島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

鹿児島から福岡へ 逃亡というの旅。 手記

わかっていた。

イベントが終われば、
こうなることを。

気付いていた。

彼女の僕への複雑な気持ちを。

悩んでいた。苦しんでいた。

ここまで助けてもらってるのに、どうやっても苦しくて、本当に誰にも助けてください。と言えず、日を増すごとに幻聴も悪夢も夢遊も増え、生きてちゃダメだ。→生きる必要とは?→死んでも変わらなくないか?→死ねば楽だ。→死にたい。→でも、悲しんでくれる人は、今は昔よりも増えた気がする。→死に切れない。というか、死にたい。というより助けてほしい。→言えない。の負のスパイラルにハマった。


死ぬ道具をニシムタに買いに行った、釘、トンカチ、足場、練炭、超強固テープ。整えてみた。満足した。怖いし死ねないな。生きたいな。と思った。人前で素直に言えなくなった。何もできなくなった。

死ぬか生きるか、会いたい人に会ってから考えようと思い、先ず、生駒さんとオオウラタイスケが、かまたかんたつが浮かび、旅に出ると彼女に伝えた。2、3回、スルーされたが、どうしても。と伝えた。

ネットで一番、安いバスと彼女に預けてたギリギリの預金を受け取り、木曜日、朝7:30のバスに乗った。その夜中に、彼女の思いを聞き、「別れ」「死ぬ」「他人」という言葉たちが飛び交い、僕は眠剤に飲まれ、眠っていた。

行きのバスでもギリギリまで寝た。でも、もしやと、彼女の好きなチョコレートはコンビニで自然に買っていた。バスの中で気付き恥ずかしくなり、隠した。

会いたい人に全員に会えた。
やはり、たまにしか会わないからもあるか、
理由も理由で、みんな極端に自然で、
極端に優しくウェルカムだった。

自分を騙しながらも、まわりに騙されながらも、
最後は、とても自然に笑い、言葉を交わし、
全てを受け容れていた。

でも、親友オオウラタイスケの家で猫2匹に踏まれながらも、鹿児島と全く同じ感情、苦しみがやってきた。

ので、友人達の力を貰いまくり、急遽、決めた5日間、全てに予定が入った。新しいCDも渡したら買ってもらったり。飲んだり、やっぱり吐いたり。でも。起きて、今日は何をする。ということが完全に実行されて行く感じと、完全なまでの晴天、鹿児島よりも少し早めに来ていた夏、暑さ、青空。

部屋でも店でも家でも話すし話を聞く。思い出す、鹿児島での日々。照らし合わせる過去とその瞬間。帰ってからの福岡への回帰の予想と鹿児島に対しての不安。

でも、今、そう、この手記の今、僕は大丈夫そうで、生きたいと願っているし実現できるとも思ってる。

全員の名前や言葉、店、を此処で羅列したら、失礼な気もするので、本当に一括りにして。

福岡、ありがとうございました。
助かりました。生きます。

生きてちゃダメな気がするんだ。


雨が降ってると、

そういう幻聴が、

部屋の中を横切る。



ずっと気を張り続けた数ヶ月間が終わった。


楽しかったですか?

お客さんも対バンも

僕に楽しかったです。や、ありがとうございます。や、直接、伝えてくれたり、ツイートを沢山、見つけたりして僕は嬉しかったです。


本当に有難うございました。


僕は楽しかったですか?と聞かれたら、

別に楽しくはなかったです。

何故なら、僕等が、あそこに存在して、あそこで音を鳴らし、脚光を浴び、皆んなが笑ってくれるのは、それまでの数ヶ月間の日々の間に、特に僕を、その日暮らしを、支え、応援してから、力を貸してくれ、沢山のモノを貰って、あの日に至っただけで、それが成功することは至極当然のことだからだと思います。


僕が今、いま、一人間として、成立できてるのは、本当に僕自身の力、無。です。ゼロです。沢山の人の支えで数ヶ月間、生きてきました。


PeaceToneRocket'sの蓑田マサシや、

WALK INN STUDIOの野間さんが、

言う言葉に説得力やエネルギーが有るのが当然の様に。ワザと苦手な方に飛び込んで見て、そこでオモシレーって言って帰ってきて、また自分で形にしたり、マサシはMCで言ってたけど、僕らが必死で動いてきた裏で誰が本当のことを、嘘のことを言ってるのかもわからず、自分の悪い噂まで吹聴されたけど、俺らがやることはここでも、これからも変わらない。と言う言葉の重みに説得力があるのが至極当然。


