島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

エゴイスト イズ スーサイド。

思考を超える凄いものを目の当たりにすると

やっぱりもう俺なんて必要ないよな。って思う。

最初から誰に対しての何の責任でもないのに。

 


でも、俺はいつだって、

自死を志す時と一緒で

自分以外の誰かに答えを求めてる。

 


模索し続けること自体が芸術なのか。

俺は、誰にとって、何者なのか。

いや、鼻から何者でもないのか。

 


エゴイスト イズ スーサイド

 

 

ご報告(前向き)

まだ直接、ご挨拶できていない方々が殆どで非常に申し訳ないのですが、急なご報告失礼致します。

 


今月末までで、こばちどり清 を退職させていただくことになりました。 生駒さん、助、省太さん、安人さんを始め、、沢山の方に力添え、また応援していただき、本当に心より、感謝しております。

 


自分の可能性や、技術、人間性、これ程まで濃厚に向き合う時間は初めてでした。至らない点も多く、迷惑をかけてたことが大半だったようにも思います。

 


急な報告で申し訳ありません。

僕は10月からは別の飲食店で働かせていただくことになりました。こんな形のご報告となってしまい、非常に申し訳ないですが、また何かしらの形で素敵なご報告ができた際は、応援していただけたら、と勝手ではありますが思っております。

 


いやはや!

本当に美しい時間だったことは間違いない!

前向きな決断であることも間違いないのだ!

本当に感謝に尽きる!

 


こばちどり清は、別の方の営業で、まだまだお店は続きます!そちらも何卒、宜しくお願いします!

心酔の勤め

遠くに揺れる。

知らぬ間に枯れた華ばかりを想う。

煌めく陽を、跨ぐ鯉達を見てる。

 


愛されたって嫌になって、愛し方も忘れて。

俺はただ、サビだけを探す。

 


欠ける月の下で、朧げな二人、酔いどれ。さえずり、夜の向こう。

駆ける都市の隙間、僕は多分、それ。君と同じ夢を見てる。

 


どうかしてる?

溶け出した日々、歌に変えても。

どうか、頼む。

巡る季節の側、僕の声を連れて行ってね。

 


消える影の向こう、

走っていく街の先。

全ての思い出、託し、

穏やかな日々、

探しに行こう。

 

 

 

 

昨夜

よく眠った、その目をゆっくり開いたところ、目の前には壮大な青。その遠くに見えるのは、煎茶をひっくり返したようや巨大な鮮緑の集合体。

ここがどこなのかは皆目検討もつかない。

腐り切った脳神経にぶら下がる死した心、それにただ付属されただけの怠惰な四肢たち。

何も作用しておらず連携もされてないみたい。

 


体の外部の傷はない、内部も全く傷んでいない。けど、なんでだろうか、喉に何かが突っ掛かりがあるのだろうか。声が出せない。どれだけ頑張ってもうゔぅと言う声すら出ることなく、誰が聞いても不快な想いに誘うような、ため息混じりの紫色の息が見えそうな、出てはすぐ消えた吐息。のみ。

どんどんとあたまが現実に順応してきて

自分がただ1人、こんなこところにいて

はたまた、俺はここまでどうやってきたんだ。という途轍もない不安と寂しさが押し寄せた。と同時に全ての体の神経が、この現状を強く拒絶していた。 地面に飲み込まれるように体からどんどん力が失われていく。その浅緑に膝を突いた途端、男は気絶するようにまた眠ってしまったのである。

 


「仁」「仁」と何度も繰り返す声が聞こえる。そこそこ大きい手のひらが、僕の右肩を早い頻度、大きめの力により、気の抜けた最早俺の体ではない物体を大きく揺らす、

今すぐ、ここから去れ、ジャンキー!

2023/05/14

昔の歌を忘れてしまいました。

美しさを過信していました。

愛し方に関しては元々、

知らなかったみたいです。

愛され方だけ上手になって、

うまく笑えてない自分に笑える日々です。

 


形のないものを形容。

継承を抵抗。冷笑の性交。

反吐が出る。俺はもう家に帰る。

イタチごっこ、トカゲの尻尾切り。

何故、俺はいつまでも、愛せない。

 


今すぐここから去れ、ジャンキー。

 


季節の重なり合いを探している。

君の匂いだけは覚えている。

そう、ずっと覚えている。

ごめん、お願い、まだ覚えていさせて。

悲しくとも、悔しくはない日々よ。

いつか僕は、君みたいになれるかな。

 


サビだけを探している。

全てのための言葉を探している。

未だ見つからないみたい。

ずっと変わらないみたい。

「こばちどり 清 」を始めるにあたり。

 

久々のブログです。

明けまして、おめでとうございます。 

 

