島崎清大「ただ、生活。」

その日暮らしGt.Vo.島崎清大の日記。的な。文学かぶれ。

孤独 と 一人 と 皆 と 一人称。


彼女と別れ、僕は何が変わったかと言ったら、
余計、物を食べれなくなったし、
薬の種類が一切合切、変わった。

それは彼女と別れ、乱れて、というわけでもなく、
ある日から勝手に自ら乱れ、そのタイミングで、
彼女とも、もう「互いに互いだな」となった。だけの話である。

そこから、僕は孤独って言葉と一人って言葉について、
馬鹿だから、またもや論理的に考え出してしまった。

孤独は多分、どこまでいっても、
誰といても、いつでも孤独は孤独。

その孤独を癒す為にというか、
柔らかくする為に、他人がいる。

他人という言葉のニュアンスと
孤独という言葉のニュアンスは似ている。きがする。

他人と混ざり合うと、
多分、それは孤独から、
一人 という言葉に呼び方が変わる。

そしたら、僕、君、お前、あなた、私、
という風に一人称が増える。

さしたら、それはもう一人ではなく、
みんなになっている。

素敵なことだと思った。
どんな場でもだ。
行きたくないバイト先でも、
嫌いな上司や先輩や友達でも、
人間は孤独にはなりきれないのだ。

だが、しかし、
僕は生まれてこの方、生粋の、
寂しがりやで、夜が夜になる程、
僕はドンドン孤独ってやつに
飲み込まれて行く気配がする。

孤独じゃないってわかってるのに、
孤独だよ、お前は。と冷静に肩を叩いてくる奴がいる。
多分、俺の中の俺だろう。幼少期のお前だろう?

知ってんだよな。お前の思考もルールもプロセスもよ。もう好い加減予想じゃないか。と、毎晩、そいつと悶着を重ねる。疲れ果てる。こっぴどく心労である。それのゴールは所謂、鬱って呼ばれるモノに属してくる。

それを毎晩、毎晩、繰り返し、
最近なんて特に酷く、誰かと会わなかった日や話さなかった日なんて62時間ぐらい目覚めっぱなしで、その大半の僕からの視線はコーヒー牛乳とタバコと天井と壁だったりする。

経ってから自分の愚かさに萎えて、疲れ果ててることに気付き意識を失うように眠り、何月何日の何時なのか分からない状態で目覚め、さして、体調も具合の悪さも尋常ではない。

僕、一人で、思った。
やっぱり寂しいものは寂しいな。と。

このブログの記事を遡って読んでみると、

僕は大丈夫だ。今の人達がいて、今の場所があれば幼少期以上の悲しみはやって来ないだろうと。手記している、確かに。


全くもって、その通りだと、今日、振り返って思った。
しかし、1つ違うんだ、今と。

確かに、大丈夫だ。
僕は人に力を沢山、貰っているし、
それに応えようと、もう暫く生きてみよう。と、
心に決めた。いつまでかは分からぬけど。

でもさ、もう良くないか。とも思った。
孤独にも一人にも慣れる必要もないんじゃない?と
思った。3歳ぐらいから、放任主義、悪く言えば育児放棄状態で育った私、そりゃ寂しがりや、な訳ないじゃないですか。まぁ知らない人多いから、しゃあないし、何を意気揚々とこんな事を書いてるんだ、この馬鹿は。状態に自分で今、気付きましたけれども。

孤独になれる必要も、
寂しいを隠す必要も、
その為たちの、
なんていうか
道化というか、
虚勢だったりって、
もういいんじゃないの、私。

もういいよね?今の僕も幼少のお前も。

素直に、純粋に。に変更ですよ。
他者に迷惑かけない程度でね。


外は雨降り模様。急いで洗濯物を取り込んだ。
四畳半の家にポツリとアイフォンと僕。
畳まれずに置かれたままの洗濯物達。

これを畳み終わったら寝よう。
一人。寂しく寝よう。

ソフレ。という存在の意義が分かった。
以上。

イッツ アスモール ワールド

[イッツ ア スモール ワールド ]



自己嫌悪の星の中で、今日も誰かを求めてる。
承認欲求の星の下で、誰かが勝手に救われている。


死ぬほど生温い風の中で、今日も誰かを救ってる。
スポットライトに騙されながら、
今日も嘯き、歌ってる、笑ってる。


30秒しか見れないTwitter
ドンドン拡がるFacebook

30秒で分かりきるTwitter
同級生の恋愛Facebook is Fuck,Fuck!!