僕は現場に居続けたし、イベントもこの9年間で何十本と打ってきた。打ってきただけで気づけてたこと殆どなかった。それに気づけるようになっただけで凄く嬉しいけど、そのキッカケも俺の力では一切ない。けれど、僕が書く歌詞や、曲の原型は本物で、自分でも大好き。けど、それを音楽、芸術として、成立させ、世に発表できる形にしてくれてるメンバーの方が凄い。


俺のことを褒めるなら、

まずは袰谷に有難うと言わなきゃいけない。

袰谷がいなきゃそれも不可能だったし、次に太珠。


そして、太珠と俺は、この曲は撮るべきだ!良い曲だ!と言ってくれた寿山さんや先輩達、そして、無理承知でワガママばかり言って許してくれ、撮ってくれた上に元気出たって言ってくれた野間さんや、普通のことができない僕に普通のことを怒ってくれる吉村さん達属するWALK INN STUDIOに感謝するのみだし。


二日間で人生最大級で人に褒められましたけど、

過去に二日間で、その真逆も経験してるので、

僕は他人事のように感じてしまいます。

褒められてるよ、お前。あ、俺?

だったら、袰谷に言ってやってよ。ってなる。


けど、嬉しいのも、有難うって思ってるのも本当。でも、それは心じゃなく、身体の隅のどこかぐらいでしか感じれない。けど、その人達には長生きしてほしいなとか、無理に気付けば体壊さないよ、とか、マジで他人事だけど、なんとなく幸せになれば良いのに。とか思う。けど、ありがとうございます。に対して、返答、長っ。ってなるだけだから、

あぁ、おす。とか、そんなん。とかしか言えないけど。


けど、俺も1つ言いたいのは、気付かせて貰ってきたから、気付かせれるようなことをしてるつもり、どんな立場の人たちにでも、わざとらしく。

だから、本当に大切なものをわかってない人とか、全然、僕の思いと違うわ、こいつ。とか幻滅したりするけど、それはやってる側の人間のエゴだから、結局、受動者は好き勝手に解釈したら良いな、なんとなく幸せであれば良いと思う、心底。






生きてちゃダメな気がするんだ。って言葉がエアコンの空気と丸まって、この四畳半を埋め尽くしてしまうけど、僕は死にたいわけではないし、生きたい。から。


だって、貰いすぎちゃったし、応援されてるから、それに応えなきゃと思うから、応え続けるまでは死ぬ訳にはいかない。恩を仇で返すより、悲しませてしまう。


だから、ありがとうございます。と思います。

それしか、思えなかったです。




暫くは消えるように、沈むように、潜り隠れ過ごします。また8.18日にライブがあります。来てください。また何かしら変わってるのではないでしょうか、色々と。


緊急連絡先以外しか連絡返しませんから。

知りたい人は

sonohigurashi2015@gmail.comにメールください。



またね。ありがとね。


これは、最早、病ではない。

Twitterに少し書いた、分かりづらい文章。
手記の日記にも書いた、自分でも分からない現象。

「夢が現実を追い越してきている。」


僕の最近の日々はと言えば、
明朝か、昼過ぎまでか、
(これは決まっていて、)
自分の家なら午前7時、
彼女の家なら午後14時に眼が覚める。
100%で。謎。

アラームなどかける用事もない。

起床して、調子が良ければ、
調子に乗って、友に電話して茶をしたり、
スーパーに買い物にでも出かけてみて、
彼女の夕食を準備したり、
スタジオでメンバーに言われた注意点を、
ボイスメモ聴きながら、フンフン言って
練習したり。

調子が悪ければ悪いほど、脳と身体は鈍り、
リクライニングソファとやらから動けずに
麦茶と煙草だけを目の前に置き、
只管に火をつけ、町田康太宰治の文庫を読み漁るか、
ゲームを嗜むか、漠然とした不安に寄り添う。呑まれる。


漠然とした不安だけならよかったのだ。

それだけだったら楽だったのだ。

最近は変わってしまった。

寝てる時に夢を見る。悪夢が2割。
それはトラウマ的な要素の夢だ。
全て一切、詳しくは覚えてないが、
タイミングよく寝言を聴いた方々は、
誰かに何かをずっと謝罪してたよ。とのこと。
頻繁に聞く。

