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島崎清大の「来たる未来。」

島崎清大のブログ。の様なモノ。

夕日が沈む川とオレンジトレイン。

 

療養と言う名のを空白の期間を過ごしている。

その中で、今まで知らなかった世の形態や、

見て見ぬ振りしてきた、社会の常識を、

教えていただく日々。人の優しさに触れている。

 

療養とは言え、何もせぬ、この日々と、

少しずつ落ち着いて行くメンタルと、

麻痺して行く脳の片隅には、違和感を覚える。

 

普通の人が普通に歩く。

俺も普通を手にする為に此処にいるのだろうか。

 

けれど、彼女は言う。

今はそれでいい。今はそれは要らないよ。と。

 

少しだけ安心しているのか、また見て見ぬ振りするのかは分からないが、僕は明日も彼女も求めてるから従う。人と隣で眠れる日々の大事さと、起きる瞬間の愛おしさを約25年間で最大に感じている。

 

僕が好きな人たちは、

僕に、最後は、死ぬなよ。生きろよ。と言ってくれる。それだけで僕は笑顔でいれる。

 

珈琲と煙草と何でもない映画と

少しの勉強と、ドラゴンクエストと、

彼女と、気取らない優しい人達。

 

心の片隅の不安というシコリを常に感じてはいるけど、約束や会話の中で少しずつ縮小していく日々である。僕はまだまだ生きていけるだろうか。未来は現在になるだろうか。

 

一先ず、ありがとう。

今日も眠れた。

 

精神性や哲学や思考よりも

今は分かりやすい優しさと感情と

目に見えぬ暖かい色を探してる。求めてる。

僕も何か与えれたら。

 

税金と年金と保険料と人々による人々の為の生活。

 

何にも気付かぬまま、

全てが巻き起こって、

全てに飲み込まれて、

死ぬことにならずに本当に良かった。

つまるところ、今、生きててよかった。

何も解決してないけど、不安は1つ消えかけてる。

 

人の大切さを改めて思い知ることになる。

それと同時に未来の自分に対する不安が膨張。

しかしながら、もっと純なもので語り合えてる

現実だけでいいや。それ以外、考えても辿り着く場所は一緒だし。

 

 

 

今日は何もできなかった。夜が来る。怖い。

誰かと会いたいけど

誰と会っていいか分からない。

誕生日サプライズ理論。

 

人々の人並みの、感動や感傷が、

如何程のモノなのか一も分からないどころか、

然程、興味もないのだけれど、

先日、記述した通り、俄然、他人事になっていく

世間や、その周りの人々。

 

その中で誰かの何かに感動したり、

敢えて取りに行った芸術の諸々を受け入れたり、

大層、好きだったアーティストを観たりしても、

どうにも感動も感傷もイマイチ持てない。

 

が、人と会い、会話をしたら、自然と不覚にも、

感情は弾むし、堕ちて行ってた心を拾い上げられる。

 

その中で、その人の言葉1つに感動はしないけれど、その人自身が、僕に対して真意に向きあってくれてる現実や、その言葉を発しようとしてくれた過程に僕は感動してることに気づいた。一通りあった昨夜に結論した。

 

例えば、僕は明日、誕生日。知人達から飲みに誘われ、その瞬間、僕は打算的にもサプライズか何かしらで祝われることだろうと期待する。その飲み会始まり、おっちょこちょいな奴が、俺にサプライズを悟られたとする。そこで俺はそれに気付かぬふりをして場は進行されていく。いよいよ、念願?のサプライズタイムがやってきていた。そこで俺は何を言うか、何を思うかはわからないけれど、もしかしたら、驚いたふりだってするかもしれない。が、そんなものはもう、どうだっていいのだ。サプライズが行われてることもバレたあいつの馬鹿さだってどうでもいいのだ。

 

何故か。

それはもう過程である。

 

その知人らが時間と金を使い場を設け、俺1人の為に画策したその過程が何よりものプレゼントなのだと思う。

 

彼女が作ってきてくれた弁当自体の美味しさや、メンバーが頭捻って作ってきたフレーズの巧妙さや、童貞が初デートに着てきた服装のダサさ、そんなものは少しだけどうでもいいのだ。

 

一番、愛すべき場所は、きっと、そいつが、それに向き合っていた時間なのだと思う。

 

