島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

眠気よ、来い。哀しみの土曜日。あ、もう日曜日。

書き終わってから気付いた。

長い。長すぎて添削もしないので、

誤字も多いと思います。

でも読んでくれたら嬉しいです本当に。

マジで、リアルガチで。そして、なんか意見ください。

 

始まり。

 

 

貧乏だと思ってなかった幼少期。

独りが寂しいと感じたこともなかった幼少期。

こりゃ自由で良いなって思ってた幼少期。

他の家庭や両親に憧れが皆無だった幼少期。

 

年を重ねるにつれ、

「オトナノジジョウ・ウソ・カクシゴト・ミニクサ」

を、人づてに真実を聞いたり、寝たふりをして聞き耳を立てたり、次第に理解していく上、真意も奴らの自己肯定の過程すらも見透しだす。然し乍ら、

僕の中で何かが終わっても、別に環境も家庭も俺も何もかも変わるわけではないから平気だった幼少期。諦めた幼少期。

 

僕が腑に落ちないなぁと思ってた学校の雰囲気や家での居心地の悪さ、友達のできなさ、友達風の変な空気、クラスのリーダーに従う男の子達、それを見て惚れ惚れられの女の子達。周囲との感覚の違い、教室に座っておくことが、ある日、耐えれなくなり、朝から学校が閉まるまで図書室で手当たり次第、本を読んでた小学生活。夏休みも、毎日、朝から夕方まで学校の図書室に居た。年600冊は読んでた手当たり次第。真っ白なガリガリの僕に何も聞かないでくれた出口先生という女性の図書の先生。お元気でしょうか。現在の僕の中で、時を経て、貴方は轟々と燃えています。

(とても会いたいです。)

 

思春期がやってきた。中学生になった。

劣等感を隠すためのナルシズムが生まれた。

周囲の男子と同じように

純粋にモテたかった。気取りたかった。

他の小学からきた、また新たなリーダーが生まれ、よりカーストが分かりやすくなった。

全てに属し、そいつらの普通を行い、平均より少し下に位置し、真面目に部活も行っていた。

ヒエラルキーバランスを取るため、

誰にも心配されない為。バレないようにする為。

 

中二の夏真っ盛り、思春期真っ盛りの僕に、

パンクバンドのCDとMDを貸してくれた転校生。 

 

よく聞くでしょう。

「CD再生したら僕の中の世界が変わったんだ。」

なんてやつ。

 

何が情けないのかもわからない、のに、なんか情け無さそう奴が、情けないこともよく分かってないような情けない俺に、俺が思ってたことを訴えかけてくる。なんて奴だ。涙が止まらないぜ。と身悶えしていた。アレが終わった時に、僕の色々な部分の復興を目指した。無意識ながら。

 

(こんな泣いてる情けない俺みたい奴の気持ちを歌うやつがいるならば、俺と同じような気持ちで苦しんでるやつが、この世のどこかにいるだろう。バンドを始めよう、ギターを練習しよう、コードをおぼえよう。曲をコピーしよう。何にもわからんけど歌詞書いてコード載せてた。)

 

今、思えば、馬鹿だったな。童貞の思春期なんて、あんなもんだよな。騙されたよ。あのバンドのボーカルは演技も上手くて今は役者やって朝ドラ出てやがる。関係ないけど。

 

話逸れた。

それは今で言う友人。自分に感覚が近い気がした。

その借りたCDの内の一曲を、

学校の馬鹿どもがと言う気持ちを丹精に込めて、

渡り廊下でそのバンドの歌を自分が音痴だとは知らない僕は渡り廊下で歌った。のではなくガシャーと叫んでたら、そいつがハグしてくれた。嬉しくて、そいつと同じ髪にしたくて、その夜、前髪を真っ直ぐ切った。あるあるだよな、バンドマン。

 

でも、

僕は何でか何に対しても、

ずっと劣等感やズレを感じずにはいられず、

訳のわからないことを言って、その友人達からもバリアを張って距離をとった。でも借りたCDはMDに入れて、僕の生きる世界の小さな喧騒、知りたくない真実も同時に聞こえないように、毎夜、毎夜、イヤホンで聴き続けた。ほぼ眠ることなく。

 

今は母とも思えぬが、

その当時、ある意味、宗教、俺の1番近くにいる唯一の存在、母の為に必死に勉強して、学校で番狂わせ起こしてまぁまぁ偏差値上げまくって、金のかからず、行きたくもない、鹿児島では、まぁ良い方の高校行った。周りは喜んだら驚いたり、やる時はやると思ってたよ、信じてたよ、などと抜かした。

僕は「死ねばいいのにな。」とか思ってた。

 

何年か通い、どんどん行かなくなり、

当然、辞めた。

 