問題は残り8割の夢の話だ。

その夢は、
忠実に僕に現実的、途轍もなくリアリテイが深い。

とても身近な人とラインをしたり、
出かけ先で会って話し込んだり、
電話をかけたり、かかってきたりで、
最後には何かしらの約束をする。

何処かへ行くとか、スタジオに入るとか、
その人のライブを見に行くとか、飯食う酒飲むなど様々。
その約束の日から
当然のように
今の良い時もありゃ悪い時もある
いつもの日々は経過して
その約束の当日に約束を思い出し、
焦りながら起きねばと起床する。


そこまでが夢なのだ。

然し起床した時点では気付いていない。
夢の真っ最中?狭間?

焦る僕はラインをチェックし、
スケジュール帳を見て、家のカレンダーを見て、
全てを思い出そうとする。
然し、まず、日付も時間も全く違うのだ。
2週間ぐらい先の日付だったりするのだ。

 

というか、そんな約束自体、存在していないのだ。


最初は特に別として何とも思っていなかったが、
今週1週間から2週間。ずっとこの夢だった。
伝わるかな?意味が。言葉に起こしづらいのだけど。

僕は恐怖した。寝るのが怖かった僕は、
薬で寝れるようになり、
次は起きるのが怖くなった。

僕は見解した。

落ち込むことや瞬間の怒り、恐怖には純に迅速なのに、
それ以外のことは、やけに脳が冷静で、比例して、
昔より随分と気持ちとやらも冷めてきている。
だから、その冷静さを利用して、これを見解した。

僕の周りには疲れてる人が多い。
そりゃみんな疲れてる。
自分の事、仕事や学校の疲労でも手一杯なのに、
家庭、恋愛、目標、将来、現状と未来の差、
追うように追われてる日々。
のしかかられてる人々を見て僕は思う。

大丈夫かな、僕。と。こんなのが生きてて。と。

今は休息だ、休息だ。と、
先ず周りから、そして、最近は自分でも
言い聞かせながらも、僕は僕で、やはり不安は不安だ。
兎に角、不安だ。何が?今が。

この脈略もなく、当てもなく、
ただ怠惰な落ち込み切った現実、
精神、身体、日々、日常。
途方も無い、他人の時間を無駄にしてる感覚。

理想とは真逆なのだ。

いや、語弊がありますね。
みなさんが理想の日々を過ごせてるなんて、
そんなことは思ってはいません。
過ごせてたら僕も喜ばしいです、純に。


普通にできてたことが出来なくなり、
その理由が分からず、最早、ただ、
様々な力を借りては貰って逃避してるだけなのでは。
と隅にはある。開き直れるわけがない。
元来、気にしいで女々しい。

普通の人が普通に歩き働き疲れ
食事をし、ライブをし、仲間と、
笑いも喧嘩もする日々が、
僕の日常に於いては極限まで減っている。

それを夢で、
俺の理想と俺の現実を、
馬鹿な頭と心が、
どうにかこうにか擦り合わせようと、
どうにか近付けようと、此処で折り合いつけようと。
している。してやがる。

という見解になった。きっと。
というか、そうだとしか思えない。

おい、俺の中の馬鹿な脳みそと心身よ。

その行為は今の俺にとって全く真逆だ。

より空虚な気持ちに、
より面倒な精神になり、

日々、生きて、時間を経る毎に、
「最も楽に死ねて、その中でも、最も人に迷惑をかけない方法」を思案して検索すること。という糞の果てのような時間にしか辿り着けぬ。益々、情けなく辛くなる一方である。

動き出さねばならぬ。という焦りに、
また何かが邪魔が入るだろう。どうせ。

生きてる。という実感ないまま生きてる。
死んだように生きている、現状、畜生。
だ、本当に身を以て。

こんな現状の僕に人を思いやれる力なんてないと
打ちひしがれ、また逃げるのだろうか。

唯一、楽しみにしてた今週の練習、今日。
今さっき終わったが、

安定剤の効き目も
メンバーの疲労も抜群に相まってしまい、
期待してた実感はなく時間が経った。

悪い練習ではなかった内容は。

寧ろ、しっかりとした丁寧な練習ではあった。
だけど、勝手に、こんな日々の中、俺は1人、
生き甲斐にしようと意気込んでしまっていたのだ。

それはバンドじゃなくても、今日で無くとも、
いつでも、誰とでもあることだ。


また眠りにつくのが怖くなる。
そんなことなら、もっと、
激しく現実から懸け離れた夢を見させてくれよ。


無理なら、どうにか現実で、起きながらにして、
しっかりと自分で、いつか、いや、早い所、
少しずつ何処かで何かを創らねばならぬ。


これは最早、病気ではない気がしている。
救いを求める場所も人もない。心は見えない。
風邪みたいに身体に出てくれたらいいのに。


暗くなってしまったが、
スタジオが有って、明日と明後日は
彼女が休みで、2週間後には熊本にも行ける。
俺はまだ生きてる。

 


