島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

「66'」


もう、どうなったって、構わない。

泣いても、吐いても、朝は来るのさ。

過去の所為にして。


もう、どうなったって、構わない?

触れども、触れども、君は去るのか。

僕の所為にして。


もう少しだけ側に居たいな。胸も痛いな。

ああ、また日は暮れるのか。笑っちゃうよね。


もう、どうなったって、構わない。

飛ぶのも、刺すのも、変わらないのさ。

決まって朝は来るのさ。諦めてさ。


「ふわり、ふわりと、水面に浮かぶ。

過去の波紋、光を魅せて。

そろり、そろりと、未来に映る。

綺麗ね。声が聞こえた。」


さよならさ。輝く明日。

疲れたろ。結んで開いて。

さよならさ。全てを介して。

遠のく言葉、まだ見ぬ明日。

 

さよならさ。さよならだ。

魚類

人の死や天災に酷く鈍感なのは、

是迄の生い立ちが大きく作用してるのではないだろうか。

幼少の時、大好きだった祖父が死んだのが最後。

涙を上手く流せなかったり、上手に悲しめない自分に、

余計に悲しくなったりする。


当事者意識という言葉に惑わされたり、

タイミングを得れない自分に苛ついたりして。

ここまで羅列した感情の幾つかも、

純な気持ちなのかは分からない。


でも、その全ての根源が、詰まる所、

純だったならば、どうなるだろう。

非現実の深海をを夢中で泳いでいたら、

現実という陸に上がった瞬間に、

呼吸がし辛くなったり。


しかし、人間。

上手く笑ったり、上手く悲しんだり、

できたり、できなかったり。

つまり、人間。


両生類になりたかったのに。

魚類では、この現実の陸では息ができない。

27

正直、薄々、分かっている。

俺はきっと何者でもなくて、

何者にもなれないということを。

 


蛙の子は蛙、その蛙大海を知らず。

そのまま海に投げ出されてしまって、

何処へも行けぬまま、気付いたら沼の中。

 


傷つけて来た人の顔ばかりが思い出されて、

借りた金の額、指折り、とっくに指は足りない。

指差して笑っていた奴の顔ばかり思い出されて、

夕暮れより早く沈みゆく心。

 


悲しい時に悲しい歌を聴くのがいいよね。

そんな中途半端会話と惰性の愛で、とか言っちゃって、

俺もう幾つなんだよ。

 


ロックスターの次は文豪で、文豪の先は何だ。

綺麗なお嫁さんの次は、毎日大変な専業主婦。

その次は何だよ。

 


エモいとか青いとか、ロックとかパンクとか、

馬鹿みたいな日本語ばかりに侵食されちゃって、

行き当たった場所で、生き詰まり、行き止まり。

 


でも、人の期待ぐらいは、覚えていたいしね。

そんな感じで、また次の日へ。

音の鳴る素材。

一個を得ると、一個を損失する。それは何が故でもなく、自分のせいで、容量不足や器量不足が露呈されてしまう。そこでの発言や失念が怖いので、生活の中に於ける音の鳴るアイテムを点けることでしか自分を惑わすことしかできない。奮わせることは無論、ゼロ。疲れてるんだ、落ち込んでるんだ、優しくできないんだ。もう、そんなことを発言してる余裕もないんだ。

ぼくたち。から半年。

深く眠れずに、夢うつつ、身体は動かないが、脳が動き続け、しかし、心と脳は一体化していないから、どちらかが優位に立つと、どちらかが不利になっていくのが摂理ってもので、どんどんと呼吸が乱れて、全てが完全なる不一致を迎え、それは悪夢となり、懐古、懐古のシューリンガンポンポコピーポンポコナーの、チョウキョウメイノチョウスケって具合に、未練がましく記憶力が行きすぎた僕は、過呼吸になり、泣きながら、手探りで薬を探して、口に放り込んだのが昨日。

 

その前日、現実すぎる現実、最早、悪夢でもいいから夢であってくれ、ぐらいの現実、元寇も真っ青レベルの襲来。しかしながら、そんなものは、その程度だって分かってて生きていたわけで。言い訳のように肌を求める感覚とか、酒を煽る日々とか、どうしても家から出れない一日とか、晴れ渡る空の下、桜並木を両手で受け止める日とか、そう、言い訳がましく、見て見ぬ振りして生きてきたのが、この数カ月で。でも、僕、たまたま感受性が豊かで、そこに関わってくれる人達に囲まれてるお陰で、なんとなく全ては、確固とした優しさや厳しさを持って、現実よりも現実として過ごせていたので、それを歌詞にしたり、ここに書いたり、圧倒的、音圧に変えてみたりして、それたちは、より明確な愛に満ち溢れた現実味を帯びた日々を過ごすことができている。

 