本をあまり読まなくなった今、内を鬱屈とする文学魂も少なくなってきて、ブログを書かなくなったものの、自分だけと向き合いながら、多少なりの承認欲求を満たすのに、めちゃめちゃ相応しい場所、そう、はてなブログです。

 

 

本題。

 

幼少期。

物心ついた3歳半、よく覚えている。

母は基本的に家にいない。

天文館あけぼの横、パーティワン上、8畳と1キッチンの間取りに住んでいた。母も父も夜の仕事で、ずっとお留守番だった。家のすぐ近く、今はタツミ亭、元ボン弁当、その横は、中華料理屋。保育園終わり、1人。小気味良く振るわれる中華鍋を毎日のように見に行っていた。その隣のボン弁当、チキンステーキ弁当を、置かれたお金で買いに行っていた。何の疑問もなく。

 

小学2年。両親は離婚し、妹とも離れ離れ。

僕は母に引き取られた。決して貧乏でもないが、確実に裕福ではない。しかし、母も若い。バリバリのバンドマン。そんな中、俺を食わす為に、一日中、働き回っていた。帰ってこない夜も度々。別段、何の疑問もなく、ただ日常を過ごすだけ。

 

その中、

母が買ってくる、ほっともっと(ほかほか亭)の弁当、マックスバリュやタイヨーの惣菜、週一で行く祖母の家の手作り夜ご飯と薄く巻いた卵焼きメインの持ち帰り弁当。

 

その頃から食というものに支配される感覚。

感覚はあるものの、何の考えもなく、僕にただ渦巻くものは、漠然とした寂しさ。飯なんて1人で食っても味もせんし、なんとなく虚しいだけ。誰かとご飯を食べたい。なんとなくこの感覚、打破したい。

 

小学3年、母が今日も帰ってこなかった。腐った素麺、腐った米、食い飽きたインスタントラーメン、インスタントカレー。食べたくなかった。齧り付くように見ていたテレビ。NHK、ひとりでできるもん。漬物の漬け方を放送していた。今は、時効であろう、近所のスーパーに行き、白菜を、丸々、一玉。万引きした、小3の俺。周りから見たらきっと、駐車場まで運ぶお手伝いをしている子供。特段、罪悪感もなく、寧ろ、ワクワクした足取りで、そこから5分、早歩きで家へと帰路する。

 

盗んだ白菜を覚束ない手つきで切り分け、

家にある、いつのかわからない、食塩、薄口醤油を駆使し、ベランダの室外機下のコンクリートブロックをトンカチで砕き、その破片で、白菜を漬け込んだ。腐った米を炊き、腐った卵を目玉焼きにし、食したのを覚えている。とんでもなく興奮した。なんだか、とてもおいしかった。なんとなく始まった気がした。

 

僕の唯一の楽しみ、週末だけ、祖母の家に預けられる二日間。温かいご飯を、祖母と母の妹と囲む。忌み嫌われながらも、とても美味しい食事にありつく感覚は今も消えない。

 

そこから祖母の調理過程を見守るようになる。こんなに美味しいご飯を、家で1人でも、毎日食べれたら、そこまで寂しくないんじゃなかろうか。と。

 

とにかく寂しさを埋め合わす為に、インスタントでは役不足、とにかく自分で美味いものを作り続けるべきだと思っていた。俺が本当の意味で満たされるから。

しかし、母が買ってくる惣菜や弁当もとにかくおいしかった。それは母がそこにいたからだった。

 

飲食店で働こうと思った。

人の幸せは飯で成り立つんじゃないかと本気で思っていた。どれだけ満たされぬ日々を過ごしていようが、死にたかろうが、飯を食うということは、心を繋ぎ、生き抜く事に繋がるのだと思っていた。それが1人ではなく誰かとなら、尚更。

 

17歳、居酒屋で働き出す。常識も何も知らぬ俺には全てが不満だったし、全てが想像外だった。しかし、自分が作ったものを、その場で人が喜んだり、怒ったり、感想が瞬時に出される感覚はとても興奮した。そうなのだ。

中身は、僕が唯一、信じた、バンド活動と何一つ変わらないのである。そこに思想や感情、味だけではなく、全てが作用して何かが産まれていく感覚は、何となく僕には、またしても興奮へと繋がる。

 

ご飯を作るという行為は、

どうにか人に喜んでもらったり、わかりやすい愛を伝えたり、感謝を表現するための、わかりやすいツールとして備わっていた。

 

 

それら全てに深みを色づけてくれた

西屋、ほっともっと、たけとし、ダイニングバースト、赤衛門、数々、お世話になったお店たち。

 

綺麗事では終わらせれないぐらいの迷惑をかけたりもしたが、それでも、どうにか、貰ってきたものを返したかった。

 

僕が持ち合わせている飲食への情熱や感謝と、それを含めバンドを続けていくという行為。僕が中途半端な立場で、もがいている感覚を見兼ねた生駒さんたちの言葉。

 