死に損ない。
トドメを派手にクレ。か。

 

こんなものを、
読んでくれた人ありがとう。
読ませたくて書いてるのだけど。
だからこそ、ありがとう。


承認欲求というより、最早、それをも越え、
メンヘラアピール文章の羅列になってしまったが、
いち反面教師や、誰かの文庫の短編のような
心持ちで読んでください、これからは?これからも?

そして、本当にお茶とか何でも誘ってください。
お願いします。


良い週末を。

キミのイミを。キミのイミと。

曇天。

何もやる気が起きぬ昼下がり。今。

朝。
睡眠はしかと摂っているのに、眠れば悪夢、
うなされては起床。の複数回と繰り返し、
寝た気もせぬまま、所謂、早起き。無駄。

まさに、まるで。犬の飯のようなメシ。

いや、
それ以下と言わざる得ない食事を用意し、
それを無様に喰らい、食前、食後と薬を飲んで、
行き交い息詰まる思考を無理矢理、止めて、読書。
昼、現在。

余談であるが、
先程、食事を用意したと書いたが、
あれは食材を無駄にした何かしらのモノ。と
言っても過言ではない程の産物だった。
昨夜も同じ産物。

ましてや、昨日の昼なんてね、
もう産むこともせず終い。水道水やら、
日本のそこら中に点在し過ぎている自動販売機と言う名の
マシーンから、至極、身体に悪そうな飲料を2つほど、己の中で昼食と完結させ、また食前食後、いや、飲前飲後に薬を飲み、己の悶々や苛々、興奮、0.2秒の間隔で寄せては返す糞の足しにも成り得ぬ鬱を、若干、抑制し、遠去けた。
昨日、昼。

現実から逃げる様に、陽が落ちれば、
睡眠に特化した薬を飲んで眠る。
また文章の振り出しに戻る。日々、生活。
(たまに人の力で刺激有り。)

そんな話はどうでもいいのだ。

ついこの間、
何も理解できぬ、まぁ所謂、普通のヤツに、
「出たーww自己顕示欲〜ww」
と言われてしまったが、今のは正にそれだ。

アレは酷く傷つき憤慨した。
やはり、信用とは浅はかだな。

故に、責めてでも、此処だけでは、
自己顕示欲やら承認欲求などを満たす為の
唯一の僕の場所にさせて下さいませ。


他人には迷惑かからない程度でやりますゆえ。
「私もう25歳だし、昨日、飲んだファンタも、
もう美味しいと思えなかったし。だから大人なんだ。」

馬鹿げてる。
こんな話もどうでもいいのだ。

本題である。

今日は「意味」という言葉の
「存在」について考えていた。
「意味」の意味が知りたくなった。


最近、よく言われるのですが、
「あなた、痩せました?」
「はい、18キロほど」
「え?大丈夫ですか?また、なんで?」
なんてことを会う方々に、度々。

一先ず、大丈夫です。
ご心配ありがとうございます。
変な噂が立ってはいけませんからね。

なんで痩せたか。それは、とても単純。

食事を真面目に摂る意味を見失ったからが大きい。

自分が栄養を得るという行為に対して、それこそ、
意味も分からないし、資格すらないとも思っていた。

だが、しかし、心配されるのは良くない、大人だから。
だから、誰かといるときは、食べますよ普通に。
寧ろ、シッカリと丁寧に作り上げたものを、
食べさせたり、食べさせてもらったりしますよ。
お米とかも食べますよ。彼女が多いですね。

誰かと食べると、味が、独りの時より分かるでしょ?
どんな馬鹿舌と呼ばれる人でも、
心というものを持ってれば少しは分かるでしょ?