イッツアスモールワールド
1つの言葉で.髭を剃り髪を切る。スモールワールド。

イッツアスモールワールド
光の先には闇が有る、逆も然り。スモールワールド。


600冊の純文学、数十分の違和感。
600円でコーヒーと煙草。
俺は今日も

生き延ばされている。



イッツアスモールワールド
死ぬこともできず、ガタガタ震えて。

イッツアスモールワールド
寒かったからさ、エアコンを消して、外に出た、
スモールワールド


爆発的なサビが歌いたい。納得できる言葉で。
超絶的なリフを鳴らしたい。小さな世界が消えるように。

自己嫌悪、承認欲求。確信的な言葉は置いて行こう。
SNS、純文学、スマートフォン、現代的なモノは置いてこよう。 置いてこよう。

死神とダンス、ずっとダンス。

エコ ユウタイ リダツ

つっかえ棒の片方のゴム
が無くなかった感じ。
長さは調節できるんだけど、
本気を出して無理をすれば、
その隙間に埋めれることもできるんだろうけど。

天秤とかとも違って。
寝て起きたら、確実に置いてた煙草がいつの間にか吸ってしまって居て無くなっていた不安感よりも、最早、買いたての銘柄すら変わってる煙草が馴染みのないライターと置いてある感じ。というか、この誰の家だっけ。

というよな気色の悪い居心地が悪い感じ。
部屋で1人でいると、漠然と心がソワソワしだして、
何かできるわけでもないのに、
そこからも動けないのに、脳と心だけが、僕のカラダからは、かけ離れっていって、僕を置き去りにしてしまう。カラダだけ残された僕は、脳とこころの残りカスだけで、物事を超極端自己中心的消極性論理を使って体育座りをして壁を見つめている。

下界に出たら異空間、非日常なのに、
この下荒田の四畳半に戻ってくると、
昨日の飲み会の喧騒も、さっきまでの練習での僕等の曲も、スタジオの人が僕に少しばかり注意したことも、物凄く他人事に感じていって、なんだか、なんでも、どうでもよくなってきて、毛穴からドンドンどす黒い悪い泥に塗れた虫が出てくる感覚。のまま体育座りで1日の大半を壁や天井を見ながら、過ごす。家では冷蔵庫と冷房の起動音しかしていない。それが終わったら、かけ離れっていった脳と心が戻ってきて、いよいよ始まる。

もっと大きいアイツやってくる。
しかも、その大きさ日によって違うし、
属性も体格も重みも違うんだ。所謂、
来るまでは分からないけど、
それが怖いんだよね、逆に。

ついでに言えば来ると思ってたのに来ないときすらある。
でも、とにかく、あいつはやばいんだ。最近は、とことん暴れて回って散らかして壊して帰っていく。そいつを倒すヒーローの名は知っているが、呼んでも来ないし、まだ呼ぶ声の力すらない。

牛乳とチーズを買いに行きたいんだけど、
もう怖いから、一通りの処方薬を飲み、
あいつが来る前に寝ることにした。

夢で会えたら、まだ大丈夫だし、
夢の方が会わない確率も高ければ、
素敵な夢で終わる可能性もある。

眠ることは大事らしい。
眠れますように。

今の為の、今迄だったのだね。

今年、25歳。
1番、古い記憶は3歳。
理由は分からなかったが、
名字が変わったことと、サンタさんの鈴の音の
幻聴を聞いた事、タイヨー銀座店近くのアパートに住んでいて、夜中、いつの間にか消えた親を泣きながら、天文館中を探し回った記憶。

