島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

あかつき

 

三日三晩、飲まず食わず、全く寝ず、

睡眠薬の量だけが増えて行く一方で、

大切なものや人の顔は薄れて行く毎日。

 

心を亡くして忙しいと書くとは、

よく言ったもので、僕の日常に、

失われて行く物はカ数えきれない。

大切な人の手の温度や表情も思い出せぬ連続。

 

然し、「それが日常(社会)だよ。」と

人々は僕に教えを請う。

 

僕はそのバランスと日々の心のバランスに

嫌気が刺して引きこもってばかりいる。

 

そんな日常の中で誘われた

WORD UP のオープンマイク。

アメリカのガレージのような雰囲気で

誰もが歌って、誰もが笑う。

金は無いけど、なんでか酒は進む。

感謝。

 

県外から来た人なんて

ギャラも貰えずCDも売れず、

地獄の1日でしか無いけれど

音楽に直向きに出会えるのは

こういう日々の連続だと思う。

 

僕は最近、情報の連続と錯綜と友達の朗々に心を奪われすぎて、何もかもやる気を失くし、もう変えてしまおうかな心持ちだったけれど、やはりラフに楽しめる音楽は素晴らしい。そして、歌うのも楽しい。

 

バンドを始めて10年の月日が経った。

周りは平成最後という言葉を起点に

目の回るスピードで動き出している。

 

俺はそこで何を思うか。そこで何ができるか。

がんじがらめの日々は漠然と続く。

 

しかし、僕は純に君を応援している。

曲もできている。

 

生活も音楽も金も女性も、

前向きに向き合って行きたい。

 

酔った。かわなべひろき、サンキュー、

8月5日

 

未完成の感性では君に色も伝えられない。

夕焼けよりも赤い信号を待てずにいる。

家に引きこもり、只管にTVを観ている。

世界から唯一人、取り残された様な面で。

 

痛い、痛い、痛い。

会いたい、会いたい、会いたい。

そう叫ぶ声は、きっと僕よりも儚い。

 

期待、期待、期待。未来、未来、未来。

その一つの言葉だけを、誰もが吐かずにいる。

要らない物を、掻き集め、

 

ここ最近、

完全に回復してきたと思われていた

体調やメンタルは、やはり悪化の糸を辿り、

不眠症と、えげつない漠然とした不安に苛まされ、

体の震えや、難聴は酷さを増し、

なんだか、何事にも集中できない日々が続いていた。

 

フェスから、昨日のライブまでも、そこそこ期間が空き、最近、珍しく発熱も起こし、なんだか、もう色々と、どうでもよくなっていたが、大切な人達の目は優しいし、その日暮らしは、きっと良いバンドでした。だから、なんだか一瞬の時間で、これから先の人生、どんな形であれ、なんとなく上手くいきそうな気がした。気泡のように、一瞬で消えたけど。満たされる日は、きっと来ないだろう。

 

馴れ合いじゃない何処かにいきたい。

怒りを馬鹿にされる次元にしか居れない人間のままなら、くたばりたい。

各々の形で、日常を守っていきたい。

 

良かれ、悪かれ、まだ此処じゃない気がする。

終着駅は、まだ見えない。

 

マインドの縦を合わせていくことが、

「生活」だと思います。

 

二日間ぐらい眠りたいです。

おやすみなさい。

 

色んな人達、ありがとう。

互いに頑張ろう。

 

 

 

千文字の手紙。

 

5月が終わって、6月がやってきた。

鹿児島の梅雨は、何とも言い難い厳しさがある。

雨が降っては灰が降って、灰と同時に雨も降る。

 

計り知れない緊張感や言葉にできない興奮が留めきれない5月が終わった。WALK INN FES!2018が終わった。

勘違いしてる人も多いとは思うけれど、僕はフェスが全てだとは思わない。一、鹿児島で生きていて、一、鹿児島でバンドをやっている僕の、分かりやすい目安であって、その為に、その瞬間の僕が何ができるだろう。という利己主義な考えが1番に過ぎない。しかし、そこを経ての、周囲の表情や、瞬間の感情などを見ていると、僕はこのフェスを今年も経て良かったな。と安堵する。間近で見れてよかった。という単純な回答でしかない。

 