意味がわからなかったからだ。

教師が言ってることも、教室の匂いも、

あそこが回ってる意味もルールも。

学校に飜る群衆達の言葉の羅列も。

奴らがあんなに、なんにでも、はしゃげる理由も。

 

バンドマンあるあると言ってるぐらいだから

バンドを始めた。

コピーバンドから始めた、最初はリードギターだった、音痴だったから。けど、バンドのボーカルが歌うより、音痴な俺が叫ぶ方が盛り上がった。

相当こいつ魅力ねーんだなって思った。

(そいつに成人式の時に土下座して借金したの覚えてる。凄い目で俺を見てた。その周りも同じように。何も恥ずかしくなかった。)

 

僕は作詞作曲を始めギターボーカルになった。

本格的になってきた。

何十人辞めた。何人か辞めさせた。

十数個バンドした。何百回とライブした。

 

なんやかんやありまして、

 

世間知らずのままバイト始めた。

偶々、今でも働いてる、というか

在籍している

僕を何がしたって、何が起こっても、

絶対にクビにしない店長と先輩に出会った。

他に、

その当時の鹿児島のバンドの先輩達ってのは、

超体育会系でゴリゴリに怖かったし、

必要以上にビクついて、ヘコヘコしてた。

なのに裏では根拠のない自信から大口叩いてた。

そりゃ自然に嫌われた。

ライブを見るのもするのも好きだったけど、

ライブハウス自体はステージの上以外、今も嫌い。

学校を思い出す。どこにいていいかわからん感じ。

 

けど、まぁここからが大事なマージナルマン期で、かなり重要だが面倒臭いので大幅に端折るけど、

だいたいを言えば

それなりに女の人を覚えて、適当なセックスも本気のセックスも、人並み程度のギャンブルも教わり、人並み以上の借金作ったり、殴られまくったり、逃げ回ったり、良いことも悪いことも沢山したし、良い人にも悪い人にも会った。嫌われてる人に好かれたり、その逆もあったり。干されたり。脚光を浴びたり。

 

なんやかんやあったけど、

なんやかんやあったから、

最近の僕といえば、

ツイッターやブログで書いてる感じの僕で在る。

あれは全部、本当。本当の気持ちだ。

嘘なんて一もない。嘘みたいだろ?

 

めっちゃ色々あったんだ。察してくれ。

 

ツイッターは今や僕の心の中のカテゴリとしては、

140文字の島崎の純文学風エッセイ(太宰治感)だ。

太宰の愛と苦悩の手紙。という本がある。読め。

それみたいに、

いつか書籍化してやる。

今までのブログもツイッターも歌詞もすべて。

 

ツイッターから逸れたが、

ここのブログはそれを読んで興味ある人が読みにきてくれる場所。だと思ってる。

 

Facebookは難しいね。大人ばかりだからね。変なこと書けないしね。嘘みたいな丁寧なことしか書いてねーな。

 

インスタグラムは彼女との惚気?対峙していく様?を載せるものになったね。

 

また話は、逸れたが、

こんな感じが、僕の大体の人生を

本当に8割、ザックリ端折った文であった。

 

幼少期に何も思ってなかった俺は、

あの感情が全部、大人になって、真逆になった。

殆ど欲しくなった。

居心地のいい場所と人と眠りたかったのだ。

 

何故なら、それを手に入れる方法も力も手段も知ってるからだ。何があっても生きてきたから、生かされたから、生命力、大きな声、知恵やズル賢さだけは比例して手にする。

 

でも結局、俺は、

大切な物を幾つも持ってなかったことに、

気付くのだだよ、人を傷つける度に。

 

バンドメンバーと女の人が分かりやすい。今の彼女も今までの彼女も、辞めてしまったメンバーも太珠もサポートの袰谷も。

 

常識も知らん、人との距離感の掴み方も知らん。

感情の我慢の蓋を知らん。言葉遣いを知らん。態度も悪い数千冊、本を読んできたのに、それなりに難しい資格も取ったのに生かされることなんてほぼない。なんでかもわからない。主観しかない、客観の意味がわからない。躁鬱も激しい。

所謂、世間でいう

我儘というか変人?なのかもなと思った。

 

そこで助けてくれる人や理解してくれる人もいた。真逆の人たちもいる。そりゃ人生。

 

 

 

優しくしたい。怒りたくない。

大きな声になる理由わからない。

気遣ってるつもり。楽しんでたい。

 

というか怒ってないよ。つまらなくもないよ。

でも、荒がる言葉。切れ味の鋭すぎるイントネーション、声の大きさ。してから、気付く。またやってしまってるな。どうしよう。考える。

 

でも今日も、

彼女は楽しみにしてたデートで泣いていた。

しかも俺に誕生日プレゼントを買ってくれた後だ。

俺は馬鹿だ。純粋に馬鹿だ。

 