強く鮮烈に残ってる記憶。
朝、目覚めたら、両親が家にいなく、
妹の号泣の声で目覚め、リビングに行くと、
乳飲み子の妹は腹を空かし、その年では絶対に手の届かない所にあるチョコレートを手にし、口の周り、チョコレートでグチャグチャにしながら、ママー、ママー、と泣き叫んでた姿。僕も涙止まらなくなってギュッと抱きしめた記憶。未だに夢に見るし、大人になっても誰かが一緒に寝てて、その人が起きたら怖くなって、目覚めて、何処に行くの?と聞いてしまうぐらいのトラウマ。(絶景の歌詞の「泣いてた、妹。」はこの記憶から。)

僕は母が嫌いだった。
貧乏だったのだろうけど、
見栄っ張りで貧乏とは思わなかった幼少期。
でも、僕に対する態度は母親というより女性。
女性というより女。なんで私は女なのに私の気持ちがわからないの。あなた男でしょ。僕が言うのも悪い気がするけど、
身持ちも悪く、男を見る目もなかったし、すぐヒステリーを起こし、己の全てを正当化する天才。認識は、女性。僕の人生で1番、嫌いな女性という認識。でも、生かされた。

その人が僕に残した言葉。残ってる言葉が2つ。

●貴方は優しい。だから、きっと良い旦那さんになれる。だから、自分が好きな人にはずっと優しくいなさいね。

●貴方は詐欺師だ。だから、これからもずっと、人を騙していきて行くに違いない。あんたの本当の父親と何も変わらない。(先ず会ったこともない父親)

その2つの言葉は鮮烈に僕の思春期に強く残り、卑屈で、何かに誰かに後ろめたい気持ちが消えないまま、今まで生きてきた。発達やらアスペやらあだ名がついた。ある程度の常識や、たまに会う祖母か、テレビで培った。料理番組とNHK「ひとりでできるもん」とボキャブラ天国内村プロデュース、ワンナイロックンロールと、深夜枠のはねるの扉。

反抗したことは一度もなかった、
高校を辞めるときに、バンドをして行く。
勘当する。勝手にしてくれ。今までの鬱憤、憎しみ、悲しみを全て伝えてしまった。向こうがバレてないと思ってたことも俺は知っていて、それも上げ足を取るように気づいてるんだぞ。なぜ、俺が音楽に救いを求めてるか考えろ。と叫んだ。ヒステリーな母親は家中のものを投げまくった。俺はそれを拾って、叩きつけたり、蹴り割ったり、全てを破壊した。16歳だった。家を出た。居候して、バイトを始めた。世間も常識も行儀も何も知らない僕を、バイト先とバンド界の大人たちは威圧的ながらも教えてくれた。俺は常識を知らないことも知らなかった。相当、勘違いしていて生意気で口だけ達者で、詐欺師だから、別に嫌われる前に嫌われに行ってやるわ。

けど、音楽と純文学だけは僕を裏切らなかった。逃避させてくれた。のめり込める。一瞬で、その人に慣れる。

僕はトラウマが極端に多い。チョコレートが食えなかったのも、睡眠障害になったのも、人の家、実家、家庭が嫌いだったのも原因がある。

発達、発達。と呼ばれだした。
仲の良い人は僕を病気として扱ってくれていた。
それに慣れすぎていて、性格なのか本当にそうなのかの境目は俺には分からなかった。

17歳になり、まだ詐欺師感覚が強い俺は、1つのものを追い求め始めた。母性、女性だった。けれど、1番の強いイメージは母親で元々、人を馬鹿にしがちな性格な上、女性にはそれが色濃く出て、しかも人との距離感の取り方はテレビも他人も教えてくれなかった。メンヘラと呼ばれた。メンヘラと呼ばれる人が集まった。僕は乳が好きだった。母性の具現化されたものが乳だと未だに思っている。

