島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

週末の佳境。

 

SNSは刺激が強すぎるし、

雨や曇りの日は漠然と不安。

部屋で1人はやはり不安だし、

晴れてたとしても、

外に出るのも億劫だし、人ごみは怖い。

笑い声はうるさい。

なんやかんやあって、家にいる。

居るものの、家の蛍光灯は明るすぎる。

暗けりゃ落ち着くけど、寂しさは増す。

 

ミンナ大変だし、ミンナきっと何かしら病気だ。

けれど、ミンナなんでか、気付いてくれていて、

先日、先述した通り、

気取らない優しさ、気負わせない優しさをくれる。

素直に受け止めきれない自分が嫌い。

でも本当は暖かい。思い知ってる。

でも、何かしら言い訳を探してる。

 

だから彼女と一緒にした。

けど、こんな薬漬けの毎日、

慣れてきたからなのか、季節のせいなのか、

結局、眠れず、身体も心も疲弊して、

その疲弊は最も近い人に伝染する。

僕の疲弊が誰かの疲弊を産み、疲弊が合体し、

膨張して莫大な疲弊になり、誰かの涙になる。

僕は涙出ない。過去を振り返るばかり

今まで居てくれた人達のことを振り返る。

 

その人達の前で偉そうに、

論理や思想や哲学を披露して、

疲労してたことが急に馬鹿らしく情けなくなった。

いや、虚しいが相応しい表現か?

 

良くも悪くも、

変わったこと、変えれたことも少なからずと

僕の中にもあるだろう。逆も然り。

 

けれど、僕が人を傷つけているときの状況、発言、思考、論理、言葉尻は何も変わってなかったよ。

 

無意識の意識の中、

人のせいにして自己否定と言う枠の中の自己肯定で勝手に楽になってたのだろう。結果、大嫌いな母親と同じ始末だ。蛙の子は蛙か?やはり。そうじゃないと信じる他ないけど。儚いけど。

 

手遅れではないだろう。そんなことないだろう。

 

遅すぎることなんて何1つない。君も僕も間違ってない。終わらない。巡り巡って貴方と居るように混ざり混ざって真っ二つの道になり。とか、絶対なんかない、絶対に。とか、大事なことは大好きな先輩が、いつでも歌ってるんだよな。

 

それに甘んじることも乗っかることも今はできないけれど、近くの人だけでも大切にできたらと思ってた。できないから、考えた。分からなかった。

到底、行き着かないだろうとも思った今は。諦めないけど。考え過ぎて考えが及ばなかった。

 

躁とか鬱とかトラウマとかじゃない。

そんなの、みんな持ってる。

解決までも時間でもないと思う。

フィルター通した思いやりだと思う。知らんけど。

 

言葉に捉われすぎて、思考に囲まれて、

結果、大切なものに慣れて甘んじて、

見失っているんだろう。大切なものが何かすら漠然としてるのに。

 

まぁ今日は結局、一通り、何も分からないし、暫く答えも出ない問題なのだろう。

まだ登ってる山の高さも知らないし、

頂上なんて当然、見えない。

見たくもないまでもある。

 

休む?わかんない。何したい?わかんない。

何も考えたくないなってことを考えてる。

 

でも大切にできてなかったものは大切にしたい。

 

こんなとこで残す言葉なんて書けば書くほど薄っぺらくなっていくばかりだなぁと思うけど、まぁその内、自分で読み直して、何か気づけるように残しておくことにするよ、俺の場所だし。

 

どうか深く眠れますように。もう目がしばらく覚めませんように。気持も冷めませんように。

 

別に誰でもいいけど、

誰かが、どうかいい夜を過ごせますように。

 

おやすみなさい。

みんな明日から辛い5日間、耐え忍んでください。

それは純な感情です。

 

おやすみなさい。