今日、風呂入った時、思った。

 

積み上げてきたものは本当。

助けられたのも本当。

理解してたのも本当。

感謝してるのも本当。

人が徐々に好きになってるのも本当。

落ちたり落ちなかったりも本当。

不感症ぽくなってるのも本当。

でも心に最高が訪れる瞬間も本当。

最近のブログやツイッター、まず第一、歌詞だ。

それは全ては本当の本当だ。嘘1つない。

虚勢も嘘も気取りもない。必要がない。

 

何か沢山のものを気付いたつもりでいた。

気づけてる上で、それが、人にできてるまで、

思ってたね。

 

いやね、たしかに、昔の僕よりも、できるようになったこともあるのよ。少なからず。僕にありがとうって言ってくれる人がいるから。笑ってくれたら泣いてくれたりする人がいるから。

 

けど、やっぱりゼロだな。まだゼロ。またゼロ。

1にもなりきれてないわ。悪しき風習、悪しき癖だ。

 

また始めから考え直そう。

考え直しても治るわけじゃないだろうし、

纏まるわけでもない。から、

極端に逆の行動を起こしてみる。

傷つける時のタイミングを察知したその時に。

そういうことを自らやらないと何もできない。

 

 

僕の周囲の方々は偉いと思う。凄いと思う。

本当に。

よく出来た人間ばかりだ。

感動させられるんだ。毎回。

惚れてしまうんだ、たまに。

 

 

生きるよ、俺も、まだ、だから。

 

 

ごめんね、と、ありがとう。しか言えない。

好きだよ、大切だよ、って言えないかも。

まだ、そんなことを言っても、

向こうが変に苦しみ辛くなるだけだ。

こんな日々の中。

 

 

なんか眠剤効かなくて眠気来ず長くなった。

ここらで終わります。もし最後まで読んでくれた人いたら、貴重な時間をありがとうございます。お疲れ様でした。

 

(翌日、起床後:添削した。追加した箇所もある。)

 

ワガママな追伸を。

 

切実に、

何でも良いのでコメントやラインなどで意見や感想をください。希望、糧になります。

 

僕と関係が近い人は、そうでない人も

会った際などに、「あのブログのあそこさ〜」

私はこう思いました。俺はこう思った。

とか話しかけて意見してください。

 

僕は人は好きなんです。勘違いされがちだけど。

人と話すのも聞くのも好きなんです。

 

昔の僕はクソダサい虚勢と言う名のバリアと

カッコをつけて気取りながら、本当の自分を守るために必死だっただけなんだ。今は違うよ。ラフもラフだ。怖くないよ。皮肉ぽさはあるけど、噂のイメージほどはないと思う。 主観だけど。

 

以上です。

ありがとうございました。

 

来たる未来、幼少の果て、今、満身。それは絶景。

 

誕生日というものを僕も迎えました。

多くのラインやSNS、そして、

直接的に、祝いや感謝の言葉をくれた方々、

本当にありがとうございます。

 

年齢云々とやらは、

1つ前の記事に書いているので、

もう良しとして。

 

今日は驚くぐらいの晴天で、

彼女の起床時間と共に目覚め、

朝食を食べ、仕事に見送り、

溜まっていた大量の洗濯物を干し終えた。

 

何をしよう。

僕の日々なんて別に何もしないでいれるけど、

忘れる。という行為だけはしたくないから、

洗濯物のように溜まっていた日記(これとは別)や、

このブログでも書こうかと携帯を手にしたのです。

 

5.7(日)ライブがあった。

WALK INN FESを観た先輩達が、

僕らの手でも身近な場所に、その熱を少しでも、

FESに繋がるように、まぁ所謂、

「僕等の未来に繋がる」ように立ち上げた

YES FUTURE!と言う名のイベント。

 

そのイベントでツアーを組んだ2組の先輩達。

 

熊本は水俣

鹿児島は枕崎、鹿屋、志布志と、

ツアーを周り、あらゆることを学び、

帰ってきた2バンドと、僕らも含む鹿児島市内のバンドマン諸君。

 

それのファイナルがあった。

「未来」と言う言葉の意味は、

みんな、きっと、もう大体わかってる。

「わからないってことがわかってる。」

それが、恐らく、未来。

 

じゃあ、「YESの意味は?」と、

ライブ当日までに、

ワクワクやドキドキだけで終わらせぬべく、

頭捻ってた。僕は僕なりの答えを出した。

それの過程と詳しい説明を出番前に、

メンバーに強要に近い共有するべく話した。

二人、皆まで言うな。と笑ってた。僕も笑った。

 

鹿屋のみるきー#が終わり、

僕等の出番だった。演奏や曲の話はいい。

とりあえず、その考えてたことの答えを僕は話した。

そこから、またライブを続けた。

ライブは終わった。

 