沢山の人と交際した。セックスもした。
10代、寂しかった。とにかく。誰でも良かった。
そのぶん、ひたすらに女性を傷つけた。
そして、得意の逃げグセで逃げ回った。
悪い噂はすぐ広まる。干された。怒られた。殴られた。

みんなもしてるくせに。しか思ってなかった。
19歳になり、セックスに飽きた。虚しさしか残らなかった。しっかりとした恋愛もできなかった。しかし、19歳から4年半付き合った彼女がいて、変な女の子で、凄く傷付けたし、僕も困惑に困惑を重ね、もう普通が普通ではなくなり、その子が僕の常識となった。けど、セックスレスもあり、病を抱えた彼女に僕はどうする事もできず、酷く冷たく当たり続け、彼女は僕に、唯一無二でないなら。と問われた。違う。と答えた。別れた。洒落にならないぐらいの酷い事をしたのに、彼女は僕に有難うという手紙を泣きながらポケットに入れ、僕はそれを振り返らず、別れた。

次の恋愛は、歳下だった。僕も駄目なくせに、僕はその子のダメな事を変えてほしいと願ったし、話しあう度、泣かせ傷つけた。その度、僕は鬱になり、仕事に行かなくなり、ひたすら布団で寝ていた。彼女はそれを何も言わず、見ていた。働いていた。募る罪悪感。死のうとしたり、急に消えたりを繰り返した。彼女は最後まで僕を心配してくれた。けど、僕はまだ変わってほしいと願い続け、言い続け、でも、僕も生活は変えれなかったが、思想は変わり続けた。その子のお陰も無論、強く、変なパワーに溢れる時期、周囲の仲間入りをした。

僕はそこで出会った。初めての浮気をしてしまった。
家に帰らなくなり、バイト先や先輩の家や、その浮気相手の車で寝ていた。彼女からラインがきた。いつ振るんですか?

何ヶ月ぶりかに対面して、話したい事を話したわ向こうは全てに気づいていたにも関わらず、泣き続けるだけで、僕に何も言わなかった。言えなかったのだろう。悲しすぎて。その子は今、幸せの最中だろう。

僕と別れた女性はみんな次の男性と本当に長く続く。それを知るたびに、俺はどれだけ酷い奴だったんだろう。と振り返るが時、すでに遅し。けど、僕は母性を探し続けた。両親にとにかく愛されて生きてきた人が好きだった。もう母性が知らぬうちに備わってるからだ。

俺のイメージは最悪なのに、人伝で聞いた面白いらしい俺の人生を聞きたいという興味本位で飲みに誘ってきた女の子がいた。僕はその子と飲んだ。鉄板ネタみたいな僕の過去や家庭の話をした。

人生で初めて爆笑してくれた女性だった。僕が引くほど笑われた。一瞬だった。そして、その子は感覚が鋭く、僕には無い感覚しか持ち合わせてなかった。僕の嫌いな、実家という場所にも連れてってくれた。僕の人生の答えあわせが始まったし、僕が知らなかった事、怖くて見て見ぬ振りしてきた全てに、提言や苦言を与え、僕はその子の為にと。今までより強く思った。嫌っていたワード、家庭、将来、幸せ、子供。というワードを恥かしげもなく、その子とは徐々に話せるようになった。

しかし、人生わからないもので、プレッシャーからなのか、単に僕の容量不足なのかわからないけど心身を壊した。普通にできてたことができなくなった。その子の将来設計、僕の目標が一気に崩れだした。今までに無いほどの自己破棄精神が強くなり続ける数ヶ月。互いに構えなくなって、互いに無理をしていった。僕は考えた。優しさとは。気遣いとは。愛とは。大切とは。無事とは。けど、病気云々、元よりある性格も病気にかまけ、自分の中でテンヤワンヤにした。