去年の11月末に「ぼくたち。」というブログを書いている。半年後の今、あれに勝る文章も感性もなくて、そこに尽きるとすら思っているので、もしお時間あれば読み返してみてください。やっぱり、そうだよな、僕たち。っていう次第です。

 

愚直で憐憫に甘んじてきた僕なんかに、易々と愛や幸せが訪れるわけはないので、また省みて、逃げずに生きていく他ないのです。でも、僕も人間なので、どうしても儚いのです。

 

今度こそはね、必ず、幸、多からんことを。

 

フィクション

泣いてしまったんじゃなくて、泣いたら何か変わるかと思って、無理矢理、泣いてみただけ。

元々、そんな自分には興ざめしていたし、冷静過ぎたが故、感情的になってしまった心は、より冷静さを取り戻してしまって、一気に、無、というか、どうでもよくなっただけ。


動物が鳴くように、ただ泣いてみただけ。

そしたら、抱き締めてくれるかな、とか、愛や優しさを囁いてもらえるかなとか打算的に考えてみたけど、相手側も、多分、この手法使った事があるのでしょう。自分ではない、その存在の目は死んで、体は怠そうに垂れ下がり、掴む腕の力も弱く、嘘っぽい音色の声で、大丈夫かと問われるだけ。


そんなことを月曜の朝から繰り返していると、また邪気が迫ってきて、玄関に座り込んで、今のこの状況よりも、今日から週末までの労働への嫌気の方が優ってきた。

おっと、ここらで色々と混ざってきた事に気が付いたので、今日は晴れてるから自転車には乗らず歩いて郵便局まで行くよ。と誰に聞こえるわけでもなく、心を整理する為、曇り空の下で誰の為でもない嘘をついた。


ここまで全部、独り言。主語とかなければ、ただの独り言。相手が居なければ話しかけられない。現実で起こっている、今、確かに持ち合わせている僕の感情や感傷、思考や思想が、誰にも伝なければフィクションになってしまう。


そんな悲しい事があるか。片思いの失恋より悲しい。自分の無力さ故、想像を遥かに超えて、素敵な物が現実に出来上がっていく。これは最早、恐怖以外の何物でなくて、そう勿論、芸術でもなんでもない。お化けの学校にゃ試験も何にもない。


二年半程、飼ってるハムスターを、スナック菓子を頬張りながら眺めていたら、コイツになりたいなと、今日初めて、思った。誰かが餌をくれるのを待ち、好きな時に眠り、喉が渇いたら水を飲み、夜中になったら滑車の中だけを走り回る。こいつになりたい。とそう考えた瞬間に、その思考はただの死に直結する。自殺ではなく緩やかな自死に至るという不純な由々しき事態に気が付いた。死にたくないから殺してくれ。こ、こ、こんな事を考えるのは久々のテンションであって、滅相も無い。こんなのは全て不眠のせいってことにして聞き流してくれ。あ、でも、僕だけの感情で、これ誰のものでもないから、そう、フィクションですけど。

公園にて、素面で。

自己肯定は弱いのに反比例して、自己承認欲求は留まることをしらない。よく言えば昇華、悪く言えば、墓場となるような場所と音楽。そんな日々を送っていると、我を忘れて、人の気持ちなども直視できず、ただ逃げ回ってるかのように家に引きこもって振り返ってみて。自分の気持ちを最優先してしまい、人が望んでた思いや言葉を酒の勢いと理不尽な怒りで投げては思い切りブツけてしまって、そんなのはやはり、自信を持って愛されるわけなど無くて、やけになって過食気味の生活を送る。私自身に許しを乞うよりも、此処に行き着くまでの日々や人々を蔑ろにしてるのではないの。と問われ、あまりの正論にぐうの音も出なくて、下手な下ネタで、茶を濁し、茶柱が立たないことにも容易に絶望してしまい。ただ盲目に日々や感情を経てきたけれど、ふと立ち止まって、節目が来る度に、自分の愚かさと花粉で鼻水も止まらず、目のかすみも酷くなる一方。友達。って言葉を使う人達に、この幾月かで、沢山、出会った。ここから、やることなんて、結局、自分次第でしかないし、そこを素直に話し合える人やタイミングも、多くはないこと、分かってるつもりであったのに、期待というか、その愛に凛に添えないことばかり。言い訳でなく謝罪でもなく、愛情や感謝を伝えれない程の馬鹿だったのかな。自分に都合の良いことだけ感情記憶で、それを過信して、熱湯だったお湯を冷まして、それに浸かっていたのは誰でもなく、そう俺だったよ。この文を書いた日を過信しすぎている記憶力をまた過信して、それを咀嚼して、自分の言葉と感情で、またしっかりと貴方やあの人に伝えれるようにならないと。

気持ちにかまけた散文をお許しください。