島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

振り返った昨日は、もう、忘れようぜ。

音楽が最終的に自分の為ならば、

人から飽きられる恐怖や、

忘れ去られる不安など無くていいのに。

 

こんなことを考えてる時点で、

行き着く所は結局、独りよがり、

自分って所になってしまう。

 

でも、僕が音楽を発散する上で、

確実に、人を介してしまうから、

それは自分の為だけでなくなってしまう。

 

そこに何かしらの影響力があるか、

僕に似たような奴が似たような気持ちで、

そいつが言葉には出来なかったモノを、

僕には、たまたま、持ってたものだったりとか。

そんなのか。思考や論理か?情熱か?

 

「そんなことは考えなくていいんだよ。

楽にやろうぜ、ロックンロール。」

 

なんてのは、それは、お前のやり方だ。

 

俺のやり方は、こう、今も、何もわからず、

答えも出そうにないことを、延々と考えて、

病名までつけられて、明日を待つ喜びを

知って行くこと自体が、君達の言う、

ロックンロールとやらに近いのではないかね。

 

僕はきっと幼子のように戻ってる。

幼子の記憶辿ると悲しい思い出しか、思い出せなくなってる。だから、忘れていってる。

だから、拾い集めに行こうとしてる。作ろうとしてる。その想像と、現状が、うまいこと釣り合わないから、堕ちていくわけだけど。

 

人と会う約束がないと怖い。

けれど、誰とでも会えそうもない。

人混みにいると、甲高い声を聞くと、

発狂しそうになる。意識飛ぶ。

君と抱き合いながら眠る想像をして、

その時間だけを待つような状態の生活。

 

そんなしてるうちに、

 またライブがやってくる。

色んな恐怖はあるのだけれど、

好きな人たちが、存分のエネルギーを使い

作り上げようとしてる場所や時間に、

こんな状態の僕が立っていいものだろうか、

なんて何様でもないくせナルシズムの骨頂のような不安を抱えている。けれど、

 

 

馬鹿みたいに人に望んで、

自分の言葉、歌詞だけには自信を持って、

とりあえず隣にいるメンバーを信じて、

やる。それだけなんだけど。

 

とりあえず、俺はやる、だけ。とか、そんなクソみたいなアホのような未熟者のような程度ではない。という言い訳みたいな文章。なんか他に言葉は見つからないし忌々しく恥ずかしいな。

 

支離滅裂だ。まぁいいや、また書こう。

ありがとう。