そこで沢山の大人達が僕に少しずつ常識やヒントやキッカケを教えてくれた。様々な場所で、様々な形で。

僕はその子と別れた。理由は、まだ今は書けない。
でも、またいつか書くのであろう。

本当にその人の大切さがわかったときに。

本当に勝手なことかも知れないし、本人達が読んでたら怒り狂うかも知れないけど、僕は今になって、19歳から付き合ってくれた人たちの別れ際の思いや僕への考慮や優しさに気付けました。口ばかり達者でマトモに大切にしてあげられなかったのに、こんなこと言うのも申し訳ないけど、

良い意味でも悪い意味でも、
今の為の今迄だったのか。
と思い続けています。感謝しています。



変えられないものも大切にできるように、
変わっていくしかないのだと思いました。

出来る限り、1人の、己の力で。


申し訳ない。に他の感情が勝ったことは女性は特に人にも感じたことがない。感謝があっても、凄い勢いで罪悪感がそれを追いかけてくる。


けど、みんな共通して、僕に教えてくれたことは、僕が知らなかったことを教えてくれたことでした。これも様々な形で、様々な場所で、様々な表現で。


今のこの気持ちを僕は文にできないけど、
本当にありがとうございました。


生きれる限り生きてみます。



3人、19歳までの沢山の女性達も、どうか幸せに。僕も誰かを幸せにできる人間になれるよう努めます。


本当に、有難うございました。

8月

記憶が鮮明に残っている4月から5月が、
あっという間に去り、
苦しめば苦しむほど、かまけて見られた泪の、
6月と7月が、知らぬ間に去り行き、
いつの間にか8月が来た。大きな台風も連れて。
鹿児島感のある夏。といえば、そんな感じ。

やはり福岡から帰ってきて、
外を出歩く気にはならず、外の世界の様子は、
ちとばかり分からないけど、午前1時現在、
昨日から体調というか諸々が悪く、
早めに眠りに就いたが、連続の同じ結末の悪夢で
寝ては起き寝ては起きを繰り返し今。午前1時過ぎ。

轟々と風が吹き、四畳半の立て付けの悪い窓を揺らし、それを気にも止めず、飼ってるハムスターはカラカラと回り続けてる。君になりたいよ。無心で餌を待ち、カラカラと無心に回り続ける。あ、変わらないか。今の僕と。いや、失礼、
まだ自分では理由もわからずも、カラカラと回り続けてる君の方が僕より偉いかもね。詫びる。

良いライブを観に行った、この間。
安定剤でゴリゴリに固まった心を熱くしてしまうぐらいのロックバンド達のライブ。何も変わらなかったけど、凄く鮮烈に心に直接、触ってこようとしてきて、驚いてしまったよ。だから、あれから5日経ったけど、あの日のライブハウスの光景、喋りかけられた嫌な言葉、素敵な言葉、何回も思い出す。

僕も馳せている。自分のライブに。
次は18日。僕よりも勢いのある若いバンドが来るらしい。そんなのは、正直、本音を言えば、どうでもいい。ごめんなさい。僕は縋っている。求めている。自分のライブや音楽が1番、自分を確かめてくれるし、自分を救ってくれる。それを観てた人たちが、なんやかんやの匙加減で賛否する。凄く素敵なことだと思う。そこには、互いに、音楽(共通の媒体)が好きという概念がある以上、お金も発生している以上、有っておかしくない、いや、むしろ、蔑ろにすべきでなく、あり得なければならない部分である。

鹿児島は少ないけれどバンドマンより、それが純なお客さんだったら尚更。だよ。でも、鹿児島とか宮崎の人とかシャイだから、あまり何も言ってくれなかったりするけど、曲が、その人達に触れた以上は僕等は一先ず、有難い。そこから何を思って生きるか、明日の朝には忘れられてるかは、それこそ自由。そういう意味でルールはない。履き違えてる人、多いけど。音楽にルールがないのは精神的部分が大半を占めてるからね。勘違いしちゃいけないよ。


診断書の言葉や検査の数値は信じられるのによ、
想いってのがあるからよ、本当に思ってくれてる人たちの言葉は、一旦、フィルターかけちゃうのは良くないよな。まぁ出来ないんだけど。大切の仕方、いつ分かるかな。

