島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

真っ当を全う。

いつになったら、

自分の人生に底から自信を持てて、

人のことを心より思えるようになるんだろうか。

傷つけてきた人の顔ばかり思い出す。

 


今の自分の世界は正解なのかと疑ってばかり。

そんな奴が誰かを幸せにするなんて、

大それた話で見当違いも甚だしいってことか。

 


でも、根元の想いや情熱はいつだって本当。

戦略立てすぎないことが戦略だったりする。

 


自己肯定は増えてきている。

けれど、ずっと不安で、

ずっと後ろめたさや、過去への罪悪感が拭えない。

なかなか自分を好きになれない。

 


より良くしたいだけ。僕も、君を。

ずっと、すれ違って、ずっと、矛盾している。

 

 

平常

木枯らしが吹く、酔いどれが揺れる。

頬を伝い、アスファルトが濡れる。

音が流れて声が聞こえ背筋を伸ばす。

 


遠のく事を恐れるな。

逃げてはいない、進んでいる。

きっと。布団に溶け込む感覚、

それを生存の実感と呼べ。

 


退化の対価は、現状の愛だ。

君の背丈を想う。吐息を漏らす。

白く光って、いつだって、白く光って。

 


繰り返しを繰り返す。

地面を蹴ったら、空に殴られる。

やられても、やり返すな。

それを完結と優しさと呼べ。

 


ヤニの煙と溜息をグッと吸い込んで、

冬の冷たさを肌に感じて、続く。

不細工

昔と比べたら、まだ卑屈さは減り、

人として、やるべきことは、

ギリギリ出来てるはずなのに、

なんだか毎日が退屈で鬱屈だ。

 

嫌ってた正体はマンネリに似たルーティンだった。

通して、笑えていても、帰路に着く頃には刺激的なことを求めてる。あなたは鋭角だったからドキドキした。怒っていても何とかなるだろうと思っていた。ドキドキや想いは悲しみを超越するだろうという甘えがあった、僕、ブサイクなのに。

 

何でだろうと考えた。今日のライブを迎えるまでに、なんだか、途轍もない、やるせなさ、や、情けなさがあった。終わって、褒められても悔しかった。きっと貴方は笑っていなかった。

 

されるがままだから。だ。

与えてきてもらったものが多すぎた。

僕は、どう足掻こうが幸せに違いない。

幸せを受け取りすぎていると、それに慣れ、

いつのまにか、日常となっている。

当たり前に存在していることは素晴らしいだなんて、受け取り手の感情でしかない。

 

貰った分、また誰かを幸せにできないと、

たぶん、僕は幸せだ。と心から腑に落ちることはないだろう。

 

気付けた振りの1日が、また終わる。

でも、僕も僕のものが大切だったりする。

悲しくても悔しくても、明日は明日で、

それを生きる僕は僕だ。

 

おやすみなさい。

最早、顔面を好かれたい。

晩秋

感情で感性まで失わないように、

疲労感で昨日までを否定してしまわないように、

仕事帰りは出来る限り、川沿いを歩いて帰ることにしている。

 


普段、下ばかり見て歩いているのに、

液晶画面ばかり覗いていたら、

他人の足元まで流れ込んできてしまって、

もうそんなものを掬う気にもならないよ。


液晶画面も良いんだけど、

そこと隙間の優先順位が変わっていってることは

あまり頂けないよね、僕ら。

 


トラウマに苛まれて生きてきた僕が、

いつの間にか他人のトラウマになっていたそうで、

トラとウマのハイブリッドかつサラブレッドだなんて、世の中、皮肉なものですね。


過ぎる。

という言葉の希望と絶望について考えていた。

ここにあったものは、予期せず、いつの間にか過ぎていって、また悲しくなって。

みたいなことの繰り返しだとは思うのですが、

それ程、当然に、かつ極自然に存在していたのなら、

それ以上の幸せなんて有りもしないんじゃないのかな。とか考えていた。悲観的になりすぎるのも、解決には向かわんかもな。なんて、らしくない結論もあったりしました。否定も何もないよ、この夜には。

 


君の背丈と仕草の柔らかさを思う。怒ってばかりを怒ったことはあまりなかった。


呼吸のリズムが整い始め、空気に馴染んでいき、それらは秋というものに付着して、確かな冬へと過ぎていきます。

 

馳せよう。馳せてしまおう。

pictures mode staff 解散に添えて。

pictures mode staff 解散に添えて。

 


僕が日頃、気にしていた、

ライブに於いて、

メンバーの1人が誰が誰に作用するか、とか、

トレブルの効いたフィードバック達も、

先輩たちのコレじゃないよな。という言葉達も、

あの場所、あの時間では、微塵も気にならなくて。

友達とか先輩とかいうカテゴリではなくて、

ただ音楽でした。未来永劫、音楽は残ります。

僕はまた今日、信じ直しました。

pictures mode staffが、

続いてほしいなんて、全く思わなかったですね。

 


石井さんがtwitterで表現した

「青春の出口」という言葉を、

震えるほど肌に感じました。

 


僕は今まで通り

コレからも

現場でやっていきます。

 


まさに、

未完成のまま完成した感性の

芸術でした。

 


小説の黄昏に、

日々として、

積もるる日差し、

握り込む。

 


僕等は、僕らの音楽は、

pictures mode staff世代でした。

ありがとうございました。

今朝

懸命に生きるしかない。

単純なことですが、腑に落ちないことばかりですが、

生きててよかったです。という言葉で、

少し報われる日々を生きてきた自分を

誇らしく思います。ありがとうございます。

(頭蓋骨折れて軽い脳梗塞状態、顎は外れて口は切れてる)

 


優しい、人を怒らないアーティスト。

僕は到底、出来ません。でも、

日々に幸せが満ち溢れることを。

未練がましく皮肉塗れ、怒りを片手に、

願い、思い、過去の未来へ行きます

途方には暮れるな。

一瞬で、論理が、ひっくり返る。びっくり。

それの根源は、大抵、過信。

人を思って生きていたら、実は、それが負担。

恩着せがましさ、自己陶酔、自己満足。

愛がなんだって、鼻で笑われちゃうよ。

強がり超えてダサくなっちゃって、

自分が放った言葉に気付かされて、また、

原点回帰。違うでしょ。進めてないだけだよ。

そんな言い方したって、何も変われないでしょう。

アーティスト。いやいや、なにもの。人間。

君を想う一人間。それはお互い様でしょう。

怒りや感情に純すぎると未来は感じれないのか。

無だった幼少。それを埋め合わせていた現在。

それとこれとは別でしょう。

なんて、僕がいるのは君がいたからで。なんて、

じゃあ、もっと優しくしてくれたってよかったのに。

じゃあ、本当の優しさはどこでしょうか。ナゾナゾ?

君がくれて日々が暮れて途方に暮れて、

僕が得たものは、もう概念とか思想ではなく、

肉体の一部になり、ヒビを幸せに送る為の術だから、

僕は変わったように、変わらず日々を進むよ。

 


ありがとうございました。