 

売れてもないけど、

その日暮らしで曲を作り、

メンバーで鳴らし、ライブをし、

誰かが喜んでくれる感覚は、

 

大好きな人たちにご飯を作り、

なんとなく興奮してくれる感覚は

限りなく近い。接客の苦手さとMCの苦手さも限りなく近い。

 

が、僕はいつだって、誰かに肯定されたいし評価されたいし、とにかく喜んでもほしい。怒られるタイミングでは、ちゃんと怒られたい。

 

飯食うことはきっと死ぬまでおもろいし、とにかく僕の力で、どうにか人にずっと喜んでもらいたいし。

 

いつか分かりやすく、今よりも、もっと、それらを、表現できたらいいのにな。という一つの夢が、

 

数々の人の協力や思いを経て、また一つ叶いそうです。

 

幼少期の僕や、今の僕を囲む方々、それまでの道中、僕が傷つけてきた方々も、これから出会っていく人たちのことも、

少しでも喜ばせることができるよう、食の素晴らしさを伝えれるよう、

こばちどり 清 で、答え合わせしていきたいと思っています。そして、また新たな答えを模索し正解に近づけていきたいと思っています。

 

よかったら、応援してください。

 

こばちどり清も、

その日暮らしも、何卒、

宜しくお願い致します。

 

ライブハウスでも、お店でも、

お待ちしております。

 

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その日暮らし

 

10年前、

いない いない ばあ というバンドを解散して数ヶ月経った際、なんらかの人性補欠のイベントを見に行き、SR自販機前、当時灰皿のところ、ライブハウスで、たまに見かけるパーマ頭の男が、「いないいないばあの子じゃん。バンド辞めたんでしょ?もうバンドやらんの?」と声をかけてきた。飄々とした男の溌剌とした声だった。「メンバーがいないんよね。あ、やる?」と100%の冗談で問うた。「え、やる」

引くほどの二つ返事だった。ギターが弾けると言うから、ルートベースぐらいなら弾けるだろってな具合で、お願いして、バンドを組むことにした。コベタカスミ、結婚おめでとう。

 

ドラムは大分に住んでいた同級生タケマサヤにお願いした。その当時は鹿児島に受け入れてもらうことは諦めていた。

 

俺はコミックバンドを組むぞ。と息巻いていた。

彼と出会った数日後にインフルエンザに感染し、40度超えの発熱で寝込んでいた。意識朦朧としながら、新しいバンドの曲を作らねば。と思い、ギターを手にしたら、何と3曲、一瞬でできた。

 

五月雨心中,阿呆学生,股間口。の順だった。コミックバンドを組むことは勝手に諦め、その3曲をもって、完治後、2人を集めスタジオに入った。コベタカスミは全くベースが弾けていなかった。でも、何だかとても優しい男なので、取り敢えず続けてみることにして、ライブをしようにも、鹿児島でライブ決めてもらえず、宮崎に住むあびに、彼の福岡でのライブに無理矢理捻じ込んでもらえないかとお願いしたのを覚えている。

 

初ライブは10年前の福岡四次元。その次の日に福岡ビブレ。その何ヶ月も福岡に通い続けたような気がする。タケマサヤは大分だったので、何かと都合も良かったのを覚えている。

 

タケマサヤはジャズをやる。と、コベタカスミはDJになる、と順に去っていった。

 

そこからは数えきれぬ人達に、

多大な迷惑をかけながら、何度もメンバーが入りは辞め、を繰り返した。

約6年前フクドメ、オオコシが辞めた時に、もうこれ以上はいいか。と思い、解散宣言でも出そうかなと、でも、売れてもないのにわざわざ解散宣言なんて、恥ずかしいよな、なんて考えてるうちに、安藤太珠の夢を見た日がある。

 

安藤太珠は、その日暮らしの、それまでの、ほぼ全てのライブに足を運んでくれていた。TwitterのDMで予約お願いします。とだけ連絡をくれ、終電が間に合わないか何かで、毎回、ありがとうございました。とだけ伝えて、帰る変な大学生の男の子であった。でも、なぜか彼の夢を見たので、急にDMで飲みに行こうと誘ってみた。さしたら、快く返事をくれ、飲みに行ってみた。飲みに行く前からバンドに誘おうかなと思ってはいた。

僕は確か3,40分待った。年下なのに無礼な男だと思っていた。遅れてきた彼は席に着くや否や、ニタリ顔で「清大さんって鬱なんすか?笑」と問うてきた。

 

