晩秋
感情で感性まで失わないように、
疲労感で昨日までを否定してしまわないように、
仕事帰りは出来る限り、川沿いを歩いて帰ることにしている。
普段、下ばかり見て歩いているのに、
液晶画面ばかり覗いていたら、
他人の足元まで流れ込んできてしまって、
もうそんなものを掬う気にもならないよ。
液晶画面も良いんだけど、
そこと隙間の優先順位が変わっていってることは
あまり頂けないよね、僕ら。
トラウマに苛まれて生きてきた僕が、
いつの間にか他人のトラウマになっていたそうで、
トラとウマのハイブリッドかつサラブレッドだなんて、世の中、皮肉なものですね。
過ぎる。
という言葉の希望と絶望について考えていた。
ここにあったものは、予期せず、いつの間にか過ぎていって、また悲しくなって。
みたいなことの繰り返しだとは思うのですが、
それ程、当然に、かつ極自然に存在していたのなら、
それ以上の幸せなんて有りもしないんじゃないのかな。とか考えていた。悲観的になりすぎるのも、解決には向かわんかもな。なんて、らしくない結論もあったりしました。否定も何もないよ、この夜には。
君の背丈と仕草の柔らかさを思う。怒ってばかりを怒ったことはあまりなかった。
呼吸のリズムが整い始め、空気に馴染んでいき、それらは秋というものに付着して、確かな冬へと過ぎていきます。
馳せよう。馳せてしまおう。