綺麗な目と大きな拍手の音は、

 今でも覚えてる。

 

この空白の何ヶ月間かの間、

僕は人に力を借りながら、そして、貰いながらも、

独りよがり、我が事に必死だったのだと気付いた。

 

けど、4月の水俣でのライブから何か違った。

 

僕も誰かに何かを。と、少なからず考えていた。

無意識の意識の中。 

 

不透明な先行きの中、僕に

様々な形で純なものをくれる人達は多く、

たまには叱咤、そして、激励。

笑顔、涙、ハグ。

 

この経験や環境は僕だけで終わらせてはいけないと思った。

震災、復興、マイナスからゼロを、1からゼロを。

 

そんなに難しい場所に僕はまだ立てなくても、

隣人だけでも、これを繋げれたら。と。

 

今しかできないかもしれない。

また、やさぐれて、しなくなるかもしれない。

わからないけど、今は本気でできる。

 

あいつ変わったよな、無理してんじゃね?

綺麗事ばかりじゃない?

とか言われ出したら、最高。逆境、最高。

 

ルーツや俺のバッググラウンドは、

好きな人にしか教えないからね。

言わずもがな、見通してくれる人もいる。

 

様々な形の悪意や、様々な形の優しさがある。

だから、どちらが、どちらなのかも、

わからなくなってしまう時もあるだろう。

 

それでいいだろう。そんなものだろう。

 

 

5月9日に僕は誕生日を迎えた。

前日の発熱から始まり、なんだか、

ぬるっと歳を跨いだ気がしたが、

24歳は良い年だったよ。何はともあれ。

 

 

 

25歳の僕からなんかでも、

1つか2つ言える事があるならば、

 

「YES」の意味は「大丈夫」

 

「大丈夫だよ。と言い合える関係」は

 

きっと、「大切」という意味。

 

 

 

水俣で次に僕の中で課題として、出てくるだろうと思ってた、その答えが出たね、早速。

(.気付くの遅すぎたぐらいなんだろうけど。)

 

 

 

「頑張れ」なんて言えないな、今の僕。

「無理なく。」とも言えないな。けど、

 

「無理してる自分には気付きなさいね。

無理を無理と思わないのは強さではないよ。

気付いた時には誰の目も気にせず泣いたり笑ったり怒ったりして、その後、散々、眠って、休んでください。あなたが壊れる前に。」

 

とは思いますし言えます。経験則です。

 

25歳になっちゃった。

歳月にすら追いつけてない僕が、

25歳まで、生きてきた。

人に囲まれたから。手を差し伸べてくれたから。

 

だから、僕も25歳だから、

誰か近くの人に、

少しでも手を差し伸べれたらと思う。

 

解決してない問題、見て見ぬ振りしてる問題、

消せぬ過去、消えぬ疑念。借金の額。

周りから見たら僕にはありすぎるだろう。でも、

取り敢えず、込みでいいから、話しかけてください。

なんか話しましょう。噂とかになる前に、

目と目を見て話しましょう。

 

これからも宜しくお願い致します。

 

おめでとう。と、沢山の人が言ってくれる曜日が

一年に一回あるのならば、

何がめでたくないわけがあろうか。

否、めでたすぎる。一先ず。

 

しばらくまだ休もう。まだなんか疲れてる。

 

 

もう直ぐ鹿児島でフェスあるってよ、みんな。

また何か問題と答えが出そうだね。多くの。

おいでね。

 

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誕生日の友人が2人、子供の日。

 

世間はGWという真面目に生きてる

正社員という名の尊敬すべき人たち、

しかも、そこそこのしっかりした勤め所ならば、

本当にゴールデンなウィークで、

遠出したり、日々の中、できなかったことを、

取り戻している人もいることだろう。

 

逆にサービス業と言われる職業や、

本当は働きたくない若いバンドマン達は、

なにがゴールデンウィークじゃい。と、

腹を立てているかもしれないし、

ゴールデンウィークが来た、こりゃ稼ぎ時や!