「意味(イミ)」の「ミ」は「アジ」だね。
誰かと食べる意味も味もあるね。


最近、話題性抜群で
この間フェスに来てくださってた、
2人組ヒップホップユニットの歌で
「ラップ抜きで愛してくれた彼女、友達、母ちゃん、父ちゃん。ラップ込みで幸せにしたい。」という様な切実極まりないフレーズ。夢追いかけてる人なら確実に心に残ってしまうフレーズ。パンチライン。サビ。

僕にそんな人いたかな。と考えた。

あの歌詞は時系列も大事だ。

○音楽を始める前から出会ってる人、
○音楽を始めてから出会ってる人。

この両者で、ほんの少しだけ変わる。

自己顕示欲の化物こと私の話ですが、
僕の周りには音楽を始める前から出会ってた人が、
なんと、いない。本当に、いない。
歳を増すごとに痛感するほど、いない。

母親がどこで何をしてるか知らないし、
完全なるトリックでヤツが市や国から借りた金は
丸ごと俺に移行してた事実も他人が気付いてくれたし、
故、僕が今、こんな状態のことも知らないだろう。

妹は弟になって刺青だらけで何処かへ消えたらしいし、
ある日、知らない妹の名を戸籍で見たが、
元々、知らない人だ。
認知し一時期、生活を共にしてこともある
義父は逮捕されたという噂も聞いた。

うひゃひゃひゃ。
(※みんなも笑うとこだからね)

そんな家庭環境でも大好きだった祖母がいる。
けど、大好きだからこそ会いに行ったってね、
何を言ったってね、どうしようもない。

最後に僕の中で本当に全ての何かを終える時に、
祖母には様々を伝えに行こうとは思っている。
伝えて意見も聞かず感謝の旨だけは伝えて逃げるつもり。


友人ですね、次は。親友とかね。
音楽してなかったとしたら、本当に居ません。

同級生が偶々、バンド続けてたりで、
おー!よー!とはなるぐらいはあるけれど。
あれ友人?微妙。

小中高の僕と言えば昔の記事でも書いたが、
ずっと図書室いるか、
正カバンに漫画と煙草詰め込んで公園に行くか、
少し金があればネカフェで時間を費やしてたので、
友達!親友!彼女!と呼べる人はいなかった。

今、僕の周りを囲んでくれてる方々は、
音楽が縁となった方ばかりです。お世話になってます。


でも、逆に両親もいて、兄弟なんかもいて、
心を許せる友人も少なくともいて、
学生時代から恋愛もしてて。という人でも、
今、全く、人に会いたくない人って居るんだよな。
その人にとっては意味がないからだ。きっと。

じゃあ、意味ってなんだろうな。ようやく。

必要と、する、される。は別の場所。だと思う。
その事実を自分は知らないことだってある。
というか知らないことの方が大抵、多いし幸せだ。

だから、僕は勝手に人の気も知らないで、
漠然と世間から逃げてるわけだしね。


恋愛も難しいね。
結婚は近くで見たことないし、
無論、したこともないから、
よく分からないけれど、

きっと、恋も愛も、意味というものは、
互いのタイミングで我儘に変わるでしょ。

※意味でなく理由は様々だろうが、

今日は一緒にいたいな。
今日は1人がいいな。
ずっと一緒にいたいのにな。
まぁ居ても構わない。などの
複数の心情が自分の人生のタイミングで
当然、自然として変化していくものだろう。きっと。

でも、僕は其処らへんにすら、
意味の存在をこじつけたいのだけれど、
どうも上手く纏まらない。

でも、少し分かるとするならば、
先ほども似た様なことを書いたが、

各々のタイミングで、
我儘に変化していくものが、
意味なのかもな。

そして、意味は変化も進化も退化もする。

意味の存在についての考察の解答は出なかったが、
僕の腑のオチどころを見つけた気がしましたね。

きっと、ですが、
寂しいのでしょうね。

意味を、
見つけようとしたり、掴もうとしたり、
探したり、こじ付けたり、ねじ込んだり、
増してや、後付けにしてまで行おうとしたりするなんて、

フォ-ン…という音と共に空いた、
心の空虚な穴を、塞ぎたくて、知ってほしくて、
見てほしくて、触ってほしくて、増してや、
ケアしてほしくて、僕等は、
意味を見続けるのかも知れません。

だから、
僕が生きながら探して続けていた意味を持ち続ける
僕の考えには到底、及ばない君と居続けるのでしょうね。

歳上の方々に問いたい。これは恋ですか?愛ですか?