ある日を境に、僕、ある人に、凄く軽薄な感情を覚えてしまい、今、そことの矛盾に悩まされてますけど、また曲ができそうなんで、一旦、見て見ぬフリしておきます。仕方ない。という言葉のパワーは、プロセスと芯のある理由があれば、最強ですからね。

ここまで15分程度、経過。腹が痛い。
なかなか書きたいこと書ききれた気がする。

九州の皆様、台風、津波、土砂などに
お気をつけ下さい。知らぬうちに人は死んでたよ。

また。深夜のブログ、読んでくれて、ありがとう。

鹿児島から福岡へ 逃亡というの旅。 手記

わかっていた。

イベントが終われば、
こうなることを。

気付いていた。

彼女の僕への複雑な気持ちを。

悩んでいた。苦しんでいた。

ここまで助けてもらってるのに、どうやっても苦しくて、本当に誰にも助けてください。と言えず、日を増すごとに幻聴も悪夢も夢遊も増え、生きてちゃダメだ。→生きる必要とは?→死んでも変わらなくないか?→死ねば楽だ。→死にたい。→でも、悲しんでくれる人は、今は昔よりも増えた気がする。→死に切れない。というか、死にたい。というより助けてほしい。→言えない。の負のスパイラルにハマった。


死ぬ道具をニシムタに買いに行った、釘、トンカチ、足場、練炭、超強固テープ。整えてみた。満足した。怖いし死ねないな。生きたいな。と思った。人前で素直に言えなくなった。何もできなくなった。

死ぬか生きるか、会いたい人に会ってから考えようと思い、先ず、生駒さんとオオウラタイスケが、かまたかんたつが浮かび、旅に出ると彼女に伝えた。2、3回、スルーされたが、どうしても。と伝えた。

ネットで一番、安いバスと彼女に預けてたギリギリの預金を受け取り、木曜日、朝7:30のバスに乗った。その夜中に、彼女の思いを聞き、「別れ」「死ぬ」「他人」という言葉たちが飛び交い、僕は眠剤に飲まれ、眠っていた。

行きのバスでもギリギリまで寝た。でも、もしやと、彼女の好きなチョコレートはコンビニで自然に買っていた。バスの中で気付き恥ずかしくなり、隠した。

会いたい人に全員に会えた。
やはり、たまにしか会わないからもあるか、
理由も理由で、みんな極端に自然で、
極端に優しくウェルカムだった。

自分を騙しながらも、まわりに騙されながらも、
最後は、とても自然に笑い、言葉を交わし、
全てを受け容れていた。

でも、親友オオウラタイスケの家で猫2匹に踏まれながらも、鹿児島と全く同じ感情、苦しみがやってきた。

ので、友人達の力を貰いまくり、急遽、決めた5日間、全てに予定が入った。新しいCDも渡したら買ってもらったり。飲んだり、やっぱり吐いたり。でも。起きて、今日は何をする。ということが完全に実行されて行く感じと、完全なまでの晴天、鹿児島よりも少し早めに来ていた夏、暑さ、青空。

部屋でも店でも家でも話すし話を聞く。思い出す、鹿児島での日々。照らし合わせる過去とその瞬間。帰ってからの福岡への回帰の予想と鹿児島に対しての不安。

でも、今、そう、この手記の今、僕は大丈夫そうで、生きたいと願っているし実現できるとも思ってる。

全員の名前や言葉、店、を此処で羅列したら、失礼な気もするので、本当に一括りにして。

福岡、ありがとうございました。
助かりました。生きます。

生きてちゃダメな気がするんだ。


雨が降ってると、

そういう幻聴が、

部屋の中を横切る。



ずっと気を張り続けた数ヶ月間が終わった。


楽しかったですか?