と、袖まくりして鼻息荒げてる人もおるかもしれない。

 

ということを毎日がゴールデンウィークみたいな

状態の俺が馬鹿みたいに偉そうに記しているのも、

気にくわないね、全く。僕自身がそうだから、

読者もきっと同じ要領だろうね。

 

でも、今日は子供の日。5月5日。

今日、誕生日の大好きな僕の友人が2人もいる。

23歳になる男と25歳になる男だ。

どちらも、もう長い付き合いになる。

まだそんなに長く生きてないのに、

長い付き合いってことは、僕としては、

とても濃い付き合いってことになる。

 

 

●ここからはあくまで、

僕の人生の経験則や周囲を見渡しての見解、

大好きな大人達から頂いた言葉の咀嚼物、つまり、

超持論になります故、若造が何を偉そうに、など、

憤慨する方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかも人間、みんな、別。人それぞれ、

個人差。って言葉を使うと、面白みがないので、

それは度外視しましょうよ、互いに今日だけ。

 

僕もまだ24年間しか生きてきてないので、

その中で貰った言葉、気付いたことだけを

記してるだけなので、ご注意ください。

 

●賛否両論あるでしょう、そりゃ。

賛も否もコメントより会った際、又は電話、

sonohigurashi2015@gmail.com宛の

個人的連絡で頂けたら幸いです。

※できるだけ、優しい言葉尻で、お願いします。

 

 

●23歳。

18-22歳ぐらいまでは大体の人がマージナルマンだ。

思春期を経て青年期に突入し、短大に行くか

大学に行くか、専門学校か、

それか目的の為にどんな形であれ働き出すか。

 

友人だった人々も様々な場所へ行き、

様々な方向性へと変わって行く。

 

ある程度の教育過程を終え、

厨二病高二病やら思春期を終えたものの、

しかし、それらの名残の物事や人々への多感期や、

心中の悶々や、性欲だけは、グイグイと、伸びて行く。今までとは少し勝手が違うからだ。

 

だから、22歳は問題が多発し、

それを、思案したり、

論理づけようとしたり、悩みが沢山だ。

もうこの世の終わりだ。と思う回数も、きっと、

生涯の中でも最も多いのではないだろうか。

 

●それを終え、23歳-24歳になると、

マージナルマンを経て青年期に突入する。

 

抱えていた問題、悩み、闇が、ふとした瞬間、

解け出したり、明るみに出たりする。

それは思考しまくったからだ。と自信になる。

(男女差とかもあるだろうが今回は✖︎)

だから、とても、調子付いて行く。

しかし、厄が訪れる。

(私個人的には厄とか迷信とかジンクスとか超信じる。)

 

まぁ。厄のせいなのか、なんなのか、

自分ではどうしようもない事件や問題も多発する。

そこで気づく、俺の持って来た自信なんて、

役に立たんのではないかと落ち込む。

 

そこで気付く。

こりゃ人の力を借りねばならん。

打算的だろうが純な感情だろうが、

人の力を必要とすることが、頻繁に増える。

 

そこで人の大切さを思い知り、

独りの難しさに気付かされる。

だから、傷つけたことにも敏感になり、

人の気持ちに気付けるようになったり、

自分らより歳上の方たちの話を、

本当の意味で聞けるようになる。

納得までも今までより早くなる。

尊敬の念も強くなる。感謝だ。と。

昔、嫌いだった大人が言ってた言葉すらも、

ある日、合点したりすることさえ、ある。

 

25歳に突入する友人。

僕と同じような人種で、

目的の為に、数々の物を蔑ろにしてきたり、

やはり受け皿が狭く溢れ出て、

覆水盆に返らずという言葉も知らぬ内に忘れ、

必死に両手使って水を盆に返そうと慌てだす。

 

うまいこと、というと

必死に働いてる方々に語弊があるかもしれないが、

 

僕とその友人のように、やるべきことやらず、

やりたいことだけをやって、

これが楽しいんだ、楽なんだと、

俺にはこれしかないんじゃと高を括り、

何処かに理由をつけて休息だと、

酒ばかり呑んでは酔い、互いの持論をドヤ顔で、

ぶつけ合い、あたかも大人のツラしてきた属性。

 

ではない方々は、しっかり働き、もう新卒も終わり、ある程度のお仕事も落ち着きつつあり、貯蓄なんかもあって、車の免許も、ましてや車も持ってたり、いつからか付き合ってた彼女と、あら結婚したりしたわ!

などと、SNSなんかでガンガンに知り出す。

焦りはせんが、ほう、こんな歳になったかなどと、

平静を装ってみたりして、あら、ほとほと情けない。

 

25歳っていう言葉がもう重い。馬鹿が。

4分の1世紀とかいうと、もう手に負えない。

青年期終わり大人に突入する。ということに、

見て見ぬフリしてたフリも、もうできなくなる。

こりゃいかん、誠に遺憾。

 

感謝の意味は殆ど分かり始めていた、はず。

しかし、大切の意味とやり方が分からぬ。

心と体と脳のバランス、思考論理経験哲学も、

ぐっちゃぐっちゃになること多し。困惑。

死にたくなる日も増えた気がする。

いや、気のせい気のせい。眠りつく。起きる。

日々は続く。その中で、

 

●だけど、僕等は思い出す、きっと。

 