薬のせいなのか鬱のせいなのか分からないが、

より不感症になっていく心情の中で、僕は人に感動したし、人を愛した。より愛そう、寄り合いをしようと思った。そんな昨日だった。

 

チャットモンチーを見た感動より

チャットモンチーを見て感動してる君を見て感動したんだ、俺は。

道徳教育の果て、トラウマのせい。

 

別に誰も恨んでないし、

別に何も恨んでないし、

殺意とかもないよ。

 

裏切られたとかも、そんなに誰にも思わない。

あ、嘘つかれてたんだろうなとか気付いたりして

傷ついたフリして、構ってもらおうとは思うけど。

 

そんな夜に誰かと酒飲んで忘れたふりする夜。

何にもないとわかってるからカネを浪費するよね。

 

けど、俺の鬱は俺以上に持てるやつはいないから

誰のことも、もう、恨んでも憎んでもないのに、トラウマとかいうやつが、無意識の中に産まれ、それは俺の心身を勝手に飲み込むらしい。

 

憎むことも恨むこともない俺は

赤ん坊のように甘え、君に愛され、

大人になりきれないまま仕事をして、

大人みたいな顔してコーヒーを飲むからな。

 

だから、愛されるように愛せるように、

日々をとりあえず過ごすよ。おはよう。

ひとこと、ひとごと、ひどいこと。

 

自分に自信がないからか、

自分との距離感がわからないからか、

自分自身の事が、周りを囲むものたちが、

他人事になっていく。

 

そんななかで一番、近くにいる

君のことだけは、どうしても他人事にならず、

君のことだと認識できる。

 

それを何と呼ぶかとか気になるけど、

なんだか野暮な気もするから、一旦、置いておくけど、君のことだけは他人事じゃないな。

 

そんなことを思ってる今の俺は何事なのだろう。

誰なのだろう。

 

今日からできる限り、毎日、書く。

今日は久しぶりに1人で眠る。

できる限り、眠れますように。

 

おやすみなさい。

2.8 wed

 

美しすぎる完成形を目の当たりにすると、

より不安に近付いてゆく心よ。

 

与えられたことのない世界を受け取ると、

より露わになる羞恥心よ。

 

それでも、世界に歩み寄る俺よ。

 

受け容れ、叱り、愛してくれる人々よ。

 

何も言わず何も聞かぬ、他人たちよ。

 

正直、多分、いつまでも、

何が変わったのか、何が分かったのか、

の正解は出ないまま、未来になっていく。

 

未来は訪れるものではないと思った。

決して、落ちて来るものではない。

 

過去の断片か、はたまた、未発見の、轟々と燃え続ける生命なのか。

 

でも、俺、生きててよかった。

より、生きててよかったと思えるように、

日々を過ごしていくことだろう。

 

償いと、愛と、依存と、叱咤の連続は、

日々となるか。日々と為すか。

 

騙し合いも隠しあいも要らないよ、もう、きっと。

 

雪、降る、街。

震える、指。

抑えながら眠る。

 

本当にありがとう。

おやすみなさい。

 

 

時期に、時季になる。

 

身が引き締まるような寒さの中、

何故だか分からないけれど、

顔が赤らんでしまうぐらいの涙が出た。

 

きっと、凍えるあまり、

心がどうかしてしまったんだろう。

 

自転車を停めて、涙を拭いて、

アパートの階段を登る。

 

煙草とお香が混ざる匂いの中、

昼、食べ終えて残したままの食器、

飲みかけのマグカップ。

 

こんなに寒いのに、

モッズコートの中、汗ばむ身体、

臭う足と、臭うTシャツ。

 

こびりついた接客業の香り、

跳ねた油で火傷した右手、

獣が焼けた脂で、ベタつく髪の毛。

 

君は寝たかなと考える。

俺はまた今日も何故か寝れないだろう。

それに馴れない。何にも成れない。

何にもならない。こともない。

 

人を憎むことの浅はかさと、

憎まれてしまう未熟さを、

また、皿、洗いながら悩み、

待たされながら悔やむ。

 

君が寝れてたらいいな、

それでいいなと思う。

 

それだけでいいのになと思う。

 

ただ生きていこうと思う。

ただ、生きていこうと思う。

 

ただ、って言葉には、

たくさんが、含まれるからな。と記す。

 

朝になれば残した言葉の意味に

きっと、ハッと、させられる。

 

ブログ、素敵。おやすみなさい。