島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

アイマスク イズ デンジャラス

 

寝れない夜が続く。

身体的疲労が足りないのだろうか。

 

寝るときは一切の光も許せない達で、

少しでも明るみが差してたら、アイマスクをはめる。しかし、このアイマスク、なかなか危険である。

 

当たり前のように視界は真っ暗になり、

少し強めの力で目をグイッと抑えてるもんで、

なんだか眠りにつくことを強制されてるような気もする。そりゃ眠りたいのだから、この上ないのだけれど。

 

でも、眠れないから付けるわけで、

眠りたい、眠れない、眠らされそうになってる。

みたいな状態となると、視覚以外の感覚が過敏になる。過敏になるというより、より神経質になる。

 

僕は元々、神経質気味なもので、少しの違和感がとても許せなくなる。ズボンの食い込みや、首の位置、何処からかの物音。周りに誰もいなけりゃンーンーと呻いてみたりして、立ち向かったりもする。

 

そんな神経質モオドに疲れて来たら、いよいよ眠りへの助走が始まる。しかし、意識は、やや、はっきりしてるもので、次に来るのは回想である。

 

いま、なんで、アイツとの、アノトキのアレが出てくるんだろう。みたいな、我が人生の中でもなかなかマニアックな、普通に過ごしてたら、もう思い出すこともなかったろう。ぐらいの回想だったりする。しかも、こんな私、当たり前のように大した生き方してきてないので、悲しい思い出ばかり。

罪悪感やらが出てきたらもう終いだ。ザワついて寝れなくなる。振り出しである。その末路が、この纏まりのないブログである。

 

歩んでしまったものや、遺してしまったものは、

大抵、浄化できずに、何処かに放置してくる形になってしまう。それを思い出した時や、再度、見つけてしまったときに、居た堪れない気持ちになってしまう。どうしようかと思う。どうしようもできないなと結論し、その結論に、どうしようかと悩む。夜はそんな負のスパイラルが続く。疲れ果てて眠るまで続く。たまに、朝まで残ってるモノもある。

 

そうなってきたら、いよいよ、本腰入れて悩まなきゃいけない。夜が持つ特有のネガティブパワーじゃなかったのだ。何かで立ち向かわねば。と悩む。

 

ひとつ、行き着いたのが、消すわけでも、解決するわけでもなく、立ち向かう。というか見えなくする。というモノだった。クリエイティブなパワーで一旦、忘れるのだ。

 

何かを想像して創造して生み出す瞬間ってのは

何にも代え難い快感がある。そりゃもう快感。

その時は無敵なんだ、僕ら、きっと。

 

その負の感情すらもドヤ顔で取り入れて、

また新しいモノ産んでやりましたわ。と

したり顔で、財産とする。

 

それを繰り返していく他ない。儚いけども。

 

もっと大きなものになりたいなー僕。

 

寝られないからといって、こんな駄文を残してたら、またいつかの夜に、思い出して、恥ずかしくて、また堪らなくなることでしょう。

 

 

 

おやすみなさい。