準備などは正直、褒められたい。や、引きこもりの僕がどこまでできるだろう。などという下心と呼ぶにも恥ずかしい感情で尽きる。しかし、間近でフェスへの過程を見ていれば、当然の如く、フェスはより一層、楽しさを増すし、その光景を知らない人達にも伝えたいから、僕はツアーを回るし、新しい曲も作るし、CDだって出す。それをまた、色んな表現で、様々な場所で様々な人に話す。伝わらなくたって、報われなくたって、話す。それから死ねばいい。

 

感謝している。様々な方面の様々な人達の様々な光景に、心より、感謝している。ありがとうございました。

 

それから経つ日々なんて、あいもかわらず、ダメな毎日で、日焼けした肌が、脱皮していくのをただ、眺めているだけのような、何にもならない日々を過ごす。漠然とした不安や、未来への渇望と焦燥。灰皿にシケモクが増えていくのを見守る日々。

 

僕は、もう、正直、大成、なんて言葉は興味がなくなってきた。思想や論理に飲み込まれる日々に嫌気も差してきた。この間、誕生日を迎え、26になった。比較は虚しさを産むだけであり、期待は受けるにも与えるにも、限度があり、その限度も、物差しがつくようになった。

 

そんな中でも進んでいく日常や、些細な出来事に対する愛や性欲を大切にしていきたい。それだけで、ぼんやり生き延びていく。復活の目印は既に立っている。

 

春終わり、夏近きかや。

五月雨の狭間で揺れる心は、

もう僕の手中にはない。

愛だけがある。怒りと共にある。

僕の存在も存続していく。

 

幸、多からんことを祈る。

 

我を忘れないように、たった何文字かの言葉に縋るように祈る。

大体、僕らが。

 

包まった死体から脱したい、痛いけど居たいな。

抱いた期待を持っていたい、気体みたいな液体。

 

大体、僕らが、向かう場所は1つで、

確実に隙間を埋める音楽、言葉、人と人。人々。

 

間に合っていたい。間に合わせていたい。

抱き合っていたい。問い続けていたい、

未来、綺麗?

過眠症のうた。

 

要らない、何も。捨ててしまおうかな。

濡らした枕は昨日と同じヤツさ。

パーティに行こうぜ。俺じゃ役不足だけど。

ハッピーな曲も、アッパーな曲もないぜ。

 

12時間寝て、12時間起きてる。

夢か現実か?理想から論理か?

捨ててしまおうか、全部。ババ抜きみたいに。

揃っちまったら終わりさ。

揃っちまったら終わりさ。

 

覚えてる。まだ甘えている。

君の胸で眠りたいな。

 

クリームパスタみたいに絡んでは死んでいく。

そんなのは嫌だ。そんなのは嫌だ。

創ってくれよ、全部。

今日の月ぐらいは、許してくれよ、全部。

 

パーティに行こうぜ、俺は不細工だけど。

ハッピーな面も、アッパーな面も、あるぜ。

 

覚えてる?まだ甘えている?

君の胸の内を、知りたいな、全部。

 

クリームパスタみたいに絡んでは死んでいく。

そんなのは嫌だ。そんなのは嫌だ。

教えてくれよ、今日は。君ぐらいはさ。

愛しておくれよ、全部。

問答

語りかけてくる。

僕自身、超えて、僕の細胞ひとつひとつが、

語りかけてくる。

 

「もうやめてしまおう。生きてる心地や実感がないならば、もう生きていく必要などないのではないだろうか。そして、今、君が行なっている行動は、生活でも生存でも、最早、堕落でもない。ただ排泄する為だけのアイテムでしかない。クリームパスタの具材として茹でられて死ぬがいいよ。」

 

答える。

 

「君達は何も分かってはいない。こうする他ないのだ。僕は今、激昂している龍の腹の中で眠り続けているような気持ちなんだ。気が触れてしまっているわけではない。本当にそんな気持ち。ここから出たくはないんだ。そう。わかってる。逃げてる。というような言葉の類に似ているね。あぁ、そんなことより、お腹が空いたよ。お腹が空いてるわけではないのもわかってる。そう、君たちの言う通り、何かしらの実感が欲しいだけなんだ。それだけなんだ。」

 

クリームパスタに絡まって死ぬか、

激昂の龍の腹で眠り続けるか。

もう夢と語り合えるレベルまできている。