孤独なんて風景だ友達だ。

後ろを振り返れば、

歪ながらも、しっかり自分の足跡の残りもあり、

右をチラッと見てみれば人がおり、

左をふと見たら、酒酌み交わした友がいる。

またもや俯き下を向いていても、見慣れた風景。

 

案外、楽チンかも、と。

人って勝手に生きていくんだな。と。

 

そこで、生きたいと強く願う。

 

生きてきた自信よりも、

恋人を失った悲しみよりも、

 

生きていたい、死にたくない。

誰かを愛したい、誰かに愛されたい。

願望を実現させるべく、また走り出す。

 

向かうべき場所は死に場所ではない、

皆、ルートも走り方もスピードも違うが、

その前のキリのいい10年後、35歳だ。

 

俺らが大好きで、お世話になりまくってる世代の、

その人たちみたいになれてるか。だ。

 

その時に、酒を飲んで友と管を巻いたこと、

その当時、信じた恋愛や愛した人の横顔、

この瞬間に、死ぬほど、悩んだことを、

あのとき、ああだった。と

「何でもないソレを思い出せるか」だけなんだ。

 

悩めてることに、答えがわかり出す前に、

俺ら、今、頑張ってるフリでなく、

それぞれ頑張ってる。と頑張ろうぜ。と、

言えるかどうかだけだ。

 

文字にすれば単純だが、

そうもいかない。だから、生きてる。

答えなんか見つからない。それこそ死ぬ瞬間。

だから、生きる、生きたい、悩む、もがく。

もがき方から探す。人と会う。

 

人に会うのが怖い時とかある。

誰とも会えない、誰と会っていいか分からん。

風呂に入る前の気だるさと変わらない。

風呂に入って後悔することなんて、殆どない。

 

沢山の大人たちが与えてくれるキッカケを、

スタートの合図として、走り出す。

ペースも走り方もスピードも、

一切、人と比較するものではない。

それをする奴は俺は嫌う。

僕を囲んでくれる人達の中には先ず居ない。

 

●大丈夫だ、俺も友も。確信なんかないけど。

まだ25歳だもん。核心も知らないもん。

これからのこと知らないんだもん。

生きててよかったね、生きてるね。

生きていこうね。革新していこうね。

 

 

お誕生日おめでとう!

僕と友達になってくれて、ありがとう!

 

 

というか、なんか今、偶々、躁で爽な想なんで、

それ以外の人々にも幸多からんことを。

心より。

 

 

長文、駄文、ご拝読、ありがとうございました。

 

ああ、楽しかった。自己満足で終わるかな?笑

 

 

 

 

 

『孤独は景色で、一瞬。』

おはよう。調子はどうだい?

➖ 

21日は福岡四次元で

お世話になってる仁禮健太さんを

四次元から見送る会。

そして、昨夜、23日は鹿児島SR HALLで、

沢山の人達の協力を借りた、のではなく、

頂きまくってのレコ発ライブ。

 ➖

昨夜まで、ここ暫くの間、

心の何処か、ずっと気を張り詰めていた。

21日の福岡の打ち上げ抜けて、

会いたい人に会って酒を酌み交わした後の、

福岡の早朝での、帰りのバス内でも

薄っすら考えてたりしてたのだけれど。

昨日、ライブ終わって、

乾杯打ち上げ終わって、予想に反し、

みんなドンドン帰って行ってしまい、

打ち上がるつもりだった僕は、

やけに寂しくなり、一人で帰るのも不安になり、

SRに戻り、寿山さんとタツマと

珈琲飲みながら、夜を振り返ってた。

話聞いたり、聞いてくれたり。確認したり。

そして、金、日と、2つの夜に、

僕らが演奏してた時間の、あの瞬間の、

見てくれてた人達の表情や、

(恥ずかしいのでチラチラしか見れてない)