何も解決してないけれど、勝手に僕は、
少し心が楽になり、落ち着きました。


文章を起こすという作業は気持ちが良い。
ネットだと楽だ。鉛筆は疲れるから頻繁にも、
長文も書ききれないからな。

僕、ブログ始めてよかったな。


もし最後まで読んでくれた人がいたなら、
付き合ってくれて、ありがとうございました。


曇天の昼下がり、14時。

恐れながらも、
夜を待ってみるよ。
また。

お前は失礼な奴だ。と叱られる為の文章。

 

未来に対して、

最早、明日、明後日に対しても、

僕は確信を持って約束できることがない。

 

どうしたらいいのだろう。

 

人に対して、恋人や恋人の親に対して、

事を成し遂げようとするメンバーや仲間に対して、

僕は只管に後ろめたさを感じている。

 

邪魔。とまでは言われきれなくても、

僕にその思想が強く残る限り、

囲む人達も戸惑い疲労し、

どうすることもできないだろうから。

 

僕は逃げたい。と思う。

夜がやってきたら特にだ。

此処まで救われて助けられて愛されたのに、

逃げたい。この漠然とした不安から、

逃げたい、というのは、死にたい。だ。

 

どうやったら楽に死ねて、

出来る限り人に迷惑をかけないかを考え、

疲れ果てたと同時に薬が効いてきて眠る。

 

死ねずに起きる。

 

生きてしまった。生かされた今日がやってくる。

それを恩返しする気力もない僕は、

また本を手に取り、曖昧な自己投影を重ね、

本を閉じた瞬間に現実がやってきて、

何も考えまい。と、また眠る。

 

眠りとは死に1番、近い状態らしい。

だから、睡眠が大事だと言われる。

頭も心も休むから。でも、僕の場合、

併発してるPTSDもあり、寝つきも寝起きも悪く、

然程、変わらない。眠ってるほうが生活してるよりは楽。

 

そんな現状、感情のニンゲンを、

優しく包み込もうなんて、

愛されたいなんて、我儘が過ぎる。

 

真面目。だと僕に言う人がいる。

嫌味かなと思う。

 

人は優しさと愛だけでは、

付き合っていけないのだ。

 

それをしっかりと様々な場所で

目撃してない、愛され方も愛し方も

知らなかったから、優しい人で在る。ということだけが僕の価値だと思ってたが、俺より優しい奴なんて死ぬほどいる。

 

でも、あなたは今、それで

仕方ないと。また君は君に嘘を吐いて、

周りにもそうですね。と同意して

無理に仕事に行き、疲弊して帰宅し、

また僕のことで悩む。重荷以外の何になり得るのだろうか。

 

死に近い眠り、よりも

眠りに近い死。をください。

 

梅雨への恐怖。

 

今日は珍しく僕にしては1人で、

そして、外で活動した。最近は、

洋楽を聴いている。声というものに、

鬱陶しさを感じる気がして、日本語だと

直接的すぎるなと、今の僕の日常ではね。

日頃はそんな事はない。

 

洋楽は英語の歌詞、そんなに分からないけれど、

音は気持ち良いし、日本語で精神を駆り立てられる事もないので、より、曲に対して集中できるし、逆に全く無の感情で聴いて、街の音を掻き消す道具としても使える。だから、洋楽はいい。

 

声、は怖いが、文字は怖くない時期に入り、

テレビもラジオも映像も喧騒も不安な僕は、

深く読書や漫画に傾倒しだした日々です。

 

帰宅後、炊事洗濯、家事料理を済ました僕は

今、時間を持て余してる。

 

太宰治ヴィヨンの妻

古谷実サルチネスを読み直し、

最近の自分の環境や感情が的確にハマってしまい、

うーむ。と深く考えてしまい、

考えきれてないということに、

深く落ち込んでしまった。

 

優しさとは何か?と考えた。

各々の容量、度量とあるだろうから、

其処まで強く断言はできないが、

僕の中では、その過程までは行き着いた。

 

まず許容は優しさだろうか。

許容は相手を傷付けないし

許容されてる事にすら相手は気付いていないかもしれない。

 

許容は当人からしたら、その殆どは我慢であり、無理をしてる状態である。パンパンに膨らんだ風船はどんな硬さのものでも先が尖ってさえいれば、いとも簡単に破裂する。

 

破裂した時には時、既に遅し。

爆発は多大な力を生み、互いに傷つく。

許容されてたと気付いていなければ尚更。

 

