惰眠
汚い身体に汚い雨が降る。
さすれば、綺麗になるかと思ったが、
心が下水へ流されたばかりだった。
死ぬって言葉、他の言い方に変えてみて、
生きるって概念、もう深くは考えずに。
互いに敬愛の念を忘れず、自己主張ばかりせず、
譲り合って、お祈りすれば、成就する。
寝返りしか打てず、携帯の明かりで、
煙草を吸い、糞尿すら立てない日だって、
そりゃ生きてたら偶にはあるよね。
過信してたわけでもなく、
怠慢してたわけでもないはずなのだけど、
傷つけたり、迷惑や勘違いさせたりするばかりで、
僕の大切や優しさなんて何かの足しになるのでしょうか。
散文的だと言われた。成る程と思った。
成る程。と思うこと日々ばかりで、
また少しずつ心が死んでいく気すらします。
明日は望んでます。朝日も恋しいです。
手を繋いで眠りましょう。という、
歌詞ができてホッとしました。瞼よ、重くなれ。
薄っすらと皆様に幸あれ。
発熱
発熱してポカリ飲んで、
邪な感情なんて優に消え去って。
ただいまという言葉が四畳半、木霊して、
布団敷いて潜り込んで。
温もり忘れたくて髪の毛切ったって、
それを見つめる眼差しは消えなくて、
ねじれた髪に反射する、
雨音すら鬱陶しくなって。
遠くで生きる日々を心無しに思う。
寂しさなんかで枕は濡れない。
涙なんて、なかなか、流れない。
携帯の充電器は直ぐに壊れる。
日常は淡々と進んでいく。
離してもいいから話そう。
時間を始め、凡ゆる物は、きっと誰にでも一定に与えられているはずなのに、そこで色々な物や人とぶつかり、実感は異なりながら、人生は進んでいく。
漠然とした不安や、どうしようもない壁に隔てられながら、僕達は言葉にしちゃいけない言葉を堪えながら、毎日を生きています。これから年を取れば取るほど、それらは姿形を変え、価値を変え、きっと重みになると信じながら、生きていきます。
悲しみや不安などの感情ってものは、その一瞬の光でしかなく、大切などという言葉は、ずっと傍で持ち続けれるものでもないのでしょう。
しかし、僕等に求められているのは、きっと、「気付く」という行為であるような気がします。これは、本当に大切なことだと思います。だから、僕はまた人を好きになれたのでは。
僕がしてきたこと、してもらってきたこと、今、話してる言葉、忘れられない表情や涙。余計な言葉の中で忘れていく大切な言葉と想い。先まで持っていけない重い荷物。
その時は気付かなくても、その果てで気づけたのなら。後悔や喪失、愛や夢、本当の終わりを迎えるまでには、きっと自分の物になっていることでしょう。だから、きっと、遅くはない。
目に見えない物を追いかけていたら、目に見て分かってもらえる日々が訪れた。あなたが大丈夫と言えば、もうきっと、大丈夫。
今日はライブ。マインドは良好。
2018/12/15.
暖冬
今年は全国的に暖冬とのこと。
でも、やはり冬は寒いし、1人は寂しい。
優しい言葉に騙されて、自分の意思を見失う。
言葉が出てこなくなる。その事態よりも、
それでもいいか。半ば諦め気味の自分の幸せさに、
ほとほと呆れる。
溜飲を下げて、キンタマもぶら下げて。
頭がいいと思っていたが、
そこまで優れてる訳でもなく、
大切なものはいつも見失ってばかり。
気づくのも遅いし、気付いた時には、
これ何度目だ?と自分を呪う。
しかし、優しい言葉に騙されるのも、
分かり合えないのも、分かってもらえるのも、
どちらでも、全ては同じ大きさで美しい。
稼いだ札束の重みと、借りた金の重みは一緒。
何故、何も言いきれない。
感謝を食って糞して生きてる。
腐らせはしない。腐りもしない。
僕ら、基本的にダメなんだから、
人のこと否定する余裕なんて本当はないし、
僕ら、基本的にダメなんだから、
人の事ぐらい、本当は応援できる。
マインドと思想と経験のバランスを意識しすぎて、
大切なこと、忘れてんじゃないよ。
年が変わる。年号も変わる。季節も変わる。
変わらないもの、ありますか。
そんな日々の中、大切なもの大切に。
自分の事ぐらい愛せますように。
ぼくたち。
僕達は、いつだって、無い物ねだりの日々なのに、確かに其処に在り続ける物に対しては、在り続けると信じてやまないし、その日々に慣れるだけ慣れていって、失った時には、等価以上の悲しみに打ちひしがれたり、互いの違いを憎み合ったりして、正か否かは置いて、それを、成長や経験と呼んだりしてみる。
それが愚かなことか、純粋なことか、美しいことなのかは、未だに完結できていないけれど、心の話として、その過程でしか見えない感情や景色があると思うのです。麻痺を除くとして、馴れ合いでもなく、この無い物ねだりの日々と、信じてやまない日々と、其処に纏わる人達のことは、少しでも大切にしたいな。と思っています。
情け無く、ダメな事の連続の日々ですが、未来を渇望しているうちは、その未来の為に、死の理念超えて、生きていきたいなと思っています。
晴天。