島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

惰眠

汚い身体に汚い雨が降る。

さすれば、綺麗になるかと思ったが、

心が下水へ流されたばかりだった。

死ぬって言葉、他の言い方に変えてみて、

生きるって概念、もう深くは考えずに。

互いに敬愛の念を忘れず、自己主張ばかりせず、

譲り合って、お祈りすれば、成就する。

寝返りしか打てず、携帯の明かりで、

煙草を吸い、糞尿すら立てない日だって、

そりゃ生きてたら偶にはあるよね。

過信してたわけでもなく、

怠慢してたわけでもないはずなのだけど、

傷つけたり、迷惑や勘違いさせたりするばかりで、

僕の大切や優しさなんて何かの足しになるのでしょうか。

散文的だと言われた。成る程と思った。

成る程。と思うこと日々ばかりで、

また少しずつ心が死んでいく気すらします。

明日は望んでます。朝日も恋しいです。

手を繋いで眠りましょう。という、

歌詞ができてホッとしました。瞼よ、重くなれ。

薄っすらと皆様に幸あれ。

夕暮れ

対して、才能もない状況を憂うべき憂う程、

力無き声に耳を傾ける人は多くはなく。

酔って、Lチキ買って、爽健美茶飲んで、

ヘルシーなカロリー、明日を迎え撃つ。

寂しさに次いで出る言葉は、ほとほと虚しく。


アイツの彼女、毎日、卵焼きを巻いている。

僕はと言えば毎日、とぐろ巻いている。

アイツと彼女、毎日、笑いあってる。

僕はと言えば毎日、かっこつけてる。


昔の話はしないで。と、

自分でトカゲの尻尾切り。

出会いは絶対値で、関係はどうだい?


それなりに連絡をとって、

それなりに疎遠になって、

馬鹿らしくなって、また悲しくなって。

発熱

発熱してポカリ飲んで、

邪な感情なんて優に消え去って。

ただいまという言葉が四畳半、木霊して、

布団敷いて潜り込んで。

 


温もり忘れたくて髪の毛切ったって、

それを見つめる眼差しは消えなくて、

ねじれた髪に反射する、

雨音すら鬱陶しくなって。

遠くで生きる日々を心無しに思う。

 


寂しさなんかで枕は濡れない。

涙なんて、なかなか、流れない。

 


携帯の充電器は直ぐに壊れる。

日常は淡々と進んでいく。

離してもいいから話そう。

 

時間を始め、凡ゆる物は、きっと誰にでも一定に与えられているはずなのに、そこで色々な物や人とぶつかり、実感は異なりながら、人生は進んでいく。

 

漠然とした不安や、どうしようもない壁に隔てられながら、僕達は言葉にしちゃいけない言葉を堪えながら、毎日を生きています。これから年を取れば取るほど、それらは姿形を変え、価値を変え、きっと重みになると信じながら、生きていきます。

 

悲しみや不安などの感情ってものは、その一瞬の光でしかなく、大切などという言葉は、ずっと傍で持ち続けれるものでもないのでしょう。

 

しかし、僕等に求められているのは、きっと、「気付く」という行為であるような気がします。これは、本当に大切なことだと思います。だから、僕はまた人を好きになれたのでは。

 

僕がしてきたこと、してもらってきたこと、今、話してる言葉、忘れられない表情や涙。余計な言葉の中で忘れていく大切な言葉と想い。先まで持っていけない重い荷物。

 

その時は気付かなくても、その果てで気づけたのなら。後悔や喪失、愛や夢、本当の終わりを迎えるまでには、きっと自分の物になっていることでしょう。だから、きっと、遅くはない。

 

目に見えない物を追いかけていたら、目に見て分かってもらえる日々が訪れた。あなたが大丈夫と言えば、もうきっと、大丈夫。

 

今日はライブ。マインドは良好。

2018/12/15.

 

 

 

暖冬

 

今年は全国的に暖冬とのこと。

でも、やはり冬は寒いし、1人は寂しい。

優しい言葉に騙されて、自分の意思を見失う。

言葉が出てこなくなる。その事態よりも、

それでもいいか。半ば諦め気味の自分の幸せさに、

ほとほと呆れる。

溜飲を下げて、キンタマもぶら下げて。

頭がいいと思っていたが、

そこまで優れてる訳でもなく、

大切なものはいつも見失ってばかり。

気づくのも遅いし、気付いた時には、

これ何度目だ?と自分を呪う。

しかし、優しい言葉に騙されるのも、

分かり合えないのも、分かってもらえるのも、

どちらでも、全ては同じ大きさで美しい。

稼いだ札束の重みと、借りた金の重みは一緒。

何故、何も言いきれない。

感謝を食って糞して生きてる。

腐らせはしない。腐りもしない。

僕ら、基本的にダメなんだから、

人のこと否定する余裕なんて本当はないし、

僕ら、基本的にダメなんだから、

人の事ぐらい、本当は応援できる。

マインドと思想と経験のバランスを意識しすぎて、

大切なこと、忘れてんじゃないよ。

年が変わる。年号も変わる。季節も変わる。

変わらないもの、ありますか。

そんな日々の中、大切なもの大切に。

自分の事ぐらい愛せますように。

ぼくたち。

 

僕達は、いつだって、無い物ねだりの日々なのに、確かに其処に在り続ける物に対しては、在り続けると信じてやまないし、その日々に慣れるだけ慣れていって、失った時には、等価以上の悲しみに打ちひしがれたり、互いの違いを憎み合ったりして、正か否かは置いて、それを、成長や経験と呼んだりしてみる。

 

それが愚かなことか、純粋なことか、美しいことなのかは、未だに完結できていないけれど、心の話として、その過程でしか見えない感情や景色があると思うのです。麻痺を除くとして、馴れ合いでもなく、この無い物ねだりの日々と、信じてやまない日々と、其処に纏わる人達のことは、少しでも大切にしたいな。と思っています。

 

情け無く、ダメな事の連続の日々ですが、未来を渇望しているうちは、その未来の為に、死の理念超えて、生きていきたいなと思っています。

 

晴天。

追憶


歳月は僕等と季節を取り残して進んでいく。
業務スーパーの如く陳列された街並みを見過ごし、
距離は距離しか産まないから、僕は記憶力を過信する。

今日もまた、縋るものが増えていって、
今日もまた、消えるものが増えていって。

離れる言葉と、離れられない愛を忘れない。
詫びしさなんて、自己満足の形にしかならないから。
遠のく声と、振り返らず進む背中を、追憶する。

絵文字を使うためのワンクッション置く手間。
暇さえあれば電波に縋り続ける今。

忘れないでいて、どうか、元気で。
さようなら、また。記憶の中で、会おう。