島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

際限無く死に近い9月の初め。

 

回りくどい書き方をせずに書かせてもらおう。

僕は昨日、とても悲しみに溢れてた8月が、

終わってしまうことに大変な虚しさと、

同時に切なさ込み上げる金木犀の匂い、漂う、

9月がやってくることに少なからず喜びを覚えていた。

 

単刀直入に言うと昨日の僕は躁で、

今日の僕は稀に見る鬱で今日の記憶がない。

 

今、それを残しておこうと此処で手記することにした。彼女も居らず同棲ということしてないし、誰かが僕の家に居候している訳でもないが、部屋に僕ともう1人いる感覚だ。それはきっと僕であり僕ではない。二重人格とまでは言わないけれど、昨日の僕のつもりでいた今日の僕は、信じられないことばかり起こす。月を跨ぐこと、季節が変わって彩られていくこと、そして、昔を思い出していくこと。

僕は、それをとても大切にしている。

 

いつ迄経っても、自堕落な私、

少なからず人の力で生き延ばされ、

今、生きて、振り返れる人生があり、

それを大なり小なり、現在と比較できること。

それを僕だけでなく誰かと言葉を交わせること。

素敵、美しさ、以外の何物でもないが、

上、それ以上も以下もない。

 

折角の9月が俺の元に訪れていたにも関わらず、

俺は今日、極限、そして、際限無く、

死に近い状態だった。9月がくるって約束も、

忘れていたぐらいだ。先ほど、一時間前、

漸く脳が正気を保ち始めた瞬間、

俺は愕然とした。

 

1日の約束を全て飛ばしていたことにも気付き、訳のわからないもので家が散々としている。誰の仕業だと激昂しそうになるぐらいの様だった。返してない連絡と未だ在るのだろう。

 

それを1つずつ片付けていっては、

記憶の断片を探るが、目眩と立ち眩みで、

マトモに動くこともできず、予想以上のエネルギーを使い、それを追っていく。しかし、俺の断片は殆ど見つからず、もう探るのも諦めことにして、目の前のことを徹底的に清掃という名の破壊をしていく。

 

ほとほと情けなくなって、

目眩で、倒れ込むたびに、

一層の事、俺に死を。と、

叫びたくなるのを堪えて、

 

自分達の力でや今迄の出会いで、

組まれたバンドのスケジュール。

信じられないぐらいの電話代は、

一先ず、忘れたフリをして、

確実に一気に拡がりを見せた世界。

 

俺個人もバンドも、

生存し続けるかの確認作業と、

僕等の力を何処まで影響させれるかの

腕試しのような修行のようなツアーが始まる。

 

もう9月は来ちゃったのだから仕様がない。

今日は申し訳なかったが、明日からは、

もうツアーがスタートしている気持ちで

いるからさ、今日だけは目を瞑って許してくれ。

 

部屋に、住んではガチャガチャにしていく、姿形も分からぬ者よ、どうにか擦り合わせて、一先ずは死を遠ざけ、希望や優しさに身を委ねて見ようじゃないか。

 

いい歌が出来そうだ。

孤独はもう飽きたよ。

3歳から孤独だからね、

もう僕は孤独のやり方を知ってるから、

大切なやり方を気付いていかなきゃな。

このままだと、

今年すら終わってしまうよ。いつの間にか。

 

間に合わせよう。諸々と。

 

追伸:そんな中、突然の連絡で、一筆書いてくれと、文学青年、島崎は、友人の為に書き下ろしました。

ママママというコント製作団体を指揮する木之瀬君という奴が京都にいます。ツアーと被ってるから一先ず、見に行かねばならぬ。と。

取り敢えず、彼が作ったフリーペーパーを貼っておくから、其処でも彼の文から始め他のアーティストの文も、僕の負けじと書いた文も読んでおきたまえよ。

https://note.mu/mmmm_mag/m/m17830eb30058

 

 

際限なく近づく死を迎え入れ、

それを懐に入れ暖めておき、

今は際限なく喜びに近い大きな声を、

叫べますように。祈り、眠る。

 

各々の人々に幸多からんことを。