優しさも愛も限度を超えたら迷惑になる。

迷惑とは暴力にも憎しみにも悲しみにも呆れにも様々な形へと変化していきます。

 

だからと言って、押し黙る様に、

相手に介入しない様にしても、

疑念、不安は当人には付き纏います。

 

それを感じてしまうのも相手です。

 

あくまで他人で、あくまで他人事のはずなのに、

どうしようも1人では纏めきれず、

2人の物差しで測りながら、生活していくのが、

恋愛です。いつだって、折り合いが大事なのです。

 

恋愛程度なら、やはり飽くまで自分の人生が1番だと考えるのが普通だと僕は思います。そこで話し合いが行われず、僕の場合は、他人の人生に介入してしまい、何かを汚してしまった気がします。しかもマトモな人間なら未だしも、漠然とした不安に毎日、襲われては、何もできず、かまけてる様にしか見られず、甘んじてるのではないかという罪悪感が残るばかりです。

 

僕は優しさも許容も押し黙ることもできてないのだろうか。と昨夜から考えてました。朝になれば落ち着くだろうと必死に眠りに就こうとしたが眠れず、漠然は巨大化していくばかりで、1人の話ではなく、2人の話なので、より罪悪感はネガティヴを量産し続け、僕を飲み込もうとします。

 

僕は急いで結論してしまいます。

何故でしょうか。

それはもう僕の人生が他人の人生にとって邪魔になってる気がしてならないからです。

助けてもらったりして、感謝と大切を大丈夫を覚えたはずなのに、たった1人の一言で僕の中は一変してしまいました。

巻き込んでしまってるのではないかと。

その人の人生には不必要な部分なのではないかと思わざるを得ないのです。その根源はどこからでしょうか。

 

ゆっくり考えて、落ち着きな。

再スタートなんて何時でも切れるさ。と。

言ってくれる人達は多い。

 

そう思うし、そう思えないのだ。

再スタートはどこにある。

再スタートは始まってるかもしれない。

再スタートを見失ったかもしれない。

その時点で僕は君を見失ってるも同然でしょう。

 

大量に作ってしまったポトフは腐るのでしょう。

 

今日で5月が終わり、全てが終わり始める気がしてます。ステージやスタジオだとそんなことは思わないのに。

 

梅雨の時期がやってきます。

僕は不安です。梅雨が苦手なのです。

まだ歳月に追いつけてないのです。

 

友達に嘘をつきました。

 

きっと、大丈夫さ俺とお前も。と。

 

本当は

自分が大丈夫じゃないから、

口にしたのです。

 

その日を終える言葉が

それしか言葉が見当たらなかったのです。

 

酷く無様でした。

 

「5月」

 

早速だが、正直な話、今この状態で、

筆を執るべきか微妙な状態である。

然し乍ら、昼寝をしようとしたところ、

頭がウォンウォンと高鳴りを上げ、

心の熱を落としていくような気配がした為、

一先ず、此処に残しておくことにする。

 

WALK INN FESが終わった。

現場を目撃してない人は、

そこまで親身に感じられないだろうが、

あの現場に居た人たちは、皆、

近い感情や漠然とした熱を感じたことだろう。

そして、同じ方向を向いたことであろう。

 

完全なる主観、バンドマンやら

その日暮らしの一員などを全て除いた、

今を生きる一人間としての想いを記すことにする。

 

今年もWALK INN FESの詳細を知ったのは数ヶ月前。出演が決まったのも何ヶ月か前。

 

その期間ぐらいから僕個人に、様々な事が重なり、身体や心に異変が起き出し、沢山の人の優しさや力を貰いながら、無呼吸で生きてるかのような毎日だった。最早、何故、今、此処に存在しているのかも分からなかった。けれど、僕を笑いながら、こっちに来いよ。と呼びかけてくれ、後推ししてくれた人達は、ある人の背中を見て、同じ様な想い、その背中を受け継ぐ為に行動してる人達だった。それは僕が最近、知っただけで、本当は暫く前から、それは行われていた。無呼吸のような生活の中で、その人達の連結、その大きな背中を持つ人物の有り難みを、遅かったが、理解し、沢山、話をし、僕は少しずつ、また呼吸を始めた。

 

「無垢な信頼こそ罪なりや。」

という言葉を僕は人生経験より、

真っ向から信じている。そこは揺れない。

故、人を10割で信じる事はない。確実に。

 