その人たちがくれた言葉を思い返していた。

諸々な理由で

ここ最近の僕の日々は、やけに冷静で、そんなに熱くなったり、悲しくなったり、泣いたり、怒ったり、テンションぶち上がったりが減っていた。

なのに、それらと反比例して、好きな彼女を泣かせたり、優しいメンバーを困らせたり、周囲の人に気を遣わせたり、二者択一ができなくなったり。そんな日々だった。

ほぼほぼ締め作業が終わったSR HALLに

話終わった後も、腰掛けさせてもらい、

ゆっくりと独りタバコを吸っていた。

 ➖

「あ。なるほどな。」と思った。

昨日のMCは、「ありがとう」と「感謝」という言葉を、本当に、多々、使っていたと思う。その言葉にはそれ以上も以下もないから。

本当にその言葉通りしか意味も理由も、

それしかないから。

 ➖

ついこの間までの僕と言えば、

元々、感情がガバガバで、

ガバオ君とアダ名がついてしまうぐらいの、

+100 〜 -100までの感情の起伏と、

付き合いながら、生活して、

それに人に付き合ってもらってたような

感覚だった。

 ➖

でも、最近の日々の中で心の動きは、

マイナスもすぎることもなければ、

プラスすぎることもない。

だから、なんか見失ってる気がしたり、

無くしてしまったものがあるような気がしていた。

 ➖

根拠のない自信は生きる上で本当に大切ですね。

それの逆で、

根拠のない不安は生きる上で最も怖いのですね。

そう思ってた。漠然と何かに怯えてた。

「素直と純粋」の意味とやり方が

分からなくなった。

分かってたし、できていたのに。

 ➖

でもね。昨日と福岡での

僕ら3人、その日暮らしのライブ。

先述した僕が忘れてたように感じていた、

その何かしらたちを、集めに行ったのか、

皆様の力で集まってきてたのかは分からないけど、

個人的に、それが僕の心と頭の中に明確にあった。

キラッと光っていた。まばゆく。

 

興奮でも不安でもない、

あの何とも言い難い独特な空間、

ライブハウスのステージの上で、

僕はそれと再会していたのだ。

「よう、久しぶり。」と握手していた様な。

煙草が消えかける瞬間に一旦、結論づけた。

 ➖

沢山の人がいる。

沢山の種類の人がいる。

良い感情も悪い感情も、大きさなんて、

他人と比較するものではない。

大も小も、その人達、それぞれ違う。

 

それが良いものなのか、悪いものなのか、

分からなくなったり不安になったり、

逆に、

確信めいてたり、教えてあげたかったりするから、人は人と出会い続け、恋をしたりされたり、先輩や後輩となったり、友達や親友となったり、

色んな関係(カテゴリ)が産まれていく。

その中で.

話し続け、たまには口論になり、

傷つけ傷つけられ、気付き、気付かされる。

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キッカケは、いつだって、近くにあるし、

誰かが持ってくれている。

自分たちの中にだって、絶対にある。

それに、いつ気付くかだけの問題。

分からないなら、出来ないなら、待てばいい。

誰か気付いてくれる。

そんな人が実はたくさんいる。

そんな場所が実はたくさんある。

己の心のフィルターを少し薄くするだけ。

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無理はし過ぎないように、

無理を無理と思わないことに、

できるだけ気を付けて。それに気付いて。

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きっと、大丈夫さ、僕も君も。

人が居るから。話が出来るし、

そんな街があるから。

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次は、きっと、僕は、

「大切 」という言葉の、本当の意味や、

やり方を知ることになるような気がしてる。

確実にくる。というか、取りに行く。

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僕の周りに居てくれる人達に、

心よりの感謝を込めて、今日は、

此処で一旦、筆を置きます。

 

読んでいただき、というか、

いつも、何かしら、

ありがとうございます。

 

これからも、よろしく。

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病抱えて、山に登ろう。そこで、お茶しよう。

やりたいようにやるのと、

純粋に愛したり楽しんだり信じたりするする力が、僕にはないのだと昨日、再認識した。

 

それは身を守るための自己嫌悪や不安や疑念によるバリアでした。

「間」と言うものが愛せず苦手で、だから喋り捲って、相手を追い込んでるのだと気付く。

 

だから、とりあえず相手を本気で信じたり、愛したり、思いやったりしてたら、気を遣うという概念も思考や論理もなく、純粋に相手の話をゆっくり聞いたり、普通に楽しめたり、疑ったりすることもなくなるだろうなと思いました。

 

完結した気がします。
後はこれを人の前で、できるのかな?って事ですが、それは意識し続けて生活してたら、無意識に習慣になる事でしょう。

 

僕等は、皆、似てるようで似てなくて、人間誰もが多分、理想とする場所や生き方や死に様はそんなに変わらないと思うのです。

 

ミンナ何かしらトラウマがあって、診察に行けば、何かしらの病気スタンプを貰えることでしょう。

だから、そんなにみんな変わらないはずなのに。

 

そこで感情や性格が作用して方向性が変わっていくのが人間で、それで喧嘩したり見直したり傷つけ傷つけられ気づき気づかされるのが人間関係です。

 

ここで文字にするのは容易いけど、やはり他人でも家族でも友達でも恋人でも、別の人間は別の人間だから、とても難しいし揉めるけれど、そこで何か見つかるから人は人と居続けるのでしょう。


孤独は風景で、友達で、一生のものではなく一瞬のものだと教わりました。鬱病になってから俺は時間が有り余ってる分、気付くことばかりです。

これが療養です。

 

そこの最終的に行き着く先は感謝です。

 

そして、昔より素直になり始めてます。

そんなもんだ。割り切る力も増えた。

から、僕は身近な人からとにかく大切にしたい。

全員は無理だから1人ずつ。してもらったからです。

隣にいる人から、まず。

 

