島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

公園にて、素面で。

自己肯定は弱いのに反比例して、自己承認欲求は留まることをしらない。よく言えば昇華、悪く言えば、墓場となるような場所と音楽。そんな日々を送っていると、我を忘れて、人の気持ちなども直視できず、ただ逃げ回ってるかのように家に引きこもって振り返ってみて。自分の気持ちを最優先してしまい、人が望んでた思いや言葉を酒の勢いと理不尽な怒りで投げては思い切りブツけてしまって、そんなのはやはり、自信を持って愛されるわけなど無くて、やけになって過食気味の生活を送る。私自身に許しを乞うよりも、此処に行き着くまでの日々や人々を蔑ろにしてるのではないの。と問われ、あまりの正論にぐうの音も出なくて、下手な下ネタで、茶を濁し、茶柱が立たないことにも容易に絶望してしまい。ただ盲目に日々や感情を経てきたけれど、ふと立ち止まって、節目が来る度に、自分の愚かさと花粉で鼻水も止まらず、目のかすみも酷くなる一方。友達。って言葉を使う人達に、この幾月かで、沢山、出会った。ここから、やることなんて、結局、自分次第でしかないし、そこを素直に話し合える人やタイミングも、多くはないこと、分かってるつもりであったのに、期待というか、その愛に凛に添えないことばかり。言い訳でなく謝罪でもなく、愛情や感謝を伝えれない程の馬鹿だったのかな。自分に都合の良いことだけ感情記憶で、それを過信して、熱湯だったお湯を冷まして、それに浸かっていたのは誰でもなく、そう俺だったよ。この文を書いた日を過信しすぎている記憶力をまた過信して、それを咀嚼して、自分の言葉と感情で、またしっかりと貴方やあの人に伝えれるようにならないと。

気持ちにかまけた散文をお許しください。