然し、僕は8割でしか信じれない人をも、

10割で愛したいし10割で愛されたい。

信じるとそれは別のベクトルだと個人的に解釈している。

 

そんな事を考えていた。

 

僕は腑抜けた毎日を過ごしていた。

何かにかまけていた訳ではない、

どうしようもなかったのだ。

 

何かを起こすエネルギーやパワーの根源を、

忘れてしまい、根拠のない不安に、

毎夜、毎夜、怯えていた。

 

けれど、僕の好きな人達が、

何かを起こそうとしている、

協力しようとしている、していたのを目撃し、

こんな状態の僕でも何か出来ないかと想い、

そこへ目を向け足を向けた。

 

やりたいからやる。

好きな人達がやってるからやる。

僕は自分の為に、今の自分を知りたいから、

そこへ出向いた。

 

人それぞれの想いの大小はあるだろうが、

そのキッカケは何でもいいからだ、恐らく。

 

ガリガリに痩せ、

引きこもっていた僕の白い肌は薄く焼け、

久々に人と何か力を合わして炎天下の下、

行動を起こした僕は、とんでもなく、

既に満足していた。疲労が嬉しかった。

2日間の準備は、そこでも、人の優しさを

受けながら、無事に終わった。

 

そして、20日、21日と、

4年目となり、初のツーデイズの

WALK INN FESが行われた。

 

全てを通し、僕は愕然とした。

立ち竦んだ。

 

何故なら、

想像を絶するぐらい美しく、

果てなく雄大で、到底、今の僕の許容量を

優に超えていく景色ばかりだったからだ。

 

この鹿児島という土地で行なわれている景色だと俺は信じれずにいた。

 

 

僕は2日目が終わり、袰谷に家まで送って貰い、

帰宅して直ぐ床に倒れこみ落ち込んだ。

というより、今、この時間までも落ち込んでいる。

 

まだ足りなかった。と悔いた。

 

しかし、先述した通り、

各々の大小は確実に在る。

 

故、今の僕にしては、

頑張れた方なのではないかと、

思える部分もある。

 

もっと共有したかった。

させてほしかった。

させたかった。

 

未だエネルギーは足りない。

あの人の流した涙と、2日間を締め括った、

最後のあの言葉で僕の中で大きく繋がった。

また変わりだそうと決意した。

それは漠然としている。

人生の、どのカテゴリに属すか分からない、

いや、全てに属してしまうかもしれないからだ。

 

大切にされてきた、僕は。

紆余曲折ありながらも許されてきた。

僕も、そう在りたいと思った。

 

いつ再スタートダッシュを切れるか分からない、

なにがゴールかは分からない。

どういう方法で、

隣の人から、身近な人、

そして、そこで紡いでいく人達が、

笑顔になるかは分からない。

 

もがき方から探そう。僕は。

これを読んで、成る程。と思った人がいたら、

茶でも酒でも酌み交わして話し合おう。

 

漠然とした支離滅裂な文章であったが、

最後まで読んでくださり、有り難う。

 

最後に、

様々な事を変えてくれた僕の彼女の誕生日、

クソの端くれみたいな僕の誕生日、

力漲るWALK INN FESが在る12ヶ月の内の1ヶ月、

5月に様々な経緯からの敬意を込め、

「5月」という曲を書いたので、

その詩を載せて終わります。

 

 

 

「5月」


気付けても、気遣えず、傷つけて。
どうしていいか分からず、
僕は一先ず君の手を握りました。

その繋がった両手を逆さまにしたら、
まるで何かを祈るかのような形。
「何を祈ってるのだろう?」と僕、
「何を言っているのよ。」と君。

映画を借りて帰りました。
帰ってきて、静かな君に、静かにキスをします。
「宙に浮かぶ様な気持ちだ。」と僕、
「地に足つけて生きてね。」と君。


大事なことは、何故だか話せない君。
大事な君を、歪に離せない僕。


5月が来て終わっていく。
終わった5月に、また共に会いに行こう。
歳月を経て変わっていく。
「変わらないものも愛せるようにと。」


形。君なりの形。
重さ。君だけの重さ。
大きさ。君、故の大きさ。
楽さ、誰とも比較しなければ。


無理に無理と気付き、貴方が壊れる前に、
静かに眠れますように。と祈り、
喜怒哀楽を失う前に、僕等と、
出会えますようにと願い、この歌を終えます。

それでは、また。