それだけでいいのにね。

 

だから、珈琲を飲みに行こう。

週末の佳境。

 

SNSは刺激が強すぎるし、

雨や曇りの日は漠然と不安。

部屋で1人はやはり不安だし、

晴れてたとしても、

外に出るのも億劫だし、人ごみは怖い。

笑い声はうるさい。

なんやかんやあって、家にいる。

居るものの、家の蛍光灯は明るすぎる。

暗けりゃ落ち着くけど、寂しさは増す。

 

ミンナ大変だし、ミンナきっと何かしら病気だ。

けれど、ミンナなんでか、気付いてくれていて、

先日、先述した通り、

気取らない優しさ、気負わせない優しさをくれる。

素直に受け止めきれない自分が嫌い。

でも本当は暖かい。思い知ってる。

でも、何かしら言い訳を探してる。

 

だから彼女と一緒にした。

けど、こんな薬漬けの毎日、

慣れてきたからなのか、季節のせいなのか、

結局、眠れず、身体も心も疲弊して、

その疲弊は最も近い人に伝染する。

僕の疲弊が誰かの疲弊を産み、疲弊が合体し、

膨張して莫大な疲弊になり、誰かの涙になる。

僕は涙出ない。過去を振り返るばかり

今まで居てくれた人達のことを振り返る。

 

その人達の前で偉そうに、

論理や思想や哲学を披露して、

疲労してたことが急に馬鹿らしく情けなくなった。

いや、虚しいが相応しい表現か?

 

良くも悪くも、

変わったこと、変えれたことも少なからずと

僕の中にもあるだろう。逆も然り。

 

けれど、僕が人を傷つけているときの状況、発言、思考、論理、言葉尻は何も変わってなかったよ。

 

無意識の意識の中、

人のせいにして自己否定と言う枠の中の自己肯定で勝手に楽になってたのだろう。結果、大嫌いな母親と同じ始末だ。蛙の子は蛙か?やはり。そうじゃないと信じる他ないけど。儚いけど。

 

手遅れではないだろう。そんなことないだろう。

 

遅すぎることなんて何1つない。君も僕も間違ってない。終わらない。巡り巡って貴方と居るように混ざり混ざって真っ二つの道になり。とか、絶対なんかない、絶対に。とか、大事なことは大好きな先輩が、いつでも歌ってるんだよな。

 

それに甘んじることも乗っかることも今はできないけれど、近くの人だけでも大切にできたらと思ってた。できないから、考えた。分からなかった。

到底、行き着かないだろうとも思った今は。諦めないけど。考え過ぎて考えが及ばなかった。

 

躁とか鬱とかトラウマとかじゃない。

そんなの、みんな持ってる。

解決までも時間でもないと思う。

フィルター通した思いやりだと思う。知らんけど。

 

言葉に捉われすぎて、思考に囲まれて、

結果、大切なものに慣れて甘んじて、

見失っているんだろう。大切なものが何かすら漠然としてるのに。

 

まぁ今日は結局、一通り、何も分からないし、暫く答えも出ない問題なのだろう。

まだ登ってる山の高さも知らないし、

頂上なんて当然、見えない。

見たくもないまでもある。

 

休む?わかんない。何したい?わかんない。

何も考えたくないなってことを考えてる。

 

でも大切にできてなかったものは大切にしたい。

 

こんなとこで残す言葉なんて書けば書くほど薄っぺらくなっていくばかりだなぁと思うけど、まぁその内、自分で読み直して、何か気づけるように残しておくことにするよ、俺の場所だし。

 

どうか深く眠れますように。もう目がしばらく覚めませんように。気持も冷めませんように。

 

別に誰でもいいけど、

誰かが、どうかいい夜を過ごせますように。

 

おやすみなさい。

みんな明日から辛い5日間、耐え忍んでください。

それは純な感情です。

 

おやすみなさい。

幼少の果て、今。

 

爽やかな曲ができました。

病気?にも、なってみるもんですね。

 

 

「幼少の果て、今。」


「いつまでも、側に居て。」って、どれだけ子供なんだ。
今迄だって、ずっと誰かが、側に居たじゃないかよ。

「見栄を連れて、虚勢まで張って。」どれだけ子供なんだ。
それでも、ずっと、誰か、お前の側に居たじゃないか。

陰に居たって、陽に居たって、それほど変わらないよ。
それでも、ずっと、誰か、お前を照らしていたじゃないか。

歳だけとって、鬱に至って、また、まだ子供なんだ。
それさえ、歌に変えて、不思議と生きていくんだろう。


幼少の果て、今、大人になれたかい?
幼少の果て、まだ、子供のままかい?

どれ程、愛して。どれ程、愛され。
全てが決まる。全てが分かる。全てが変わる。
「全てが変わる。」