お客さんも対バンも

僕に楽しかったです。や、ありがとうございます。や、直接、伝えてくれたり、ツイートを沢山、見つけたりして僕は嬉しかったです。


本当に有難うございました。


僕は楽しかったですか?と聞かれたら、

別に楽しくはなかったです。

何故なら、僕等が、あそこに存在して、あそこで音を鳴らし、脚光を浴び、皆んなが笑ってくれるのは、それまでの数ヶ月間の日々の間に、特に僕を、その日暮らしを、支え、応援してから、力を貸してくれ、沢山のモノを貰って、あの日に至っただけで、それが成功することは至極当然のことだからだと思います。


僕が今、いま、一人間として、成立できてるのは、本当に僕自身の力、無。です。ゼロです。沢山の人の支えで数ヶ月間、生きてきました。


PeaceToneRocket'sの蓑田マサシや、

WALK INN STUDIOの野間さんが、

言う言葉に説得力やエネルギーが有るのが当然の様に。ワザと苦手な方に飛び込んで見て、そこでオモシレーって言って帰ってきて、また自分で形にしたり、マサシはMCで言ってたけど、僕らが必死で動いてきた裏で誰が本当のことを、嘘のことを言ってるのかもわからず、自分の悪い噂まで吹聴されたけど、俺らがやることはここでも、これからも変わらない。と言う言葉の重みに説得力があるのが至極当然。


僕は現場に居続けたし、イベントもこの9年間で何十本と打ってきた。打ってきただけで気づけてたこと殆どなかった。それに気づけるようになっただけで凄く嬉しいけど、そのキッカケも俺の力では一切ない。けれど、僕が書く歌詞や、曲の原型は本物で、自分でも大好き。けど、それを音楽、芸術として、成立させ、世に発表できる形にしてくれてるメンバーの方が凄い。


俺のことを褒めるなら、

まずは袰谷に有難うと言わなきゃいけない。

袰谷がいなきゃそれも不可能だったし、次に太珠。


そして、太珠と俺は、この曲は撮るべきだ!良い曲だ!と言ってくれた寿山さんや先輩達、そして、無理承知でワガママばかり言って許してくれ、撮ってくれた上に元気出たって言ってくれた野間さんや、普通のことができない僕に普通のことを怒ってくれる吉村さん達属するWALK INN STUDIOに感謝するのみだし。


二日間で人生最大級で人に褒められましたけど、

過去に二日間で、その真逆も経験してるので、

僕は他人事のように感じてしまいます。

褒められてるよ、お前。あ、俺?

だったら、袰谷に言ってやってよ。ってなる。


けど、嬉しいのも、有難うって思ってるのも本当。でも、それは心じゃなく、身体の隅のどこかぐらいでしか感じれない。けど、その人達には長生きしてほしいなとか、無理に気付けば体壊さないよ、とか、マジで他人事だけど、なんとなく幸せになれば良いのに。とか思う。けど、ありがとうございます。に対して、返答、長っ。ってなるだけだから、

あぁ、おす。とか、そんなん。とかしか言えないけど。


けど、俺も1つ言いたいのは、気付かせて貰ってきたから、気付かせれるようなことをしてるつもり、どんな立場の人たちにでも、わざとらしく。

だから、本当に大切なものをわかってない人とか、全然、僕の思いと違うわ、こいつ。とか幻滅したりするけど、それはやってる側の人間のエゴだから、結局、受動者は好き勝手に解釈したら良いな、なんとなく幸せであれば良いと思う、心底。






生きてちゃダメな気がするんだ。って言葉がエアコンの空気と丸まって、この四畳半を埋め尽くしてしまうけど、僕は死にたいわけではないし、生きたい。から。


だって、貰いすぎちゃったし、応援されてるから、それに応えなきゃと思うから、応え続けるまでは死ぬ訳にはいかない。恩を仇で返すより、悲しませてしまう。


だから、ありがとうございます。と思います。

それしか、思えなかったです。




暫くは消えるように、沈むように、潜り隠れ過ごします。また8.18日にライブがあります。来てください。また何かしら変わってるのではないでしょうか、色々と。


緊急連絡先以外しか連絡返しませんから。

知りたい人は

sonohigurashi2015@gmail.comにメールください。



またね。ありがとね。