島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

病抱えて、山に登ろう。そこで、お茶しよう。

やりたいようにやるのと、

純粋に愛したり楽しんだり信じたりするする力が、僕にはないのだと昨日、再認識した。

 

それは身を守るための自己嫌悪や不安や疑念によるバリアでした。

「間」と言うものが愛せず苦手で、だから喋り捲って、相手を追い込んでるのだと気付く。

 

だから、とりあえず相手を本気で信じたり、愛したり、思いやったりしてたら、気を遣うという概念も思考や論理もなく、純粋に相手の話をゆっくり聞いたり、普通に楽しめたり、疑ったりすることもなくなるだろうなと思いました。

 

完結した気がします。
後はこれを人の前で、できるのかな?って事ですが、それは意識し続けて生活してたら、無意識に習慣になる事でしょう。

 

僕等は、皆、似てるようで似てなくて、人間誰もが多分、理想とする場所や生き方や死に様はそんなに変わらないと思うのです。

 

ミンナ何かしらトラウマがあって、診察に行けば、何かしらの病気スタンプを貰えることでしょう。

だから、そんなにみんな変わらないはずなのに。

 

そこで感情や性格が作用して方向性が変わっていくのが人間で、それで喧嘩したり見直したり傷つけ傷つけられ気づき気づかされるのが人間関係です。

 

ここで文字にするのは容易いけど、やはり他人でも家族でも友達でも恋人でも、別の人間は別の人間だから、とても難しいし揉めるけれど、そこで何か見つかるから人は人と居続けるのでしょう。


孤独は風景で、友達で、一生のものではなく一瞬のものだと教わりました。鬱病になってから俺は時間が有り余ってる分、気付くことばかりです。

これが療養です。

 

そこの最終的に行き着く先は感謝です。

 

そして、昔より素直になり始めてます。

そんなもんだ。割り切る力も増えた。

から、僕は身近な人からとにかく大切にしたい。

全員は無理だから1人ずつ。してもらったからです。

隣にいる人から、まず。

 

それだけでいいのにね。

 

だから、珈琲を飲みに行こう。