理想の悲壮。
僕は幸せになりたい。
幸せの仕合わせを理解してないあまり、
幸せの具合もあまり知らないし、
それに馴れることも、
暫くないのだろうけれど。
理想の、成りたいものになりたすぎて、
成れない理想とのギャップに
打ちひしがれるばかり。
比較が故なのか、
セッカチ故の
現状のタイム感の遅さなのか。
全てを手段と捉えることができれば
少しは心が軽くなったりするのだろうか。
元ヤンの友達は言った。
根明の根元はなんだ。と尋ねた際に、
まだ悲しいことが起こってないのに、
いま悲しがる必要性などないのだ。と。
悲しいことが起きてから悲しめ。と。
目に見えた窓ガラスを割り続けて、
その中で割れない窓ガラスを見つけて
これは割れないことに
本当の窓ガラスだと安堵することは
意味がないよ。
信頼してる人の言葉が身体に馴染んだ。
腕枕の暖かみだけが本当のはずだ。
白飯の柔らかさも本当のはずだ。
僕が歩いてきた足の感触は、
きっと、現実の連続だったはずだ。
その温度を忘れたわけではない。
怒りを以て灯りにすることの意味は。
優しさを卑しさにしてしまう意味は。
僕は幸せの意味を手に入れるべく、
全ての手段を持って、生きていく。