当時の僕は、自分が鬱であると認識しておらず、何だこいつ。と思いはしたが、なんか愛くるしい男だと。そして、多分彼は僕に何も臆せずバンドをしてくれるだろうと思い、バンドに誘ってみた。彼は嬉しそうにしてくれた。が直後「僕が清大さんとバンドをするならば、僕は清大さんには、今の清大さんを変えてほしいです。技術は勿論、メンバーが辞めていった理由などを見直してほしい」と言うようなことを伝えられた。僕は気付いたら泣いていた。彼は僕がダメでも辞めないだろうから、ダメなままでは良くないなと思った。安藤太珠。良い男である。

 

それから太珠と2人だけのバンド生活が始まる。色んなとこに出向きドラムを探すものの、どうしても見つからず、やることもないので、曲を作るのもそこそこで、グルーブを高めることから始めようなどと抜かし、2人で釣りに行ったり、プールに行って泳ぎまくったり、公園でただただ話したり、でもやっぱり最後にはへべれけになるまで飲んでみたり。なんじゃこれ。と流石に青春を浪費しすぎている。音楽をせねば。と、僕の人生初ライブからのお付き合い、袰谷にサポートドラムをお願いできないかと。何度も頼み込んだ末、RECも県外ライブも無理を言って、付き合ってもらい、沢山の物を得た。本当にありがとう。君がいなければ、ほとんどの曲は生まれていなかったよ。

 

そこから正式ドラマーを探さねば、いよいよ、袰谷にも申し訳が立たない。甘え続けてる場合ではない。と振り出しに戻る。いつかのウォークインフェスにて、そんな僕らを見かねた、BACKSKiD Dr.LOVE一郎さんが、こいつドラムしてて、バンドしたいらしいよ。と田舎者のガリガリの坊主が少し伸びたようなガキンチョを紹介してくれた。一言もものを言わぬ、その少年に、僕らはペコリと頭を下げて、その日暮らし見たことある?と尋ねた。

 

「ありません、満身って曲だけ知ってます」

 

ああ、そう。とその場を去った。

何も起きず、その数ヶ月後、志布志ダグリ岬遊園地で、ライブイベントがあると聞いたので、先輩や友人たちと遊びに出かけた。ぷぷぷを観てる最中だったか、フェスで会った少年が、たまたま隣に立っていた。髪はだいぶ伸びていた。

 

しこたま酔っていた俺は、その日暮らしを知らぬ彼に、お前はバンドをやった方がいい。いい目をしてるからなと何度も擦り込んだ。

日は暮れて、S.O.L.での打ち上げでまた彼と遭遇した。彼はウィスキーを気で飲んでいた。お前は何をしてるんだと。隣にある炭酸水で割ってハイボールで飲みなさいと僕は留意した。彼は「ハイボールってなんですか」と聞いてきた。

衝撃を受け、満身しか知らぬ彼を必死にバンドに誘った。ベロベロな俺たちは、今日から俺らは義兄弟だ!と叫びながら兄弟盃を交わしたのだった。緋田俊太。あけまると呼んでくださいと言われ、嫌です。と伝えた。

よかれわるかれ、純粋無垢、著しい成長は俺ら以外が気付いている。緋田俊太。

 

確か、同じタイミングぐらいで、元ジェットマンズGt.の女、が精神を病んでるとの噂を聞きつけ、何だか知らんけど、確かお茶かなんかした気がする。思ったより元気そうな彼女に、僕はその日暮らしの諸々のデザインを手伝ってもらっていた。その時間の中、この子おもろいなぁ。と思い、お金少し払うから、その日暮らしの色々手伝っておくれよ。と言うと、また彼女も嬉しそうに、私でよければ。と言ってくれた。お金はしばらく払われなかった。が、最近は、生き甲斐だとすら、僕らに言ってくれた。あずまはな。ありがとう。お互い、だいぶ健康体になれたな。

 

その日暮らしの歴史を9割近く端折って羅列してみた。10周年の実感などなく、そして、いつものようなライブ前日の緊張感すらないので、書き起こしてみるか。となったが、2700文字前までと、何の変化も起きず。

 

だが、端折った歴史は、僕の心に死ぬことなく轟々と燃えていて、少し涙は溢れそうだ。

 

人々の悲しみや憎しみを、俺は全てを包んで、感謝という感情や言葉で纏めてはいるが、それで本当に正しいのだろうか。昔のメンバーを思えば思うほど。

 

だが、歓喜や喜びも産んでこれた実感も、正直、驚くほどある。お客さんや先輩後輩友だちの顔を思い出せば思い出すほど。

 

日付まわり、

今日のワンマンが終わらないと、

俺はどうしても、

ここから先には進めないのだろう。

 

全ての答えを、今の俺たちで、

約1時間に、確実に宿さんとし、

歓喜や悲哀、全てを取りに行く。

 

駄文極まりないが、

読んでくれて、ありがとう。

 

2022/10/22 SR HALL

The Under For The Over -10-

その日暮らし ワンマン

 

宜しくお願い致します。f:id:s-seidai0509:20221022041715j:image
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