きく息を吸った。繊維越しでは足りない。

きっと、確かに、優しく確かな暖かい匂い。

暗くないと明るくなれないし、

寒くないと暖かくできないから。

 


マーベラスな彼はキャプテン。

ニュートラルな夜はエブリデイ。

ヒューマニズム。人間賛歌。

ラブソング。人間賛歌。

 


パズル埋めるために書いてる。

素面のまま、描いてる。

昨夜の3時

午前3時、最近を連ねる。

 


一つの不安が、

全ての感情に伝染していき、

ひたすらにネガティブな結論だけを生みつづけ、全てのパフォーマンスを虐げる。悪循環。気を遣ったら気を遣われて思考がどんどん退行していって、脳みその後ろ側の血管がはち切れんばかりにズイズイ膨らむイメージで軋むような痛みを残して、はい、さようなら。

自分は、おそらく人よりも、考えすぎで気に強いな性格であるが、

正直、何の違和感もなければ、それらは生まれない。安定してる日や時間帯もある。しかし、確証がない上、目に見えない有象無象たちを言葉にして相手に尋ねることは、野暮であるし、とても恐ろしいことのように思うので、聞けない、言えない。

元来、自分は別に明るい性格ではない。幼少期から人の顔色を窺って生きてきて、嫌われないように嫌われないように、それなりに気を遣って生きてきた。まずおしゃべりでもなかったし、耳も悪いわ、小学生の低学年までは吃音だし滑舌も最悪だったし、最低な感じだった。明るい性格になれたのも、人とうまく話せるようになったのも、ひとのおかげであるし、感謝は勿論してるのだけど、こんなに横柄な態度を取っているのも、正直、虚勢が産んだ弊害で、もう自分がどこに向かい、どんな人で在りたい、とか、何をしてる時が一番、楽しいか。とか、幸せだとか、将来的な夢とか、ほとんど無い。何となく楽しかったらいいよね。とかも無い。楽しんでいたいのかどうかもわからない。何しても何かにイライラしてるし何かに不安。満たされることがないの?とか聞かれたことがある。人生の、その上の生活に於いて、満たされるってなに?28年間、生きてこれた。生かせて頂いた。沢山の事象と人々に心より感謝してる。してるからこそ、辛い。

正直、この病気?というか性格?って、死ぬまで治らないのかな。確信的な言葉や優しさが欲しいのかな。でも、それって何なのかな?僕が分かっていない以上、誰にも与えることはできないよね。何で君はそんなに僕を愚弄するようなことばかりするの?未来を信じることは悪いことなのか?愚かなのか。若い奴からしたらおじさんなのか?ノリで生きれるほど若くねえよ。

理想の悲壮。

僕は幸せになりたい。

 


幸せの仕合わせを理解してないあまり、

幸せの具合もあまり知らないし、

それに馴れることも、

暫くないのだろうけれど。

理想の、成りたいものになりたすぎて、

成れない理想とのギャップに

打ちひしがれるばかり。

比較が故なのか、

セッカチ故の

現状のタイム感の遅さなのか。


全てを手段と捉えることができれば

少しは心が軽くなったりするのだろうか。


元ヤンの友達は言った。

根明の根元はなんだ。と尋ねた際に、

まだ悲しいことが起こってないのに、

いま悲しがる必要性などないのだ。と。

悲しいことが起きてから悲しめ。と。


目に見えた窓ガラスを割り続けて、

その中で割れない窓ガラスを見つけて

これは割れないことに

本当の窓ガラスだと安堵することは

意味がないよ。

信頼してる人の言葉が身体に馴染んだ。


腕枕の暖かみだけが本当のはずだ。

白飯の柔らかさも本当のはずだ。

僕が歩いてきた足の感触は、

きっと、現実の連続だったはずだ。


その温度を忘れたわけではない。

怒りを以て灯りにすることの意味は。

優しさを卑しさにしてしまう意味は。


僕は幸せの意味を手に入れるべく、

全ての手段を持って、生きていく。