島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

自己敬愛のススメ。

 

最近、1人で、何かをするのが苦ではなくっなってきた。昔は1人でチェーン店の牛丼屋にすら入れなかったのだが、最近はグイグイと何処でも入っていく。

知らない人しかいない空間で、ましてや誰にも興味がない空間は自室以外にないと思っていたが、自室なんて苦悩の末端にある部分だと悟った。

 

話が逸れたが、その最近、よく1人で出かける家から徒歩圏内の立ち飲み屋や喫茶店に行くと、必ず遭遇するのが声が大きい人だ。

(読者の中で、おい、待て。お前も例に漏れず声がデカイだろう。と疑問に思った人もいることだろう。しかし、僕は一人だと本当に死んだ目をぶら下げて、挙動不審に生活を過ごしている。一言も発しない日が殆どだ。)さておき、

 

その声の大きい人たちは、必ず何をするか。と言ったら、まず話しかけてくる。何日も言葉を発してない俺は、喉のカスレと、急に言葉を発しようとしたために口の中に溜まりまくった唾液のせいで、「ア"ァ、ハィ」なんて情けない返事しかできないのだが、彼等は決まって、飛び抜けた笑顔で話しかけてくる。

 

話は色んな路線で色んな駅へと走るが、大抵の終着駅、俺は自分が大好きだ。というワードである。

内弁慶気質の僕は、いつもみたいに、押してしまう、「直ぐ様問答スイッチ」は必ず触らないようにしておく。ぎこちない笑顔の相槌マシーン。へと身を潜めている。

 

聞いていけば、彼等は筋肉や体脂肪率を、非常に気にしているらしい。そして、毎日、鍛え、風呂に入り、鏡で、全身を、隅々まで観るらしい。

僕は姿見があっても、自分の顔すら見ない。髭ソリも歯磨きも鏡を一切、使わない。ライブの日ぐらいに、服装を観るぐらいだ。自分のイメージと顔のギャップが、とにかく嫌いなのだ。

 

しかし、心底、彼等は、自分が、とても好きだという。歳をとってる人に比例して、同じことを言う。絶え間ない努力があるらしい。そして、次はソレの共有を超えて、強要が始まる。教養の低い人が殆どで話の原点が破綻している。

 

ランニング、筋トレ、ジム、などと、どうだ。どうだ。と尋ねてくる。僕はエヘヘとか言いながら、心が微動だにしない自分に、心の中で冷め、そこから、生まれてくる、コイツラとの違いは何なんだ。と決まって落ち込んでくる。自分が好きだ。と声を大にして言ったことなんて、生まれて来てから一度もない上、思ったこともない。

 

友人で筋トレは鬱にいいらしいから筋トレをしろ。と忠告してきた奴がいたが、そこの余力があったなら、理論として、まず鬱にはなってなかった気がする。出来ないことはないことは知っているが、出来ない時は何も出来ないのだ。

 

最早、自分の歌すらも嘘のように聞こえてきてならない。これはマズイとドンドンドンドン、落ち込んできてしまい、何も生まれない期間に入り、そこからは地獄の思いのほど、悪循環に陥る。

 

精神性は消え、もう筋トレしかないような気持ちにするぐらい、大きな声と白い歯を見せ、腹筋を見せてくる中年男性に、ここ最近、惑わされ続けている。

 

本など読んでる場合では無いのだろうか。

脳が萎んでいく。気がしている。

文にも光るものがない。失敬。